難民と共に・・・・ 「ありがとう」
 
おんな組いのち世話人 辛淑玉
 

 クルド難民の難民申請問題は、多くの人の力によって少しづつ動き始めています。
 私は、問題が起きるといつも3つの枠に分けて行動をします。
 1.政治的な対応
 2.法的な対応
 3.生活支援

 政治的な対応は、国会議員との連携が必要です。
 そのためには、現場の状況をわかりやすくまとめ、どういう動きをしてもらいたいのかを提案することです。

 法的な対応に関しては、弁護士と歩調をあわせ社会的なムーブメントをどこまで盛り上げられるかを企画します。
 生活支援は、私たちのネットワークで、経済的、物質的、言語的なフォローをできるしくみをつくることです。

 その中で、今回、署名運動というのはとても大きな意味を持ちました。
 署名の数は、その問題に多くの人が関心を持っているということだからです。
 同時に、短期間で集めなければならないときが多く、心ある人々が集まって対応しても苦戦するときもあります。
 しかし、今回は、とても大きな輪ができました。
 岸本さんをはじめとした、大阪のネットワーク、畑山さんを中心とした広島のネットワーク、そして、全国の講演会会場で、話を聞いてくれた人たちによる各地での取り組みなど、現場で汗を流しているメンバーにとっても大きな支援となりました。
 特に『連合東京』のネットワークでは、一ヶ月もない状態の中で、約2万もの著名を集めていただき、その一枚一枚を見ながら、胸が熱くなりました。
 ありがとうございます。
 この場をお借りして、署名に関わってくれたすべてのかたがたに心からお礼申し上げます。

(2004年11月5日)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 10月4日、2家族と支援者の打ち合わせを行った。
 その時点での署名の数は約2万4千。
 せめて4万の大台に乗せないと、影響力を持たないといわれていた。
 降りしきる雨の中、渋谷のネオンを見ながら、連合東京の遠藤事務局長の携帯に電話をした。

  「会いたいのです」
  「今日か?」
  「はい、15分でいいので時間を取ってください」
  「どうした?」
  「助けてほしいのです」
  「いま、重要な打ち合わせ中だから8時半以降でいいか?」
  「はい、どこでも行きます。何時でも待ちます」

【連合東京の遠藤事務局長】  

 裁判などの日程を考えると、もう私の力では短期間に大量の著名を集めるのには限界を超していた。
 遠藤事務局長といえば、頭に浮かぶのは低い声、険しい顔である。厳しい労働運動の中で、筋を通して生きてきた人だ。
 個人的に話をしたことはないが、そのぶれない姿勢にいつも尊敬の念を持ってみていた。
 私の人生の中で、個人的に「助けてほしい」という言葉を発したのは、おそらく初めてのことだと思う。 
  
 連合東京の会長室で待っていると、扉が開いた。
 そして私の顔をを見るなり「難民(の問題)だろ」と言った。
 私は、その一言で涙がポタポタこぼれ落ちた。


 組織を動かすということは並大抵のことではない。
 まして、組織である以上、きちんとした書類での決済が必要だ。
 しかし、今回の署名は、それらのルーチンを越えて組合の人たちが動いてくれた。
 現場で雨の日も嵐の日も声を上げ、2家族と寄り添っていた多くの友人の思いと、つながった気がした。
 声を上げれば応えてくれる人たちがいる。
 
 今回、著名活動に協力をしてくださった、「情報労連東京都協議会」「東京交通労組」「東京地下鉄労組」「自治労東京都本部」「東京教祖」「東急観光労組」「全水道東京水道労働組合」の皆さま、本当にありがとうございました。

 

ご協力ありがとうございました。


難民と共に −その手を離してはいけない−

 7月13日から9月22日まで、72日間国連大学前で座り込みをしていた2家族12人のクルド難民の支援をしています。

 クルド難民の友人らは、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)が入っている国連大学ビルの前であるなら、安全であろうという思いで、最後の力を振り絞って声を上げました。
 声を上げれば、かえって日本政府から厳しい処罰を受けることは十分に理解をしていましたが、10年近くに及ぶ何の進展も無い今の状況下で、しかも送還されるかもしれないという恐怖の中での追い詰められた行動でした。
 そこまで、無視して放置してきた私たちの責任の重さを痛感しています。

