あのすば・・・・ 第16回

 今月の「あのすば」は、前回に続いて、石垣島出身、法政大学社会学部の学生、内原英聡(うちはら・ひでとし)による沖縄教科書問題です。23才の意見を読んでやってください。私は来月から、牙を研いで復帰です。(田中優子)


政局に弄ばれる戦死者

内原英聡

 11月2日付の朝日新聞に、二つの記事が掲載されていた。どれも小さな記事であったが、心に留まった。一つは、沖縄戦の集団自決をめぐる教科書検定問題のその後についてである。まずはその話から。
 同月1日、二つの教科書出版会社が、文部科学省に記述内容の訂正を申請した。東京書籍と実教出版である。ともに「学習上の障害になる」との理由から、今回の行動を起こしたという。仮にこの訂正申請が認可されると、「日本軍の強制によって生じた集団自決」の記述はこれまで通り、日本史の教科書に記載されることになる。他の出版社も現在、訂正申請にむけて検討中らしい。私にはこの度の動きが、長年、その業務に携わってきた専門家たちの良識として映った。その一方で「人の噂も七十五日」といわれるのが世の常である。近ごろでは教科書問題のことも、私の周りではほとんど耳にしなくなった。あれだけ「公式文書を出せ」と騒いでいた俄か評論家たちも、今ではどこにその顔を向けているのか。  
 いずれにせよ、そのような祭り騒ぎのあとでひっそりと行われたのが、今回の「訂正申請」であった。沖縄の縁故者たちはこれをどのように受け止めたか。機会をみて聴いてみようと思う。

 さて、もう一つの記事である。ある男の死だ。出版社が訂正を申し入れたのと同じ日に、遠くアメリカの地で一人の男が息絶えていた。名はポール・ティベッツ。1945年の8月6日、広島に原爆を投下したB29の機長である。彼は爆撃機に、自分の母親の名を冠していた(「エノラ・ゲイ」とは、機長の母のことであり、そして被曝関係者の人々にとっては「悪魔」を示す存在であった)。ティベッツ氏は92歳で天寿をまっとうしたという。彼は最期まで、世の中に対して己の非を認めることはなかった。いや、当然かも知れない。あれは「命令」であり、「正義の手段」に他ならなかった。そして「人間としての私」ではなく、国家、そして世界の未来を背負った「一兵としての私」の所業であったのだから。

 しかし彼は己の死後、墓に自らの体が納められることはおろか、葬儀さえも「やるな」と告げていたという。理由は、原爆投下に批判的な人々の抗議を恐れていたからだった。その恐れにはきっと「軍命であれ、多くに人々の命を奪ってしまった後ろめたさ」も含まれていたことだろう。どのように自己肯定を試みても、克服できなかったもの、それはティベッツ氏のみならず、「あの戦争」を生き残った人々の多くが抱えていたトラウマではなかったか。遺体は希望通り灰となり、海にまかれたと記事は伝えていた。

 私はここへきて改めて、「平和とは何か」という問いにぶつかった。冒頭の二つの記事は、その大きさだけ見れば、実にさり気ないものである。しかし両者は「あの戦争」が、まだ完全に終結していないことを示していた。こればかりではない。その事実はあらゆる事象を通して、日々、私が痛感していることでもある。そもそも、人の一生に深く突き刺さった事件が、「完全に終結する」ことなど本当にありうるのか。
 私は「いまの日本は平和だ」と思いこむ人々に違和感を覚える。今日の日本の歴史観を「自虐史観」と呼ぶ人々に対しても、同様の感情を抱く。確かに日本は現在、表だって戦場となっているわけではない。また、第二次世界大戦の「戦場」を直接経験した人々も、徐々にこの世を去りつつある。反比例して戦争そのものに関心のない人が確実に増えている。

 しかし、だからといって本当に「無知、無関心、無関係」で済まされるのか。現に「あの戦争」の後遺症を引きずっている人々や、その延長(負担)を担って生きている人々も多く存在する。作家の目取真俊は、沖縄の現状を「戦後ゼロ年」と表現していた。本土では遙か昔のことになりつつある出来事を、今も彼の地は「現在・現実」として生きている。こうした人々の「生」があるにも関わらず、なぜ、それでも「平和」と言い切れるのか。

 話を「軍命(軍の命令)」に戻そう。
 沖縄戦ではすべて灰になってしまったといっても過言ではなく、「軍命」の二文字を記した「公文書」を探すのも容易ではない。それらは、当時の中枢部には残っているはずなのだが、都合の悪い資料は、(現在でも同じだが)闇に埋もれてしまう。沖縄県八重山群の「戦争マラリア」でも同じだった。「軍命」により住民はマラリア蔓延の山奥に退去を命じられ、多くの人々の命がマラリアによって奪われた。この際の「軍命」の有無で国家との問題が起きた。この「軍命」の資料は八重山の地域研究者の執念によって、探し出され、国家は「慰謝事業」の予算を組んだのである。そのように己の人生を懸け、地道な活動を続けている人もある。それらの成果を見ようともせず、「戦争は終わった」などと豪語して、都合の良い話ばかり寄せ集めて物語を編もうとすることが、本当に一国の歴史教科書であっていいのだろうか。

 しかし、こうした歴史教科書をめぐる「問題」が生じたのは、何も今回が初めてではなかった。家永裁判しかり、従軍慰安婦問題しかり、この類の話は、時期を狙ってぶり返されてきた。殊に第二次世界大戦下の日本軍が行ったこと、あるいは当時の日本政府の記述項目を巡っては、これまで何度もその浮き沈みがあった。またそうした中で、着実に「過去」が書き換えられているのが、紛れもない事実である。
 不思議でならない。こうして、特定の人々によってある種の「努力」が為され続ける背景には、一体どのような理由があるのか。それは今後、憲法9条を改変し自衛隊を軍隊にするための「空気作り」なのか。日本が戦力を保持し、戦争を選択肢に復活させるためなのか。それらが達成された後、「これが普通の国なのだ!」とでも言いたいのか。しかし私は、そうした中で語られる正義や、愛国や、防衛や、誇りといった精神論をまず信じる気になれない。突き詰めていけばそうした言葉はどれも空虚であり、操る者の心にあるのは「金と名誉と権力(とそれを支える選挙の票)」しかないからだ(ということを、私は「改正前」の日本史で学んだ)。

 ところで前文科大臣は、沖縄の集団自決に際して「すべて日本軍が強行してやらせたと記すのは、いかがなものか」という趣旨のこと語っていたが、彼は一国の大臣として真摯にこの教科書を読んでいたのか。「すべて」とはどこにも書かれていない。そのコメントは本気だったのか、それとも確信した上での言葉遊びだったのか。ともかく、そうした不勉強とも詭弁家ともつかない人々もまた、国を動かす立場にいるのだ。日本が再び、同じ過ちを繰り返さないとは限らない。教科書だけに頼ることなく、これからも様々な参考書を用い、そして人の言葉に耳を傾け、社会の動きを凝視していく必要があると、今、私は感じている。

ぴとで生まれて
畜生ぬ身に堕ちてぃ
戦ぬ哀り
世々に語りょうら
(人に生まれながら畜生の道に身を堕とした。戦世の非人間性を永遠に語り継ぎましょう)

参考>
大田静男『八重山の戦争〜シリーズ・八重山に立つ1』 南山舎 1996朝日新聞、2007年11月2日(朝刊)