心なごみませ  第10回

「きいちゃんと浴衣。」

山元加津子(在日石川人)

 きいちゃんは私が教員になったばかりのときに出会いました。きいちゃんは教室の中でいつもさびしそうでした。たいていのとき、うつむいてひとりぼっちですわっていました。
 だから、ある日、きいちゃんが職員室の私のところへ「せんせいーー」って大きな声でとびこんできてくれたときは本当にびっくりしたのです。こんなにうれしそうなきいちゃんを私ははじめてみたのです。
「どうしたの?」そうたずねると、きいちゃんは「おねえさんが結婚するの。私、結婚式に出るのよ」ってにこにこしながら教えてくれました。ああ、よかったって私もすごくうれしかったのです。
 それなのに、それから一週間くらいたったころ、教室で机に顔を押しつけるようにして、ひとりで泣いているきいちゃんをみつけたました。
 涙でぬれた顔をあげてきいちゃんが言いました。
「おかあさんがわたしに、結婚式に出ないでほしいって言ったの。おかあさんは私のことが恥ずかしいのよ。おねえさんのことばかり考えているのよ。私なんてうまなければよかったのに」きいちゃんはやっとのことでそういうと、またはげしく泣いていたのです。

 でも、きいちゃんのおかあさんはいつもいつもきいちゃんのことばかり考えているような人でした。
 きいちゃんは小さいときに高い熱が出て、それがもとで手や足が思うように動かなくなって車椅子にのっています。そして訓練を受けるためにおうちを遠く離れて、この学校へきていたのでした。
 お母さんは面会日のたびに、きいちゃんに会うために、まだ暗いうちに家を出て、電車やバスをいくつものりついで4時間もかけて、きいちゃんに会いにこられていたのです。毎日のお仕事がどんなに大変でも、きいちゃんに会いに来られるのを一度もお休みしたことはないくらいでした。そしてね、私にも、きいちゃんの喜ぶことはなんでもしたいのだと話しておられたのです。
 だからおかあさんはけっしてきいちゃんが言うように、おねえさんのことばかり考えていたわけではないと思うのです。ただ、もしかしたら、結婚式にきいちゃんが出ることで、おねえさんが肩身の狭い思いをするのではないか、あるいは、きいちゃん自身がつらい思いをするのじゃないかとお母さんが心配されたからではないかと私は思いました。
 きいちゃんはとても悲しそうだったけれど、「うまなければよかったのに・・」ときいちゃんに言われたおかあさんもどんなに悲しい思いをしておられるだろうと私は心配でした。
 けれど、きいちゃんの悲しい気持ちにもおかあさんの悲しい気持ちにも、私はなにをすることもできませんでした。ただ、きいちゃんに「おねえさんに結婚のお祝いのプレゼントをつくろうよ」と言いました。
 石川県の金沢の山の方に和紙をつくっている二俣というところがあります。そこで、布を染める方法をならってきました。さらしという真っ白な布を買ってきて、きいちゃんといっしょにそれを夕日の色に染めました。
 そしてその布で、ゆかたをぬってプレゼントすることにしたのです。
 でも、本当を言うと、私はきいちゃんにゆかたをぬうことはとてもむずかしいことだろうと思っていたのです。きいちゃんは、手や足が思ったところへなかなかもっていけないので、ごはんを食べたり、字を書いたりするときも誰か他の人といっしょにすることが多かったのです。ミシンもあるし、いっしょに針をもってぬってもいいのだからと私は考えていました。
 でも、きいちゃんは「ぜったいにひとりでぬう」と言いはりました。まちがって指を針でさして、練習用の布が血で真っ赤になっても、「おねえちゃんの結婚のプレゼントなのだもの」ってひとりでぬうことをやめようとはしませんでした。
 私、びっくりしたのだけど、きいちゃんは縫うのがどんどん、どんどんじょうずになっていきました。
 学校の休み時間も、学園へ帰ってからもきいちゃんはずっとゆかたをぬっていました。体をこわしてしまうのではないかと思うくらい一所懸命、きいちゃんはゆかたをぬい続けました。
 そしてとうとう結婚式の10日前にゆかたはできあがったのです。
 宅急便でおねえさんのところへゆかたを送ってから二日ほどたっていたころだったと思います。きいちゃんのおねえさんから私のところに電話がかかってきたのです。
 おどろいたことに、きいちゃんのおねえさんは、きいちゃんだけではなくて私にまで結婚式に出てほしいと言うのです。けれどきいちゃんのおかあさんの気持ちを考えると、どうしたらいいのかわかりませんでした。
 おかあさんに電話をしたら、お母さんは「あのこの姉が、どうしてもそうしたいと言うのです。出てあげてください」と言って下さったので結婚式に出ることにしました。
 結婚式のおねえさんはとてもきれいでした。そして幸せそうでした。それを見て、とてもうれしかったけれど、でも気になることがありました。
 結婚式に出ておられた人たちがきいちゃんをじろじろ見ていたり、なにかひそひそ話しているのです。きいちゃんはすっかり元気をなくしてしまい、おいしそうな御馳走も食べたくないと言いました。(きいちゃんはどう思っているかしら、やっぱり出ないほうがよかったのではないかしら)とそんなことをちょうど考えていたときでした。
 お色直しをして扉から出てきたおねえさんは、きいちゃんが縫ったあの浴衣をきていたのです。
 浴衣はおねえさんにとてもよく似合っていました。きいちゃんも私もうれしくて、おねえさんばかりをみつめていました。
 おねえさんはお相手の方とマイクの前にたたれて、私たちを前に呼んでくださいました。そしてこんなふうに話し出されました。
「みなさんこのゆかたを見てください。このゆかたは私の妹がぬってくれたのです。妹は小さいときに高い熱が出て、手足が不自由になりました。そのために家から離れて生活しなくてはなりませんでした。家で父や母とくらしている私のことを恨んでいるのではないかと思ったこともありました。それなのに、こんなりっぱなゆかたをぬってくれたのです。高校生でゆかたをぬうことのできるひとがどれだけいるでしょうか?妹は私のほこりです」