 退去命令が出て家族が30人の機動隊に囲まれたとき、難民達はガソリンをかぶりました。

★9月22日 国連大学前 撤去当日の流れ(詳しくはこちらを見てください)
http://www.bekkoame.ne.jp/~pyonpyon/fjc/04/09/22a.htm

 東京新聞の記者をはじめ、多くの友人がそれを止めました。
 東京新聞の記者は、取材という自分の立場も忘れて、飛びついたのです。
 私は、そこに人間としてのあるべき行動を見ます。

 しかし、そのとき、娘のハティジェとメルジャンは、「止めないで!死なせて」と言ったと聞きました。
 もし、彼らがこのまま飼い殺しの状況で、最悪は強制送還となった場合、「なぜ、あの時死なせてくれなかったのか」とだけは、決して、どんなことがあっても言わせてはいけないのです。

 弁護士や福島瑞穂国会議員らのすばやい対応で、自主退去の時間をもらい、2家族は荷物を引き払い、小さな仮住まいに戻りました。

 しかし、問題は何一つ解決されていません。

 彼らの生活の改善も、働くことも、医療を受けることも、日本語を学ぶこともです。生きること全てが、閉ざされた中で、日本語が不自由なドーガンさんの妻は、私の腕の中で長い時間、震えながら泣き続けました。
 
 私は、難民問題に関しては、十分な知識がありません。
 これから学んでいきます。

 しかし、不勉強であっても、彼らと共に生きることがこれほど難しく、また、人間として扱われない彼らを放置することは、人間としてやってはいけないことであると思っています。

 彼らを通して、声も上げられずに震えている難民の人たちを思います。
 わたしたちの社会は、もっと豊かで、もっと良心があ
るはずです。
 少しの時間と思いを、彼らのために使っていただけないでしょうか?
 (2004年10月5日)


■お願い■

   1.著名を集めています。
     日本国政府にクルド人の難民認定を求める署名
     
   2.カンパを集めています。
    『クルド人難民二家族を支援する会』  口座番号10140-99924511

   3.イベントに参加してください。
     
   4.2家族のことを知ってください。
     難民2家族(カザンキラン・ドーガンさん)のHP
     Kurdish in Japan(http://www.freewebs.com/kurdjapan/)
     彼らの思いが具体的に語られています。

   5.支援者のサイト
     ・喜納昌吉のサイト(http://kina8888.net/new/912.html)
     ・ムキンポさんからみた72日間(写真)
     (http://www.mkimpo.com/diary/2004/kurd_sit_in_2004-09.html)



