第12回 乙女の経験6
福祉女子から障害女子に 変身トォーッ (@_@)
今も昔も福祉系女子は、希望する職種を少し広げれば就職先には困らない。4回生までサークル活動をし、卒論を書いてからの就活でも社会に出ていけた。ところが、私はそんな容易には職にありつけなかった。ピサの斜塔の体は、社会ではキャラではなく障害として受け取られた。
3回生時、ゼミ担当教授は障害者手帳の収得を進めた。生まれた時から私はなんにも変わっていなかった。が、この時点で私はれっきとした障害者であると証明された。手帳には、体幹機能障害・2級の文字。(7級から1級で1級が一番重度)
今は私のような言語支障や神経麻痺がある者は、生活困難度も加味されて総合的に障害等級がつく?ことになっている。が、戦争負傷者に国としてなんらかの施しをしなければ…というのが障害者等級の骨子。当時は見た目の欠損が重要視されていた。手足があるかないか・指のなん関節まであるかないか・歩けるか歩けないか。
そして、職場が求める障害者とは、手足がなくても電動車いすや車を操り健常者同様、いやそれ以上に行動範囲も広くひとりで仕事がこなせる者。人や道具のちょっとした手助けでできる仕事もあるかも知れない者は取り残される。少し曲がった足をスカートにしまう、小指のひと関節を右手で覆う、きれいな声できちんと受け答えができる彼女たちに太刀打ちできるはずがない。
そりゃー、人と少しだけ違う部分を隠して生きなければならない辛さも想像できる。7級でも障害女子ですからと言われれば、♪はい・それまでよー♪だ。
でも、一つしか用意されていない椅子にメイクばっちりきめたあなたが座っちゃう?こちとらどこからどう見てもばっちり障害女子だぜ!
障害者雇用って障害者のためにあるんじゃなくて企業のためにあるんじゃん。なんどもなんども唇をかんだ。
それでも、あの頃は元気に来る日も来る日も就職面接を受けていた。社会に出たい一心で・・・。
「障害者手帳も障害者年金もとんでもない!」という親の強固な考えのもとで育った私。
自分の思わぬ障害等級に驚き、バツの悪そうな顔を教授の前でしたのだろう。頑張る障害女子の心を傷つけないように言葉を選んで教授は諭した。
「疲れませんか?。君は歩くというより…。今までの人生の歩み方は努力の賜なんだけど。悲しいかな、まだ社会は報いを用意していないでしょ。僕もご縁をつなごうとしているんですが…」はらはらと涙が頬をつたった。「両親がどう考えようと君がどう思おうと勝手です。が、君はやはり障害者なんです。2級どころか特級のね。だから胸を張りなさい。胸を」とっきゅー?!泣き顔が笑顔に変わった。
あれから、37年。没一独り身・還暦目前の障害女子。自他ともに認めざるをえない動きにくさ・話しにくさ・食べにくさ。憎々しい(いや違う・肉々しい)体に胸など張れない。が、今も何かに変身トォーッ
なにかってなんやねん(@_@)
ユーカリ(花言葉ー再生)
ムスカリ(花言葉ー失望とその先の明るい未来?)