34回  生きる場所、ものを見る場所

田中優子(在日横浜人)

連休は愛鷹山の中腹にあるマンションで過ごしている。すでに書いたことなのだが、縁あって、生活を縮小しながら母の介護と自分ひとりの老後(そういうものがあるなら、だが)に備えるために、思いきって家を担保にして購入したのだ(なにしろ貯金がないので)。直感的な行動だったが間違っていなかった。少しずつ生活を移している。「間違っていなかった」というのは、ひとつは何事も縮小に向かうことが、時代状況から見ても年齢から言っても必要であり、実際に合理的だからだ。もうひとつは、少しでも山を歩き稜線を見ながら過ごすだけで、うそのように疲れが消えてゆくからである。ジムに行く必要も按摩にかかる必要もない。

私がこんなことを書いているのは、テレビドラマ審査で『風のガーデン』を高く評価したからでもある。人は最後にどこへ行くのか。倉本聰はそれを考え続けてきたのではないか。人が必要としているのは都会の富(金銭的価値、金銭によって得られる安楽)なのか、それとも金銭の大小に必ずしも対応していない、生きる場所(環境)や、人との関わりなのか。それは確かに、考えるべきことなのである。

新型インフルエンザがいまパンデミック一歩手前に来ている。不要不急の外出(国外も国内も)が制限されることになるだろう。人口密度が高く交流や接触や病気が多いのは、古代から都会の特性である。江戸時代の江戸は、どこよりも平均寿命が低かった。パンデミックは都市の脆弱そのものだ。情報がネットでやりとりされるようになった今、様々な危険を抱えた都市への人口集中はどのような価値があるのか、考えるべき時期が来ている。

今の貧困のみじめさは、単に金が無いということだけではない。人工物に囲まれながら、その不潔と汚れの中で孤立し、暴力の不安の中で生きねばならないつらさである。共同体に守られることも拘束されることもなく、森や海や水に溶け込むこともなく、信仰に頼ろうとすると金を搾取され、人と関わりを持とうとすると(netのように)課金され、社会を越えた人間存在の深さを思考する機会さえない。

金がない人間など、戦前までいくらでもいた。江戸時代は金銭を見たことの無い人間までいた。金が無くても生きることができた。金を払わなくても信仰をもち、金を払わなくても人と関わり、金がなくとも川や海や滝や山を満喫できた。幸福な人間も珍しくはなかった。それは都市以外の場所こそが、ほとんどの人間が生きる場所だったからである。農業、漁業、林業は、いくらでも仕事があってきりがない。それによって食べることもできる。そして何より、山、海、森林、田圃は、人間の精神と生理を落ち着かせてくれる。有機農法で作られたものであれば、食べ物の栄養はまだまだ豊富だ。

豊かさは金銭に比例する、幸福は金銭的な豊かさに比例する、という考え方は、都市生活(あるいは都市に近づいた農村)でしか成り立たない。ベイシック・インカムの社会を実現しながら都市の外で生きる方法と思想を政策にできれば、もっと多くの人間が救われる。「景気回復」とはそういうことではないのか。

先日、佐藤優と対談をした。自分の視点を東京という場所から引きはがし、それ以外の複数のトポスを自らの視座に組み込むことの重要性を教わった。これについてはまたの機会に書く。