あのすば・・・・ 第7回

今年こそ、右翼の質の向上を!

田中優子(在日横浜人)

 正月はテレビでプロムスのラストナイトコンサートを見る。プロムスとは1895年からロンドンでおこなわれているコンサートだ。階級格差社会のイギリスの悩みから生まれたのだろう。ふだんはクラシックなど聴けない人のために、チケットを安くして気軽な演出を工夫し、多くの人が参加できるようにした。やがてBBCが運営を引き継ぎ、BBC交響楽団が演奏するようになった。
 しかしそのコンサート会場の情景を見ると、いつも不思議な気持ちになる。なぜなら日本人の基準から言えば、「プチ・ナショナリズム」そのものだからである。なにしろ最後は愛国曲の連続。ウィリアム・ブレイクの詞による「ジェルサレム」、エドワード・エルガーの「威風堂々」、「ルール・ブリタニア」、そして「ゴッド・セーヴ・ザ・クイーン」だ。今年などは会場にエリザベス女王の笑顔映像が次々に写された。八〇歳を迎えたからだという。

 会場はロンドンのロイヤル・アルバート・ホールだが、たいていは入りきれなので、ロンドンのハイド・パークはじめ、ベルファスト、グラスゴー、スウォンジー、マンチェスターの広場や公園に人がつめかける。すごい人数だ。外国人観光客もいるというが、冬のイギリスは観光にでかけて幸せな場所ではない。さほど多くの観光客がいるとも思えない。
 それにしてもイギリスのナショナリズムはおもしろい。ロイヤル・アルバート・ホールではゴッド・セーヴ・ザ・クイーンを聞きながら国旗がはためくのだが、ノリにのっている連中はへんな帽子をかぶったりTシャツだったりして、体を上下にゆらして騒ぎ続ける。はためく国旗もイギリスのだけではない。さすがにフランスはあまり見かけないが、ドイツもあればスイスもある。そんなおふざけムードの中に女王の映像が流されたとしても、誰も「不敬」などと騒がないのである。

 私がイギリスにいたときは、中東が緊張すると日曜に教会に行く人が増えるし、王室の不倫は大衆紙でいつも大々的に扱われるし、議員が異常な自慰の果てに死んでしまうし、そういういかがわしさが堂々と報道されていた。だからと言って誰も絶望したりはしない。人間なんてそんなものだ、という空気が横溢していて、その「人間なんて」の中には、王室の人たちももちろん入っているのである。子供が産まれまいと不倫しようと離婚しようと水着の写真を撮られようと何を言われようと、王室はテコでもゆらがない。極めて俗っぽくしたたかなのだ。

 日本の皇室もかつてはそうだった。『源氏物語』の貴族と天皇家は不倫ばかりで、それなしでは物語が成り立たない。不敬を恐れるなら、まず『源氏物語』を発禁処分にしなければいけない、と思うくらいである。江戸時代の皇室もあまりのご乱行で、幕府も手を焼いた。日本の誇る好色の文化は、天皇家のなかに厳然と生きていたのである。皇室から好色と笑いが無くなり、からかいとしたたかさが消えたのは、近代になってからである。
 むろんこれは、前回書いた『週間金曜日』への右翼の攻撃と、それに対して簡単に謝ってしまった『週間金曜日』へのあてつけである。抱いて出てきた孫が猿のぬいぐるみで何が悪い? 猿は古代から神聖な存在で、高貴な馬の守り神であり、なにより「子供」の象徴として伝統的に使われてきた。世界遺産の日光東照宮を見ればわかる。東照宮の三猿の彫刻は、子供の教育についての教えなのだ。子供のうちはできるだけ、悪い低次元のものを「見ない、聞かない、言わない」。これは儒教の幼児教育法の基本である。それを猿で表現しているのは、猿が子供を表すからである。

 頭に茶托をつけて何が悪い? 茶托は煎茶道の正式な席に使われる重要なもので、茶そのものに対する尊敬と礼を表している。いわば自然崇拝だ。抹茶道では、貴重な唐織りの布の上に茶碗を置く。つまり茶托は聖なる唐織りの布の「やつし」であり、茶托は布の「見立て」なのである。
 性生活の話のどこが悪いのだろうか? 各地の伝統的な祭に、性行為を模した豊饒祈願があるのは誰でも知っている。
性行為そのものは人さまに見せるものではないが、性行為の模倣は、豊饒祈願として祭でおこなわれ、またシャーマンが担ってきた。天皇がかつてはシャーマンであり、豊饒祈願の代表者であったことは知られている。

 つまり、あの集会におけるパロディを攻撃した人々は、日本の伝統について無
知であるばかりでなく、今の皇室が見習っているイギリスの王室についても無知
なのだ。
日本の天皇制の堅苦しさは、日本のナショナリストの、伝統に対する無知無教養にその原因がある。日本のナショナリストはほんものの民族主義者ではない。単なる自民党シンパであり、遅れてきた反共主義者なのだ。「遅れてきた」とは、冷戦時代がとっくに過ぎたのに、まだ頭が冷戦構造、という意味である。まずは右翼の質の向上を!

『三猿』