署名やカンパに協力してください。

ク ル ド 人 難 民 に 国 は 難 民 認 定 を !
<転送可・転載可>

 いま東京青山の国連大学前で、クルド人の2家族が、地方裁判所が下した難民認定申請却下という判定に対し座り込みの抗議行動を行っています。2人の幼児を含む座り込みは初めてのことであり、各方面の関心を集めています。
 クルド民族は国を持たない民族としては世界最大の民族であり、それぞれの国において複雑な国際政治に巻き込まれてきた歴史をもっています。特にトルコにおいては公的な場でのクルド語使用を禁止されるなど民族の文化を否定されてきました。90年代に入ると迫害が激化したため、難民として欧米諸国に移住する人が増えました。同時に、トルコからビザなしで入国できる日本に来る人も増加しています。現在300人ほどのクルド人が日本で暮らしています。この2家族の場合も国連からは難民として認定されており、日本が難民認定をしないのは国際協約違反であり、もしもトルコに強制送還された場合はこの2家族を命の危険にさらすことになります。
 私は埼玉県川口市の定時制高校で教員をしていますが、2家族の中のカザンキラン家の姉妹二人が在学しており、そのクラスの担任をしています。二人とも来日してから1年半でありながら日常会話はほとんど不自由なく、授業に関しても積極的に取り組んでいます。またバスケット部の活動にも熱心で、学校の中でみんなに愛されています。ただ生活は苦しく、母と姉の働いていた会社が倒産したり兄がリストラされるなど、家賃も滞納しているような状況です。担任としてはせめて授業料の免除をとりたかったのですが、難民申請が認められないような状況では、申請しても却下されるのは目に見えています。カザンキラン姉妹はよく「そばにいる日本人やこの学校は大好きだけど、入国管理局とこの国のシステムは大嫌いだ」と言います。入国管理局に呼ばれて遅刻してきたときは、そこでいかにひどい扱いを受けてきたかを切々と私に訴えました。そんな時に私は恥ずかしくてなりませんでした。「国際化教育」を掲げながら、欧米以外の外国人に対するこの扱いのひどさはなんなのでしょうか?
 この家族のおかれている状況をよく知るものの一人として、今回のこの行動はやむにやまれぬものであるとよく理解できます。通算8度に及ぶ難民申請をことごとく拒否され、第三国への移住も国際的に豊かだとされている日本で難民と認定されない状況では非常に難しい。トルコへ強制送還などという事態になれば、それこそ命の危険があるのです。
 二人の幼児とともに座り込みに参加している、もう一方の家族であるドーガンさんは、児童相談所が児童虐待の疑いがあると言ってきたと苦く笑いました。今までどんなに苦しくても何も救ってくれなかったのに、何故こんな時だけそういうことを言うのかと。難民として受け入れず、人権を認めないのに、こういう時だけ人道的なことを振りかざす。それはどういうことなのかと。
 このような訴えに対して、私はこの国の一員であることを恥ずかしく思いました。そして彼らに対して同情しているだけでは、結局何ひとつ解決につながらないと考えました。そこで彼らを支援する会を結成することにしました。日本国政府に、カザンキラン・ドーガン両家族をはじめとするクルド人の難民認定を求める運動をやって行きたいと考えています。
 どうか署名とカンパにご協力をお願いします。

          クルド人の難民認定を支援する会(略称「クルドの会」) 代表 ・ 東  文 男



■クルド難民、及び、日本の難民の基礎資料■

 日本にいるトルコ国籍難民の申請・認定数
 (1)日本の難民認定制度の中での位置
    日本における全難民認定申請数
            申請件数   認定件数  人道的な在留許可
     2000年  216件   22件    36件
     2001年  353件   28件    67件
     2002年  250件   14件    40件
     2003年  336件   10件    16件

 (2)日本におけるトルコ国籍者からの申請(ほとんどがクルド人)
            申請件数   認定件数  人道的な在留許可
     2000年   40件    0件     0件
     2001年  123件    0件     1件
     2002年   52件    0件     1件
     2003年   77件    0件     0件

 (3)各国との対比
 日本では一般に難民認定数は著しく少ないのですが、そのなかでも、トルコ国籍クルド人に対する認定が全くないことは、異常です。その異常性は、他の難民条約締約国と対比すると、さらに際立ちます。UNHCRが発表した各国によるトルコ国籍者(その大部分がクルド人であると考えられる)の2003年における難民認定数は、合計3,448人であり、その他に、人道的配慮により救済されたトルコ国籍者が、497人います。認定数が多い国を見ると、
            認定件数    人道的な在留許可 (2003年)
     ドイツ   1110件     118件
     フランス   766件
     カナダ    738件
     USA      34件

 クルド民族は国を持たない民族としては世界最大の民族で、それぞれの国で複雑な立場に置かれました。特にトルコでは、公的な場でのクルド語使用が処罰されるなど民族の文化を抑圧されてきました。抵抗運動を押さえつけるために、トルコ政府は90年代に、多くのクルド人を村ごと強制退去させて家を焼き払い、その被害者は民族の6分の1以上とも言われます。EU等が非難して人権問題の改善を求めてきましたが、未だに、クルド人としてのアイデンティティを政治的に主張すると、逮捕や拷問、訴追のおそれがあります。