 そのとき、式場のどこからともなく拍手が起こり、式場中が、大きな拍手でいっぱいになりました。そのときのはずかしそうだけれど、誇らしげでうれしそうなきいちゃんの顔を私はいまもはっきりと覚えています。
 私はそのとき、とても感激しました。おねえさんはなんてすばらしい人なのでしょう。そして、おねえさんの気持ちを動かした、きいちゃんのがんばりはなんて素敵なのでしょう。
 きいちゃんはきいちゃんとして生まれて、きいちゃんとして生きてきました。そしてこれからもきいちゃんとして生きていくのです。もし、名前を隠したり、かくれたりして生きていったら、それからのきいちゃんの生活はどんなにさびしいものになったでしょうか?

 お母さんは、結婚式のあと、私にありがとうと言ってくださいました。でも私はなんにもしていませんと言うと、お母さんは、「あの子が、お母さん、生んでくれてありがとう。私幸せです」と話してくれたと泣きながらおっしゃいました。お母さんは、きいちゃんが、障害を持ったときから、きいちゃんの障害は自分のせいだと思ってずっとご自分を責め続けてこられたのだそうです。もし、もう一時間でも早く大きな病院に連れて行っていたら、あの子に障害が残ることはなかったのじゃないか、あの子の障害は自分のせいだと思ってずっと自分を責めていたと話しておられました。
 きいちゃんは結婚式の後、とても明るい女の子になりました。これが本当のきいちゃんの姿だったのだろうと思います。あの後、きいちゃんは、和裁を習いたいといいました。そしてそれを一生のお仕事に選んだのです。

 このお話は6年生の国語の教科書に載っています。そして卒業間近のこの時期に、子どもたちが読んでくれています。教科書会社の方が「きいちゃんのお話は、卒業していく子どもたちへのプレゼントにしましょう」と言ってくださいました。「子どもたちは、きっとこのお話を読んで、何かを感じてくれるでしょう」とも言ってくださいました。このごろ毎日のように、6年生の子供さんからメールをいただきます。

 昨日のメールにはこんなふうな感想がありました。「きいちゃんがきいちゃんとして生まれたように、私も私として生まれてきたのだから、そしてこれからも私は私として大きくなっていくのだから、自分自身のことを自分で認めて、私でよかったと思えるように、4月からの中学校生活をおくっていきたいと思います。」とてもうれしい感想でした。