伊東市在住、おんな組組員・伊豆半島人を名乗る中山千夏さんの、身辺四方八方雑記!
伊豆新聞のシニア・ページに、2009年から毎週一回、連載されている長寿コラムを、同新聞のご協力で、おんな組用にアレンジ。今年からたっぷり転載していきます。
 
 
 

第13回 私の問題・社会の問題

〈傘がない〉という歌を覚えておられるでしょう、ご同輩? 1970年代の初めごろとても流行った。
マスコミがさかんに言う社会問題よりも、雨が降っていて傘がないこと、恋い焦がれる君に逢いに行きたいのに傘がないこと、それが問題だ……ざっと味気なくまとめるとそんな歌だった。
作って歌った井上陽水さんは私と同年同月生まれ。つまり、激しい学生運動がぐしゃっと崩壊した時代にワカモノとなった世代だ。社会問題より「私」の問題のほうが大事だ、と歌う中に「それでいいだろう?」という一句があるのは、あの時代のワカモノには、まだ「社会問題」から目をそむけることに、ウシロメタサがあったことを感じさせる。

「私の問題」をわんさと抱えながら、でも女性差別という「社会問題」に首をつっこみ、差別のない社会を作るウンドウに乗り出していた私には、「うん、それでいいんだよ」とも「それじゃダメなのよ」とも割り切れなかった。
それが最近、解決したような気がする。
人間には本来、「私の問題」しかないのだ。個人がたまたま似通った「私の問題」を持ち、その数がある程度、多くなった時、それは社会問題になる。マスコミや政治が扱う問題になる。
陽水さんにだけ傘がないのならそれは「私の問題」だが、日本から傘が消えてしまったら、それは社会問題になり、問題を数量で扱う専門家たち、政治家や官僚、企業家や研究者たちが傘問題の解決をはかることになる。
ひとは「私の問題」しか考えられない。これは、我が身大事、自分さえよけりゃいい、我利我利亡者と背中合わせの性質ではある。それでもいい、というかそれが人間の性なのだと思う。

私が差別問題を考えるようになったのは、世のため人のためならず、間違いなく自分が女だったからだ。反原発に腰を据えたのも、福島原発事故を目の当たりにして、放射能の被害が我が身に迫ったからだ。そして今や、みなさん同様、新型コロナウイルスの蔓延がまさに「私の問題」になっている。
世界の原発事故は、なんといっても限られた地域だけの問題に見えるし、当局による被害の隠蔽もまずまず成功している。だからこれを「私の問題」とするひとの数もたいしたものではない。少なくとも新型コロナウイルスに比べれば。人間なら誰でも、大統領だろうが芸能人だろうが、差別なく襲うウイルスのおかげで、これは世界の誰にとっても「私の問題」になった。つまり地球規模の社会問題になったのだ。
原発にせよウイルスにせよ、マズイのは、社会問題だけが解決した時に、多くの「私の問題」がさも解決したかのように見えてしまうことだ。「私の問題」がひとつでも残っているうちは、それは解決されていない。
そのくらいに考えていれば、喉元過ぎても熱さを忘れず、次の問題に備えられるのではないかしら。

伊豆新聞に連載中 その563(2020年4月1日掲載)


夕暮れのスノウドロップ

第12回 ワラビとカンゾウ
第11回 ウイルスまくひとカネまくひと
第10回 新型コロナウイルスお目見え!
第9回 新型コロナウイルスで流行る自粛
第8回 カードの脅迫
第7回 「仮釈放」の友
第6回 子抱き地蔵
第5回 マスクが消えた?!
第4回 確率論的津波評価、なぜ?
第3回 「次世代」なるもの
第2回 道玄坂の日の丸 
第1回 新年につきごあいさつをば

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