 日本政府がトルコ国籍クルド人を一人も難民と認めなかった結果、たくさんのクルド人が収容所に収容されました。国連難民高等弁務官事務所が難民と認めたのにそれから1年以上も収容所に入れられた人もいます。収容されない人も、入国管理局から監視され、住んでいる県から出ることを禁じられ、就職を禁じられ、生活保護も拒否されて生活に困窮し、乳幼児もいるのに国民健康保険に入ることも許されません。トルコに送還されて実際に逮捕、訴追され、拷問を受けた人もいます。
 さらに、今年7月、入国管理局の職員が、わざわざトルコに行き、難民申請者十数人の名をトルコ政府に漏らしたり、トルコの警察や軍隊と一緒に申請者の実家を訪れたりしました。入国管理局はこれを調査のためにしたと言っていますが、難民申請者の氏名などを、迫害者である本国の警察や軍に伝えることは、絶対にしてはならないルール違反です。
 あるクルド人Aは、トルコに住んでいましたが、本年7月に法務省入国管理局職員がトルコに赴いた際に調査対象とされたクルド人のうち1人の親族であり、また以前Aが日本に滞在していたことなどから、同調査対象とされ、そのために、本年7月下旬から、トルコの警察から連日深夜に出頭を求められて尋問を受けるなどの圧迫を受け、妻子と共にトルコを出国し、再来日するに至っています。法務省入国管理局は、難民認定を担当するに不適任であるだけでなく、難民の関係者に危害を及ぼすことに荷担してしまいました。
 ところがAに対し、入国管理局が上陸を拒否し、退去強制を命じて、現在収容しています。妻子は解放されていますが、Aと離ればなれにされ、生活にも困っています。


日本におけるトルコ国籍者からの申請

諸外国における難民認定件数

★クルド民族、クルド難民について情報を得られるサイト
 http://members.at.infoseek.co.jp/postx/ron/kurd.html
 http://www1.odn.ne.jp/~cbq97680/index.htm

★日本の難民制度について情報を得られるサイト
 http://www.ref-net.org/ 難民受入れのあり方を考えるネットワーク
 http://www.amnesty.or.jp/refugee/ アムネスティ・インターナショナル日本支部
 http://www.refugee.or.jp/ 難民支援協会



■メディア報道■

http://www.mkimpo.com/diary/2004/kurd_sit_in_2004_articles.html
http://www.japantimes.co.jp/cgi-bin/getarticle.pl5?nn20040915f1.htm
http://www.asahi.com/national/update/0914/031.html
・The Japan Times Online  Saturday, July 17, 2004
・埼玉新聞 2004年7月24日(土)
・毎日新聞 2004年7月24日 東京夕刊
・東京新聞 2004年7月29日(木) 夕刊
・週刊金曜日 第518号 2004年07月30日 金曜アンテナ
・朝日新聞 2004年8月4日(水)



■難民を支援する市民グループ・NGO■

日本カトリック難民移住労働者委員会
 http://www.jade.dti.ne.jp/%7Ejpj/JCARM-INDEX.html
 
移住労働者と連帯する全国ネットワーク(移住連)
 http://www.jca.apc.org/migrant-net

難民支援協会 
 http://www.refugee.or.jp/refugee/ref_jp.html

アジア福祉教育財団 難民事業本部(RHQ) 
 http://www.rhq.gr.jp/

難民受入れのあり方を考えるネットワーク(難民ネット)
 http://www.ref-net.org/

アムネスティ・インターナショナル日本
 http://www.amnesty.or.jp/

・すべての外国人労働者とその家族の人権を守る関西ネットワーク(RINK)
      
・難民・移住労働者問題キリスト教連絡会
 新宿区西早稲田2−3−18−24  NCC気付

在日難民支援ネットワーク「RAFIQ」
 http://www.itrek.jp/~rafiq/(関西中心)

