伊東市在住、おんな組組員・伊豆半島人を名乗る中山千夏さんの、身辺四方八方雑記!
伊豆新聞のシニア・ページに、2009年から毎週一回、連載されている長寿コラムを、同新聞のご協力で、おんな組用にアレンジ。たっぷり転載していきます。
 
 
 

第27回 『雨』を歌えば

このところ窓の外を見ているとどうしてもこの歌が浮かんでくる。
〈雨がふります雨がふる〉
『雨』。私が幼いころには童謡のスタンダードだった。北原白秋作詞、弘田龍太郎作曲。100年少し前にできた歌だ。
〈遊びにゆきたし傘はなし〉
おや、思えば井上陽水『傘がない』と同じ発想ではないか。陽水さん、名前は白秋と通じるけれど、年は私と同じ。世代は離れても、雨で外出できなくて困る人情は、いつの世も変わらない。
それもそのはず人類は、傘よりも強力な雨よけの手段を発明できずにいる。雨を止めたり降らしたりなど、いまだに空想マンガの話だ。雨に寄せる詩人たちの思いが時代を越えて変わらないのは、結局、雨よけの手段が変わらないからだろう。

つまるところ、雨を始めとする自然の力には、人間、ほとんどなすすべがない。火山の噴火、地震、津波、川の氾濫などを無くそうとする努力は無駄。なるべくそれらが起きないような暮らし方をコチラがする。それらが起きた時、なるべく被害が小さいような家や集落を作る。それが最も科学的な生き方なのではないかしら。
〈ベニオのカッコも緒が切れた〉
 そうそう、われらが幼少のころには、近所の子もみんな下駄履きで飛んだり跳ねたりしていた。だからカッコというのが下駄の幼児語であることも、ベニオが紅色の鼻緒であることも、いつの間にか知っていた。
その後はどうだろう? たまたま近くにいたアラ還暦の人間に聞いてみた。予感的中、ワカリマセン。下駄はもちろんわかる。履いたこともある。けれどもカッコやベニオなど細やかな味のある言葉は、レインシューズやスニーカーに蹴散らされてしまったらしい。

モノはさほど変わらないが、言葉やそれに伴う習慣は、時代につれて大きく変わる。テレビの時代劇を見ていると、時々、現代の言葉に違いないものが出てきて面白い。近頃のヒットは「誕生日」だ。
北大路欣也の『銭形平次』(1990〜98年放送。今、BSで再放送している)に、「誕生日」の祝として愛する町娘に簪を贈る大工が出てきた。まず違和感があったのは、時代劇の登場人物が「誕生日」の贈り物などする場面は、これまで見たことがなかったからだ。
待てよ? そういえば、この時代に誕生日だの誕生祝いなど、あったのかな? 無いのでは……あ、無かった! なぜなら昔は数え年だった。同じ年に生まれた者は、何月何日に生まれようとも、その年が1歳で、以後、正月を迎えるごとに一斉に、みんないっしょにひとつ年を取ったのだから!
現代日本の誕生日は、数え年の消滅と、何事も個性を重視する欧米文化の受け入れによって、それこそ誕生したものであるに違いない。こう思いいたった時には、いやあ、少々感動した。
誕生日というありふれた習慣ひとつにも、人間社会のさまざまな来歴が染み付いているものなんですね。

伊豆新聞に連載中 その577 (2020年7月22日掲載)


♪今年の7月13日に友人が贈ってくれたクマさん楽団♪


第26回 ツッパルことが男の……
第25回 連日の雨に
第24回 ひしひしと不確実性の時代
第23回 野球オンチなので
第22回 トランプ的思い上がり?
第21回 ウグイスはなんと鳴く?
第20回 昔「広告屋」今アドマン
第19回 ステキなステッキ
第18回 みいんなマスク
第17回 ただいま!雑記復活!
第16回 みなさんご無事で!!!
第15回 DT方式?!
第14回 ウイルスと風俗
第13回 私の問題・社会の問題
第12回 ワラビとカンゾウ
第11回 ウイルスまくひとカネまくひと
第10回 新型コロナウイルスお目見え!
第9回 新型コロナウイルスで流行る自粛
第8回 カードの脅迫
第7回 「仮釈放」の友
第6回 子抱き地蔵
第5回 マスクが消えた?!
第4回 確率論的津波評価、なぜ?
第3回 「次世代」なるもの
第2回 道玄坂の日の丸 
第1回 新年につきごあいさつをば

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