第330回 ひみつ基地ミュージアム

佐古和枝(在日山陰人)

10月末に、また熊本県球磨郡あさぎり町に行ってきました。20数年前に私が遺跡の発掘調査をしたことから、いまでも時々訪れて、遺跡を大切にしてもらうための講演会や子どもの体験講座をやっています。今回は、地域住民が主宰する子どもの体験学習塾「くまそアカデミー」で、クマソの話と子ども達が育てた赤米を使ったお料理教室をやってきました。

その講座の合間をぬって、今年8月に隣の錦町でオープンした人吉海軍航空基地資料館に行ってきました。九州山地の山奥に海軍基地?って気になっていました。それとこの資料館の愛称「山の中の海軍の町にしき ひみつ基地ミュージアム」。このネーミングにも、そそられますよね。ミュージアムは、高台に広がる畑地のなかにポツンと建つ黒い木造建物です。「最初は、大きな牛小屋が建ったかと思ったですよ」と案内してくれた友人が冗談。館内には、基地の概要の解説の他、基地跡に関連する発掘品や戦争体験者の証言映像などがありました。

さて、近現代の戦争史には弱いサコですが、ネットでググったりミュージアムで教えてもらったことのウケウリでご紹介すると、人吉海軍航空基地は球磨郡錦町と隣の相良村にまたがる約2万5000uという国内でも有数の広大な基地でした。アメリカ軍は、本土決戦にあたり、まず鹿児島を占拠する計画(オリンピック作戦)。それに備えて、1943年11月ごろから教育航空隊、特攻基地の中継基地として建設が始まりました。翌年2月には、人吉海軍航空隊が発足。飛行機の整備員や搭乗員を要請していたのですが、戦況が悪化してくると特攻隊の訓練も行われ、最終的には本土決戦の兵站基地となりました。基地の活動期間はわずか1年9ケ月ですが、ここで訓練を受けた予科練生は6000人を超えたとのこと。

基地は、庁舎居住地区、工場地区、飛行場地区、隧道地区に分かれており、それぞれの地区に隊門、銃座跡、風呂場跡、松根油乾溜工場跡、格納庫跡や飛行機の部品を製造していた岡本工場の建物などが残っています。そして隧道地区には、山裾にトンネル状に掘りこまれた多くの地下軍事施設がありました。作戦室、無線室、発電所、兵舎、倉庫、格納庫、トンネル、工場など、21種類もの地下軍事施設の建設が計画されました。
これらの地下施設の多くが今も残っていることは、地域住民の地道な調査によって、つい最近わかりました。それまで地元では、あちこちにトンネル状の遺構があるのは知っていましたが、普通の防空壕だと思っていたそうです。その調査の結果をふまえて、町は2015年から調査をおこない、約1万uの範囲に作戦室など11種類の地下施設が残っていることを確認、それを戦跡遺跡として後世に伝えるためにこのミュージアムが建設されました。
 
ミュージアムの北側の農地に延びる長い直線道路は、航空基地に建設された全長1500m、幅50mの滑走路の名残だそうです。この基地で特攻訓練を重ねたのは、「赤とんぼ」の通称で知られる九三式中間練習機。終戦後、アメリカ軍がこの練習機を「燃やした」という記録があるそうです。怪訝に思ったミュージアムの若いスタッフが調べたところ、この練習機は、非常に高性能だったのですが、機体がなんと木製骨組に羽布張りだったので、「燃やした」の表現で間違いないと納得。その残骸が展示されていますが、車輪も驚くほど華奢なもので、若者達がこんな飛行機で戦地に向かったのかと思うと胸が詰まります。

小さな資料館ですが、若いスタッフが4人いて、施設周辺に広がる戦跡を体験するガイドツアーを実施しています。確認された地下施設の総延長は3.9qもあるそうですが、見学ツアーがおこなわれるのは、そのなかでも最大規模の「魚雷調整場」、魚雷を製造していた施設です。トンネルは、幅・高さとも約5m。阿蘇山の火山灰が厚く堆積した地層でわりと掘りやすく、スコップやツルハシの跡がいまも鮮やかに残っていました。トンネル内部は、Hの字やLの字を組み合わせたようにカクカク曲がっていました。魚雷が誤発した時の被害を最小限にとどめるためだそうです。ここで作られていた魚雷は、長さ5m、直径約50cmほど。魚雷を作る場所だけは、爆破の危険にそなえてコンクリートで覆われていました。

いやいや、まさに「百聞は一見に如かず」です。戦争関連の資料館は他にもありますが、ミュージアムで整理された情報とともに、現場に立つという体験は、戦争の緊迫感や悲哀、無謀さを肌身で感じさせてくれます。これは、遺跡をなぜ保存しなきゃいけないか、と同じ話です。
 
実は、こうした近現代の戦争関連施設もきちんと発掘調査をして、「戦争遺跡」として後世に伝えるべきであるという取り組みは、1980年代に沖縄県の考古学者當眞嗣一氏によって提唱され、全国に広まりました。いまでは、「戦跡考古学」と呼ばれ、学界にも定着しています。1995年には、文化庁も第2次世界大戦終結までを「近代遺跡」として史跡指定の対象にするという指針を発表し、翌年から全国の近代遺跡の調査に着手しました(報告書は未刊)。現在、国・都道府県・市町村の指定文化財・登録文化財になっている戦争遺跡は全国で274件あります(2017年8月現在、戦争遺跡保存全国ネットワーク調べ)。
 
ただ、文化庁の調査報告がいまだに刊行されていないことからもわかるように、太平洋戦争に対する評価や主張、思いはさまざまあって、なかなか難しい。私は後で知ったのですが、ひみつ基地ミュージアムも、計画段階から「戦争を観光に利用するのか」とか「平和目的の記載がない」などの抗議が寄せられ、「ひみつ基地ミュージアム」という愛称も、遊園地のようだと批判を受けたようです。でも、オープンしたミュージアムを訪れて、展示を見たり、スタッフの方々と接したら、そんな懸念や批判はおのずと消えていくのではないかと思います。
錦町のひみつ基地ミュージアムは、エリア一帯に多種多様なホンモノの遺構・建造物が残っているという比類のない強みがあるし、体験型ミュージアムとして新しい戦争遺跡の活用モデルになりそうだと期待しています。いろいろ大変かもしれないけれど、奮闘するミュージアムのスタッフの皆さんにエールを送ります。がんばれ〜!

「山の中の海軍の町にしき ひみつ基地ミュージアム」https://132base.jp/index.html