・ASIAN PEOPLE'S FRIENDSHIP SOCIETY(A.P.F.S.)
 板橋区大山東町26−9 伊澤ビル1F
          
難民受入れのあり方を考えるネットワーク
 http://www.ref-net.org/

難民支援協会
 http://www.refugee.or.jp/

日本のアフガン少数民族難民申請者の現在 
 http://www.kt.rim.or.jp/~pinktri/afghan/index.html

アフガニスタン難民アリ・ジャン君のホームページ
 http://www.alijane.org/



■トルコにおけるクルド難民の状況■

 トルコにおけるクルド人の状況については、裁判でも争点となっていることです。

 10年前はどういう状況だったかというと、まず、軍がクルド人村落に対して、村を退去しないと殺す等と脅して強制退去させ、そのうえ家を焼き払う作戦を南東部で広く行い、その犠牲者はトルコ政府発表でも100万人近く、人権団体の報告では300万人以上です。トルコに住むクルド人の総人口の正確な統計はありませんが、1200万から1600万人くらいでしょうから、最悪の統計値では4人に1人が犠牲になった計算です。村を追われ町に住んだクルド人は、スラムに住んだ人が少なくなく、また市街地では警察による専横的な逮捕や家宅捜索に曝されたようです。つまり、クルド民族であるだけで、大変な危険にさらされていたようです。
 現時点で、軍はこのような作戦行動を行うことは希なようです。
 
 言語や文化の権利についても、特にここ数年、EU加盟を目指す法律の改正がなされていることも間違いありません。
 しかし、国際人権条約が定める、「民族的マイノリティーの権利」が、十分保障されるに至ったかというと、そこまではとても至っていません。
 トルコがEU加盟を認められない大きな理由のひとつは、トルコ政府の人権侵害と少数民族の弾圧にあります。
 EUが2001年に発表した報告書は、トルコが、民主主義及び法の支配を保障するために必要な制度上の改革を実行することについて遅れていること、人権全般の状況は多くの面で悩み続けていること、拷問と虐待が根絶からは遠いこと、刑務所の状況が改善されていないこと、結社と集会の自由だけでなく表現の自由はまだ恒常的に制限されていること、人口が主にクルド民族である南東部の状況は大幅には変わらなかったことを指摘しました。
 2002年11月に発表されたの報告書は、2001年の憲法改正を歓迎しつつも、今後の注意は法改正が効果的に実施されるかに向けられるべきであること、種々の変化にもかかわらず基本的自由の行使に対する多くの制限が残されていること、トルコで個人が現実に基本的自由の行使を享受できる程度は、施行される立法の詳細及び法律の実際の運用にかかっていることを指摘しました。
 2002年12月、ヨーロッパ拡大EU委員会委員長は、拷問がトルコで完全に根絶しない限りトルコとの交渉は始めないとの演説を行っています。
 クルド人としての自覚を持つ人が、暮らしにくい国であることは、変わりがないようです。

 ところで、「民族的マイノリティーの権利」が保障されていないからといって、必ずしも難民と認められるわけではありません。日本の法律の上で難民になる条件は、難民条約という国連条約が決めた基準に従っていて、「政治的意見」「国籍」「人種」「宗教」「特定の社会的集団の構成員であること」のいずれかの理由で、「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する者」であることです。
 ですから、法律上の「難民」にあたるためには、受ける可能性のある人権侵害が「迫害」というほどひどくなければなりません。
 他方で、クルド人全員に迫害のおそれがある状況でなくても、ある人が、クルド人であることを背景にして、一定の政治的活動をしたことで迫害を受けるおそれがあるという場合、その人は日本の法律でも難民です。

 これを前提として、トルコが難民を生む状況にあるかどうかというと、UNHCRの2001年の報告書でも、「クルド人は少数民族としての権利をすべて否定され、民族としてのアイデンティティの表明はトルコ当局によって容赦なく弾圧されてきた。」とあり、また英国移民局の2003年4月の報告書(2002年までの状況を報告している)は、「公的または政治的にクルド民族のアイデンティティを主張するクルド人は、嫌がらせ、不当な扱い、迫害などを受ける危険を冒すことになる」とあり、また2004年2月25日に発表されたアメリカ国務省報告(2003年までの状況を報告している)でも、
Millions of the country scitizens identified themselves as Kurds and spoke Kurdish.Kurds who publicly or politically asserted their Kurdish identity or publicly espoused using Kurdish in the public domein risked public censure,harassment,or prosecution.
とあります。
 
 それなので、2003年の1年間に限っても、諸外国は以下の人数のトルコ国籍の難民申請者を難民認定しています。
  ドイツ 1、110件   フランス 766件  カナダ 738件

