第341回 山の中から

佐古和枝(在日山陰人)

またとない大型連休です。みなさま、いかがお過ごしでしょうか? サコめは、携帯電話もインターネットも、テレビもラジオもない山の中。あるのは、美味しい空気と水、土の匂い、鳥の鳴き声、そして締め切り迫る仕事の山(;’∀’) それにしても、このご時世に、携帯電話もネットも繋がらない土地にいる、というのは、なかなか稀有な体験。下界では、平成から令和にかわって、大騒ぎなのだろうなぁと思いつつ、この原稿を書いています。

いや〜、前回は完膚なきまでに叩きのめされて、ぐぅの根もでないサコでありました。しかし、のっけから「役に立ちたい」という思いは、知りたい・調べたいと同様に、人間だれもがもっている素朴な衝動だろうと思います。」われながら、確かにこれは乱暴な物言いだったなぁと冷や汗ものです。「誰もが」というのは言い過ぎでしたが、ここで思っていたことは、その直前に読んでいた先人達の災害についての細かい記録ぶりでした。どの記録にも、子孫達のために書き残しておかねばという、必死の思いが溢れている。それで、ちょいと筆が滑ったという次第。ご寛恕くださいまし。

学生時代、まだ考古学をはじめたばかりの頃に、ある県教委に務めていた大学の先輩を尋ねていき、遺跡を案内してもらった時のこと、お昼ごはんに焼きめしをご馳走になりました。その先輩に焼きめし代を渡そうとしたら、「いいよ。その代わり、君が先輩になった時、後輩にご馳走してやってくれ」と言われて、ものすごく感激した記憶があります。ずっと後になって、永六輔さんの言葉を知りました。「生きていることは、誰かに借りをつくること。生きていくということは、その借りを返していくこと」〜ああ、焼きめし!と思いました。そして、定年までの残り時間を数える年齢になってくると、いっそう強く、いまのうちに何か、と思うようになりました。
定年という区切りがなければ、こういう気持は湧いてこなかったかもしれません。

千夏さんは、自力で仕事をする人だから、定年もなく、国の方針など無関係で仕事ができますね。でも、われわれは、そうはいかない。教育や研究環境は、国の方針によって否応なく翻弄されまくるので、「国に許容するのは福祉だけ」と言って済ますわけにはいかないです。馬耳東風であろうとも、暖簾に腕押しであろうとも、かなわぬまでもせめて一太刀!とばかり、関係各所に働きかけをしています。われわれの後に続く人達が、少しでも歩きやすい道にしておいてやりたいと思うから。

そんなこんなで、役に立つか、立たないのかはわかりませんが、子ども達に考古学の楽しさを伝えたくて、この連休も山籠り。それは、自分が好きな歌手や面白かった映画のことを誰かに話したくなるのと同じノリ。「ねぇねぇ、見てよ。これ、どう?」って、子ども達をつかまえては、土器や石器のカケラを見せる変なおばちゃん。ふりむいて欲しい。かといって、媚びてはイケナイ。しつこいと嫌われる。押したり引いたりの駆け引きは、まるで片思いのラブコール。今年は、こんな仕事が増えそうです。変なおばちゃん、がんばりま〜す!