第339回 「社会に役立つ」っていうこと

佐古和枝(在日山陰人)

この週末、南三陸町で考古学のお話をしてきました。南三陸町といえば、防災対策庁舎で最後まで避難を呼びかけ続けた職員さん達が、津波に襲われ命を落としたという痛ましい出来事が思い起こされます。震災の年に訪れて以来だったので、どんなふうになっているかとドキドキしながらの訪問でした。講演&お宿は、携帯が繋がらないほどの山奥。しかも真夜中に車で到着したので、町の様子はまったくわかりませんでした。それで、講演の翌日に山を降りて、激しく被災した志津川地区に連れていってもらいました。平野部の大半は、まだブルドーザーや工事車輛が走り回っていて造成工事中。まだこんな状態なのかと、驚きました。


右手の赤い鉄筋が防災庁舎

残すか壊すかが議論になった防災庁舎は、被災のモニュメントとして県有化され、一時保存されることになりました。そして、20年後に町が最終判断をするそうです。何でも自分達で決めてしまわずに、将来に託すという選択肢、いいなと思いました。
防災庁舎と川をはさんで向かい側に仮設施設として開設された「さんさん商店街」は、2017年3月に本設オープン。その一角にある写真館「佐良スタジオ」には、佐藤真一常設写真展示館が開設され、被災状況を伝える数々の貴重な写真が展示されていました。伝えねば、という強い思いに敬服。


「さんさん商店街」

火山・地震・津波など、自然の脅威の前に、人間の「科学」も「学問」も「文明」も、はかないものだと思い知らされます。太古の昔から、日本列島は災害の宝庫みたいな島なので、被災の頻度が多いだけでなく、被災の記録もずばぬけて多いそうです。日本人はマメに記録をとっていたんですね。このデータと分析が、きっと世界の防災に役立つことでしょう。

「役に立ちたい」という思いは、知りたい・調べたいと同様に、人間だれもがもっている素朴な衝動だろうと思います。それが、ある時期からおかしくなったのは、「役立つ」ことなら、それで金儲けしようとする企業から研究費がもらえるからだと思います。以前、産学協働で風力発電を研究していた大学の先生に、なぜ小型水力発電はこういう取り組みが進まないのかと聞いたら、「お金儲けにならないから、企業がのってこないんですよ」とあっさり。そうしてヒモ付きの研究をしていれば、スポンサーに不都合な結果は出せない。そういう不都合を山ほど抱えているのが、原発なのでしょうね。

役に立つことがわかっている研究には、企業がお金をだす。だからこそ国は、すぐには役に立たないけれど大切な基礎的研究、あるいは何に役立つかわからないけれど新たな可能性がみつかるかもしれない挑戦的な研究など、果実をつける枝を支える幹や根に栄養つけるような投資をするべきなのです。そういう研究が「社会に役立つ」のだと、国が評価してこそ、国民の理解に繋がるのです。しかし、いまの日本政府は、企業と同じ皮算用。理系でも、「役立つ」研究、金の儲かる研究にしか研究費をださないし、金儲けにならない文科系の学問に税金を使うことには国民の理解が得られないと首相が明言し、文科系の学問・学部は瀕死状態です。

「社会に役立つ」から公金で研究を支援する、という考えそのものは、国家としては間違ってはいない。公金は、国民の税金ですからね。しかし、重要なことは、何をもって「役立つ」とみなすのか、です。

遺跡保護だって、「役に立っている」と私達は思っていますよ。ただその「役立つ」は、お金儲けや生活の利便性のためではなく、地域住民の心の豊かさのためであり、まだ生まれていないわれわれの子孫の人生を豊かにするためです。おっと、千夏さんが仰る「純粋に“知りたい!”という心を満足させる」ということでも、遺跡は「役立って」いますよね。
ただし、遺跡の保存活用は、多くの場合、すぐに成果が見えるものではありません。妻木晩田遺跡も、保存されて10年以上経った後に、しみじみと「遺跡が残って良かったね」と語ってくださる方も多いのです。昨今は、すぐに目に見える結果を出すもの、生活の利便性や金儲けに役立つことばかりが高く評価されますが、企業と違って国や自治体は、そういう長いスパンで、50年先100年先を見通して、「役立つ」かどうかを評価し、投資するべきだと思います。カップラーメンじゃあるまいし、何でもすぐに成果を求めないでほしいなぁ。南三陸町のように、成果を待てる長い時間の物差しをもっていることが、人間らしい社会ではないかと思います。そんなことを弥生人たちに教わりながら、考古学徒サコ、これからもがんばりまっす。