 また、エルダル氏はイスラム教アレヴィ派なわけですが、同派がおかれている立場については、英国移民局レポート2003年4月版で、「20世紀までは、アレヴィ派は人里離れた土地で暮らすことで生き延びてきたが、徴兵制度や職を求めて町にでたりすることで、特にクルド人アレヴィ派はスンニ派の偏見と敵意に曝される機会がますます多くなっている。」、同レポートに引用された「トルコからの庇護希望者U」報告に、情報提供者のことばとして、「警察は、アレヴィが左翼なので憎んでいる。これは重大な問題である。左翼的な人に対しては一般に強い憎悪がある。」とあり、さらに同レポートは「公安警察は、クルド人アレヴィは左翼だろうと考えて虐待する傾向があることは、著者に情報提供した数名から聞かれた。」とあり、1993年のシバスでの37人の虐殺、1995年のイスタンブールの暴動で28人が死んだことが紹介されています。

 そんなわけで、トルコは未だ難民を発生させる状況にあります。
                 (クルド難民弁護団事務局 大橋毅弁護士コメントより)



■国際社会からの批判■

      -------------------------------------------------
      アムネスティ発表国際ニュース
      AI INDEX: ASA 22/208/2004
      2004年9月2日
      日本:政府がトルコにいる難民の家族を危険にさらす
      -------------------------------------------------

 日本政府は、日本への難民申請者の家族を調査するため、トルコ警察との協力の下、トルコに職員を派遣している。
 これは大変な問題であり、庇護希望者とその家族の保護に深刻な影響を与えるものである。

 8月、法務省は、14人のトルコ・クルド人に関するトルコ国内での調査報告を、東京地裁に提出した。この調査報告で、法務省は、難民申請者の母国を調査し、「彼らの生活状況を明らかにする」必要性を正当化しており、この14人は金を稼ぐために来日したとしている。今回のトルコでの調査は、2004年4月に東京と名古屋の地裁が、難民としての地位を求めている二人のトルコ国籍者について難民として認定すべきであるとする判決が出た後に行なわれたと考えられる。

 トルコでの調査は庇護希望者とその家族を更なる危険にさらし、トルコにいる家族との連絡を断った。トルコにいる兄から、日本の政府関係者とトルコ警察が家にいると電話がかかってきたという難民申請者の例もある。日本の外交官は自分の身分を明かし、彼になぜ二人の弟が日本に行き庇護を求めているのか、理由を聞いた。

 また、彼は弟たちが関与した政治活動がどのような性格のものだったかについても尋ねた。その電話以来、日本にいる難民申請者はトルコにいる兄や両親と連絡が取れていない。

 難民高等弁務官事務所(UNHCR)は、8月、難民としての地位を求めるトルコ・クルド人の扱いについて、日本政府を批判した。とりわけ、難民高等弁務官事務所は、今回のように、法務省の職員を派遣し、トルコ当局の協力の下、難民の家族を調査するという政策に言及している。

 アムネスティ・インターナショナルは、難民申請者に関わる情報をトルコ当局へ提供したことにより、難民申請者が強制送還された場合、恣意的拘禁、拷問、虐待などの重大な人権侵害が起きる危険性を、日本政府が高めてしまったと考える。

 東京地裁は、トルコ・クルド人二人による、法務省の難民不認定処分に対する取消訴訟を審議中である。二人が言うには、彼らは1990年代末にトルコでクルド人の権利保護を求めるデモに参加し、拘禁され拷問を受けた。1999年、彼らは日本に逃げ難民申請をしたが、不認定となった。

 トルコから来た人の難民申請は未だ一件も認定されておらず、不服申立が認められる見込みも少なくなりつつある。
 1982年に日本が難民条約の締約国となって以来、トルコ国籍(ほとんどがクルド人の庇護希望者)を持つ人びとが、483件の難民申請(2004年8月現在)を行なっているにも関わらず、である。

