これに思いこれに学ぶ・・・鳩山法相の「自動死刑」発言

在日伊豆半島人 中山千夏

 

〔教材〕
2007年9月25日、組閣間もない閣議後の記者会見で、鳩山邦夫法相が述べたこと。(日経ネットによる)
(1)「法相が絡まなくても、自動的に客観的に(死刑執行が)進むような方法を考えたらどうか。法相に責任をおっかぶせる形ではなくて」
(2)「死刑を受けるべき人間は執行されないといけないが、(法相は)誰だって判子をついて死刑を執行したいと思わない」
(3)「ベルトコンベヤーって言ってはいけないが、乱数表か分からないが、客観性のある何かで事柄が自動的に進んでいけば、次は誰かという議論にならない」

〔鳩の系譜〕
ちょっと前まで、「鳩山」はハト派なのかと思っていた。
京大滝川事件の詳細を知るまでは。
滝川事件とは、1933年におきた、大学の自治弾圧事件。当時、民間人にも人気の高かった京都帝国大学の法律学者・滝川幸辰の辞職を、時の文部大臣が京大総長に要求したのが始まり。理由は滝川の自由主義的な(と文部省が判断した)思想・学説だった。教授会が拒否すると、文相は強引に発令して滝川教授を停職処分にした。これに全国の教授会、学生などが反発し、反政府運動が強まったが、政府は治安維持法を使って、これを暴力的に弾圧した。
戦後、米軍の施政下で、滝川教授および彼に同調して辞職した教授たちは、全員、名誉回復、復職を許された。一方、事件当時の文相は、軍国主義を台頭させたとして、公職追放となったが、滝川事件も公職追放の一因だったという。
その文相が鳩山一郎。現法相の祖父。事件の詳細を知ると、ハトどころか獰猛なハゲタカだ。その息子も政治家なら、その孫である兄弟も政治家、しかも全員、常に政権党の重役。彼らは滝川事件をどう総括しているのだろうか。
今回の鳩山法相発言は、政府がその存在を拒否する人間に対しての冷酷さにおいて、おじいちゃんに通じる。

〔押印〕
(1)の非常識には唖然とする。トップの責任をよく理解している欧米の報道陣は、たぶん大笑いしているだろう。
ことがなんであれ、組織決定を確認し、そして全責任を負うこと、これこそがトップの職務だ。まさに大臣はそのためにこそある。「法相に責任をおっかぶせる形」が正しいのだ。
杉浦正健元法相は「責任をおっかぶって」断固、死刑執行に押印しなかった。同じ10カ月の任期で長勢甚遠元法相は、「責任をおっかぶって」10回押印した。私は押印しない法相を支持するけれど、「責任をおっかぶった」という意味では、歴代どの法相も正しかった。
組織決定の「責任をおっかぶりたくない」と公言する大臣は、これが初めてなのではないか。新種。珍種。ユニーク。レア。
きっとブッシュは思うだろう。
まったくね、大統領に責任をおっかぶせる形じゃなく、戦争できたらいいのにな。

〔「誰」は誰〕
(2)はみごと、雲上のお坊ちゃんの視点だ。「誰だって判子をついて死刑執行したいとは思わない」。他社の記事も確かめてみたが、確かに「判子をついて」が入っている。
まさしく、鳩山くんが救いたいのは、「判子をつく」者だけなのだ。彼の案では、執行過程から逃れられるのは法相(および法務省のエライさん)だけだ。
なぜなら、ベルトコンベアも乱数表も、死刑執行書類を作成することはできないし、受刑者を処刑台まで連れてゆき首に縄をかけて床を落とすこともできない。
彼らを、鳩山法相は、まったく見ていない。彼らの苦しみを知らない。法相仲間のことしか頭にない。
教えてあげよう。「誰」は判子をつく者だけではない。誰だって死刑執行したくないのだ。私だって、死刑制度を支持することで死刑執行の片棒を担ぎたくない。だから、死刑制度を廃止しよう、と言っているのです。
廃止論を持て、とまでは言わない。高等すぎて、きみにはちょっと難しいかもしれないからね。せめて、「誰だってしたくない執行にたずさわる職員たちの俸給を大臣と同じにする」くらいのことを、ウソでもおっしゃい。

〔問題は順番か〕
執行実務にたずさわる職員が人に見えないくらいだから、鳩山法相に受刑者が人と見えるわけがない。ベルトコンベアや乱数表が出てくるのは当然だ。
それにしてもズレている。たぶんこの人、死刑制度について、つい昨日まで考えたことがない。問題は「次は誰か」を「議論」なく決めること、だと思っているらしいから。
それなら、ベルトコンベアや乱数表を持ち出すまでもない。刑法が決めているように、確定から6カ月以内に、確定した順に機械的に執行すればいい。
なぜそうしないのかって? はい、鳩山くん、教えてあげよう。
死刑とは徹底的に取り返しのつかない刑だからだ。もしかすると冤罪かもしれない。もしかすると量刑が過重かもしれない。これほど悔い改めている人を殺すのは、もしかしたら正義ではなく悪事かもしれない。そんな懸念を含みながら機械的に人間を消すなんて、さしもの国家権力も、現代では躊躇するからだ。ナチス国家を認めず、国連が死刑廃止条約を採択(いわゆる先進国のなかではアメリカと日本のみ反対)している現代国際社会では、そんな死刑執行はブーイングの嵐を受けるだろうからだ。
私のように、極悪人の生命も奪うな、という主張を持てとは言わない。きみには難しいだろうからね。しかし、せめて、死刑を執行する時には、悩み逡巡し考えに考えるべきだ、とウソでもおっしゃい。人ひとり殺すのだよ。

〔結論〕
法相、辞めたほうがいんでね?

                         <2007年9月28日>