あのすば・・・・ 第17回

私たちはそれを歌えるか?

田中優子(在日横浜人)

 久々に「あのすば」気分になっている。沖縄教科書問題について書いてもらっているあいだに、頭を低くして、チョーつまらない小沢辞任騒動をやり過ごし(チョーを使ったことのない私が使いたくなったほどの出来事でした)、発表論文を書いてストラスブール行きの飛行機に飛び乗り、ようやく、発売と同時に買ってあったイーグルスの“Long Road out of Eden”をゆっくり聞いたのである。そう、イーグルスです。「あのすば」でしょ?

 直感で買った。失望と虚無に満ちたジャケットの写真がすごかったからだ。しかしDisk1を聞きながら、「失敗だったかな」と思う。中年のノスタルジックなラブ・ソング?と、聞こえたからだ。が、いつの間にか、そのなかから別の方向を示すあかりが見えはじめ、それに沿って耳をすましていると、「Hey, where you going? what's the rush? 」(どこ行くの、なんでそんなに急いでんの?)と来た。「もと居た場所を思い出すんだ。自分が誰だったか、思い出すんだ」と歌いはじめた。(Fast Company)。
 つい立ち止まる。と次には、「Do something, It's not over, It's never too late」(何かしてみろよ。終わっちゃいないぜ。遅くなんかない」(Do something)と語り、「あんたは一人じゃない」(You are not alone)と続ける。ここでDisk1は終わる。すごいところにさしかかりそうなのに、なんだか中途半端だ。あまり期待せず、引き続きDisk2を聴く。

 驚いた。Disk1の後半は、ここにつながっていたのだ。Disk2の冒頭Long Road out of Eden(エデンから遠く離れて)は、明らかにアフガンとイラクに侵攻しているアメリカそのものの位置を指さしている。歌うのは「ホテル・カリフォルニア」のあのドン・ヘンリーの声。「震える手に汚れたライフル」「亡霊のようなキャラバンが通り過ぎてゆく」「ひたすら生き残ろうとするのみ」──それは、海の彼方、アメリカ合衆国の何かを守るためなのだが、その何かとは「銀色に冷たく輝く衛星」であり、「SUV(スポーツ多目的車)から聞こえる騒音のような音楽」であり、「焼いた胸肉をもう一切れね。パイをもうちょっと、と注文しながら高級レストランでたばこをくゆらす人々」であり、「光またたくハイウェイ」であり「携帯の着信音」であり、「ごみ」「と「残骸」と「くずのような文化」と「ふくれあがった特権」と「たっぷり金のかかった宣伝」なのだと、ドン・ヘンリーは淡々と歌う。この曲の最後は、砂漠の中に消えてゆく兵士たちの行進である。

 さらに別の歌では、「俺たちは歴史から何も学んでいない」ので、「同じ間違いを何度も何度も何度も繰り返し」、「新聞を隅から隅まで読んだところで」「何が起こっているのか、本当のことはまるきしわからないし」、それは「ジャーナリズムが死に絶えた」からなのである、と。(Frail grasp on the big picture)
 そして最後。「今夜、この世界に穴が空いた」「恐怖と悲しみの雲がたちこめている」「今夜、この世界に穴があいた」「明日の世界では、こんなことにならないようにしなくては」(Hole in the warld)と歌っている。
 このアルバムのレコーディングは2001年9月10日に始まり、じきに完成する予定だったという。しかし翌日、つまりトレーディングセンター崩壊の日をもって中断された。やがて再開されたときに出現したのが、この歌を含めた新しいアルバムであった。

 このアルバムには、都市の失業者や新興住宅地に高価な白い家を買おうとした(そしてうんざりした)セレブなど、アメリカの日常を生きる中年たちが登場し、その顔が生々しい。アメリカの豊かな日常と中東の戦争は、世界構図の表と裏だ。1960年代、70年代のベトナム戦争時代を若者として生きていた人々が、自分たちの富への失望をこのように歌う、ということが日本では起こっただろうか? 朝鮮戦争とベトナム戦争で高度成長を遂げた日本では、それに対する嫌悪を抱いた人々が日米安保体制への反対表明をしてきたのだが、その構図じたい47年間少しも変わっておらず、またじきに安保締結の2010年がやってくる。
 戦争で経済成長をしようとする人々が相変わらずいて、その氷山の一角は防衛省の汚職事件になって現れた。でも人々は直感的に知っている。氷山の下に隠れている企業こそが、近代社会の成長の秘訣「戦争」を巧んでいる、と。
 それを歌う人が日本にいるだろうか? 紅白歌合戦はもうすぐだ。