 アムネスティは、日本政府当局に対し繰り返し懸念を表明し、入国管理当局によって、難民申請者が公正かつ満足のいく手続へのアクセスが拒否されているとしてきた。アムネスティは、また、これによって「ルフールマン」(生命、自由、身体の安全が脅かされる地域への国外退去や強制送還)を引き起こすかもしれないと指摘している。ノン・ルフールマンの原則は、日本が締約国となっている2つの国際条約、つまり難民条約(1951年)と拷問等禁止条約(1984年)に規定されている。
 
 ◇原文(英語)はこちら。http://news.amnesty.org/index/ENGASA222082004



■庇護希望者の抗議行動に関するUNHCRのコメント■
(「UNHCR Japan」のサイトより)

UNHCR東京事務所
2004年8月17日

 UNHCR駐日地域事務所は、7月13日から続いているUNハウス(東京・渋谷区)前での庇護希望者および支援者による抗議行動を注視しています。

 これは、庇護希望者たちが日本で難民としての地位の付与を求める行動の一環として当局に対して行っており、UNHCRに対しても援助を求めています。これまでUNHCRはしかるべき解決策を見出すため当局に働きかけてきました。

 UNHCRの見解としては、正当な難民としての主張をする者は、日本で保護を受けるべきであり、第三国への再定住は適切ではありません。彼らの不満は理解しており、同情も寄せていますが、この抗議行動によってUNHCRの第三国定住に関する方針を変えることはありません。

 UNHCRは、特に一部の家族が、子どもたちを抗議活動に参加させていることに懸念を表しています。子どもたちを抗議行動に参加させることは心身の健康に悪影響を与え、彼らの福祉を脅かすので不適切であると保護者らに助言してきました。

 また、抗議行動によって、一般の方のUNハウスへのアクセスが損なわれ、また国連諸機関の業務に支障をきたしているため、UNHCRは敷地内から立ち退くよう要請しましたが、これは聞き入れられませんでした。そこでUNHCRは建物の入り口から離れたところにテントを建て、庇護希望者に提供しました。これは一時的な処置であり、抗議行動にUNHCRがさらに物的援助を行うことを示唆するものではありません。UNHCRは、彼らの庇護希望申請が当局に審査されている間、国連大学敷地内から立ち退くよう勧告して参ります。


 
■2家族が国連大学前で手渡された文書(原文英文)■

国際連合 抗議行動に関する通知
2004年9月8日

 国連ハウス敷地内において抗議行動中の人々に対して手渡された2004年8月12日、13日、17日そして24日付け別添4件の通知に関連し、国連ハウス敷地内において抗議行動を実行している方々へ、下記のとおり勧告いたします。

 国連の方針として、建物内または敷地内への侵入、徘徊、組織的デモや座り込み、プラカードないし旗などの無断掲示、拡声器の使用またはそのほかの同様な活動は一切厳禁されています。日本政府は、1976年に現行の法律法規の下、国連ハウスの敷地に許可を得ずに侵入しようとしたり、または、その近辺において国連ハウスの活動を故意に妨害しようとする個人または団体から、国連ハウスの敷地を最善の方法を用いて守ることに合意しています。

 2004年7月13日以降、敷地内において国連職員および訪問者を守るため確実な追加的安全対策を執ることが必要となっています。この種の対策に関するいくつかの公告は、既に国連ハウス敷地内に掲示されています。

 国際連合が特に憂慮していることは、抗議行動実行中の家族の中に、幼児・児童を抗議行動に加えている家族があることです。このグループの大人に対して、この種の抗議活動に幼児・児童を巻き込むことは、彼らの安寧を脅かし不適切なだけでなく、彼らの精神的・肉体的健康にも悪い影響を及ぼすものであるということを忠告しています。国際連合はさらに、このような悪天候の状況の下での抗議行動の継続は、抗議行動に係わる全ての関係者が重大な危険に陥るおそれがあることを非常に懸念しています。国際連合は、抗議行動者および行動者の持ち物にいかなる危害や危険が発生しても、一切責任も義務も負うことができません。

 以上の点を踏まえ国際連合は、国連ハウス敷地内において抗議行動を行っている方々へ、敷地外への穏やかで、速やかな撤退を勧告します。この要請に従って行動が行われない場合、遺憾ながら日本政府当局へ援助を求める以外、他に手段が無いことをここに明記します。
(非公式日本語訳)