あのすば・・・・ 第1回

「あの素晴らしい何々って何?」

田中優子(在日横浜人)

 さてさて連載の始まりです。皆さん、おんな組サイトに連載させてくださってありがとう。新聞でもテレビでもいろいろ言葉に気をつけないと後で大変なことになるので、自由に書ける場所ができるのはほんとうにありがたいです。月1回は書きますので、よろしくお願いいたします。
 連載タイトル「あのすば」というのは、北山修作詞、加藤和彦作曲の「あの素晴らしい愛をもう一度」の愛称です。私は高校生のときから北山さんの大ファンで、今は研究者仲間です。直接お話しした最初は、横浜の中華街で千夏さんや永六輔さんと一緒に座談会にお出になった時でした。それ以来、浮世絵研究の仲間です。千夏さん、いい機会をありがとう。
 ところで私は江戸文化研究者です。明治以降の日本の変化や今の価値観を、いろいろな局面で「おかしい」と思っています。たとえば手仕事がなくなって大量生産が始まると、楽になったはずなのになぜか仕事を嫌う人が増え、できるだけ働かずにお金を儲けようとします。「仕事」が「お金」に換算され、お金は価値があるけれど、仕事は価値が無くなったからです。今の「万事お金」傾向はもう産業革命期に用意されていたわけです。
 私は横浜市西区久保町の「ニコニコ商店街」裏の長屋で生まれ育ちました。中学生になった時に、とても賢こい母親の「尽力」で私の生まれた家は取り壊され、私の大事にしていたイチジクの木は切り倒され、2階建ての家が建ち、私の勉強部屋ができました。兄が東大受験の準備をしていたからでした。その結果、兄はめでたく東大に入りました。しかし私は今でも「なんだかへんだ」と思っています。長屋が2階建ての勉強部屋付きの家になった時、私は少し不幸になったからです。今でも夢に出てくるのは、狭い西日の当たる長屋のほうなのです。なにより忘れられないのは、毎日登っていたイチジクの木です。その後私は点々とした後に、職場である法政大学が越した町田市の奥で、今まででもっとも広い家に住んでいますが、じつはニコニコ商店街裏に帰りたくてしかたないのです。心は「あのすば」状態です。
 私はこのように「後ろ向き」の人間です。未来より過去の方が好きです。前向きに希望を持って生きることができません。失ってしまったものの方が大事に思えます。そこでいっそのこと、「あの素晴らしい〜」に「もう一度」思いをはせ、復興させたり取り戻すことができることはそのようによびかけ、できないことにはノスタルジックな感情をみなぎらせ、という連載にすることにしました。よろしく。
 

 
あのすば優子