あけまして おめでとうございます。また新しい年の始まりですね。この連載コラムは、今年でなんと15年めです!千夏さんの背中を追いかけて、ひたすら走り続けてきましたが、千夏さんとの距離はちっとも縮まず。でも、おいてきぼりにならないよう、しつこくついていきますので、今年もよろしくお願いしま〜す!

さて、2019年は、妻木晩田遺跡の保存決定から20周年、そしてその保存運動のために発足し、いまは普及・活用の活動をおこなうわれら「むきばんだ応援団」も発足20周年という大きな節目の年です。
妻木晩田遺跡や「むきばんだ応援団」については、このコラムでも何度か紹介させていただきました。妻木晩田遺跡の保存運動から「むきばんだ応援団」の発足あたりのことは、100回記念で書かせていただきました。直近では、328回でサントリー文化財団の地域文化賞の受賞報告をしました。

改めて「むきばんだ応援団」の活動をふりかえってみると、いろんなことを、よくやりました。
1999年4月に妻木晩田遺跡の全面保存が決定した直後、千夏さんにコーディネーターをお願いし、フォーラム「祝、保存決定!はばたけ妻木晩田」を開催しました。といっても、まさか4月に保存が決まると思っておらず、保存運動の一環として予定していたものが、急遽「祝、保存決定!」に変更になったのでした。文化庁長官も出席して、お祝いの挨拶をしてくださったのは感激でした。それからの1年はテンヤワンヤの展開です。妻木晩田遺跡の保存運動に協力してくれた皆さんへのお礼と保存決定の報告、さらに妻木晩田遺跡のことを広く知っていただくためのシンポジウムを、9月米子、10月東京と鳥取、11月大阪、2000年6月に九州で開催しました。この合間を縫うように、むきばんだのテーマソングが欲しくて「おいでみんなここへ」の歌詞を作り、保存運動を応援してくれた歌手の李政美さんが作曲してくれて、CDまで作りました。CDのバックコーラスは、録音スタジオで特訓された「むきばんだ応援団」メンバーでした。よくまぁ、こんなことができたなぁと改めて思います。それぞれ、多くの皆さんのおかげです。

2000年の6月と7月には市民参加で遺跡の草刈りボランティアをやりました。これも楽しかった。家族連れとか会社の同僚の皆さんが、ずいぶん遠方からも参加してくれました。10月には、毎月1回の市民講座「むきばんだやよい塾」が開講し、現在まで続いています。この年には、毎月1回の「むきばんだこども塾」も開講しました。これは、妻木晩田遺跡でおこなう、考古学と自然観察の両方の体験学習講座でした。

2001年には、遺跡保存のために大変お世話になった坪井清足先生、金関恕先生、佐原真先生の座談会を8月に米子で、9月に大阪で開催しました。この3人の先生は、考古学徒にとっては、神様のような存在です。でも、なぜか「むきばんだ応援団」のことは、とても親身になってご支援くださいました。先生方は、学生時代からの仲良しなのに、3人揃って壇上で語るのは初めてとのことでした。当時、佐原先生は末期のガンで、初めての入院から退院された直後。それでも壇上ではパワー炸裂で、楽しい座談会をしていただきました。今では、みな鬼籍に入られ、寂しい限りですが、きっと天国でも楽しく考古学談義をなさっておられることでしょう。

千夏さんには、保存運動のスタートからたびたびご登場ねがい、貴重な提言や刺激をいただいてきました。さらに、千夏さんのおかげで小室等さんや永六輔さんも関わってくださって、フツーの市民団体には望むべくもない贅沢な「むきばんだ応援団の応援団」ができあがったことも大きな恩恵でした。そして2005年には、千夏さん、小室さん、永さん、李政美さんとギターの佐久間順平さん、李政美さんの友人で鳥取県出身のエッセイスト朴慶南さん、私のツテで桂九雀さんと、「むきばんだ芸能団」全員集合で2日間のイベント「満月の夜」&「学校ごっこinむきばんだ」を開催しました。思いかえせば冷や汗が噴き出す、サコ企画最大の無謀なイベントでしたが、むちゃくちゃ楽しかったです。

あ〜、たった数年をふりかえるだけで、かけがえのない思い出がテンコ盛り。書ききれないので、これくらいでやめておきます。これらすべてが、皆さんのおかげであるのは当然ですが、同時にいつも思うのは、妻木晩田のおかげだということです。妻木晩田がなかったら、こんな楽しいこともできなかったわけですからね。「むきばんだ応援団」がやっているアレコレは、いろんな感動をくれた妻木晩田遺跡への恩返しみたいなものです。ありがとう、むきばんだ。永さんの遺言通り、「日本三大遺跡!」の看板かかげて、がんばる。これからも、よろしく〜!