第326回 どっぷり縄文世界に浸るA

佐古和枝(在日山陰人)

◆アーティストのこだわり?

サコ 縄文土器については、2016年の新年特別企画で詳しく紹介しました。
チナ うんうん、初期の土器は尖がり底や丸底で、地面に置けないよって、学習しました。まさにコレだね。
サコ そうです。陶芸家の友人に聞いたら、尖り底って難しいんだそうです。
チナ へぇ、そうなんだ。縄文人は土器作りの技術、高かったんだね。
サコ みてください。これなんか、モダンなデザインでしょ。
チナ ほんと! 現代アートの作品みたい。
サコ 土器は、地域や時期によって、形や文様に流行があって、一定のルールがあります。弥生土器やそれに続く古墳時代の土器は、形や文様がシンプルだから、同じような土器がたくさんあるのが普通なのですが、縄文土器は、まったく同じものが一つもないんですって。基本ルールは守っていますが、ルール自体がおおらかというか自由裁量の余地が大きい。
チナ あらま、他人と同じものは作らない。アーティスト精神かな。まあこの時代、芸術専門家はいなかったろうけど、土器作りの職人みたいなひとはいたのかしらん。
サコ いや、専門的な職人は、まだいないでしょう。必要なものは自分で作るという時代だと思います。世界の民族事例をみると、もともと土器作りは女性の仕事です。もともと道具は、それを使う人が作るというのが基本です。食事をつくるのは女性ですから、調理の器である土器は女性が作る。 
チナ なるほど。あ、なんで食事は女が作ってたとわかるの? 今でも漁師や猟師は自分でエモノを調理するでしょ。石器時代、縄文時代なんかは、家事の性別役割分担がさほどキツクなかったのかと思ってたけど。
サコ おっと、さすが千夏さん。現代的な思い込みは、要注意でした。たしかに、確実なことはいえません。ただ、男性は狩りとか漁とか、石器作りの原石をとりにいくとか、外にでかける仕事が多い。それに対して女性は、妊娠・出産・子育てがあるし、爺ちゃん婆ちゃんの世話もあったかもしれないから、あまり遠出はできないでしょう。そうすると、食事をつくるのは、基本的には女性の仕事になるんじゃないでしょうか。
チナ ここのケースの土器たちは、形や文様がだいたい同じだから、同じ地域の同じ時期の土器が集められているんでしょうね。
サコ その通り!え〜っと、これは縄文前期(6000〜5000年前)の千葉県松戸市の幸田貝塚で出土した土器ですって。
チナ ははあ、同じ村の人達の土器なのね。あれ〜、サコちゃん! 
サコ また、何かみつけたんですか? 
チナ 土器の形はだいたい同じでも、口縁部にギザギザがついているものと、ないものがあるよ。
サコ そういえば、そうですね。
チナ ふうん、このギザギザは、なんだろね。あれ〜!
サコ また、なんですか? 
チナ ギザギザの数が、4つの土器、5つの土器、8つの土器、いろいろある! 
サコ ほんとですね。家紋みたいに、うちの土器は4つで、隣の家は8つ、その向こうの家の土器は5つ、とか(笑) 
チナ かもね、ふうん、どういうことなんだろ、おもしろいね〜 
サコ そういうところに気がつくチナさんも、おもしろいです。

 

◆大人の土器、子どもの土器

サコ 縄文土器は、粘土の特性を最大限に使った立体造形だという点です。同じ頃の大陸の土器は、ツルンとした土器の表面にペインティングで絵を描くものが多いんです。次のコーナーでは、世界の土器との比較ができます」
チナ おお!中国、パキスタン、イラク、シリア、南レヴァント、エジプト、トルコ、ヨーロッパ・・・すごいね。こうして並べてもらえると、縄文土器の個性がよぉ〜くわかる。
サコ よくこれだけ集めましたよね。さすが国立博物館。
チナ 縄文土器ってさ、立体造形で確かに芸術的だけど、使い易さなんてことはちっとも考えてないじゃない。大陸の土器は、ちゃんと機能性を考えてる、大人の土器だね。
サコ 大陸ではもう農耕が始まっています。農耕民は、生産性をあげることを考えますから、機能性・効率性を考える。現代人と同じです。 
チナ 縄文土器は、そういう計算をしない、子どもの土器なんだ。
サコ 縄文人は、自分達の使い勝手の良さとか機能性は2の次で、この形・この文様をつくることの意味を重んじる。だから、さっきのギザギザみたいに、煮炊きをするには何も役に立たない、あるいはかえって邪魔なほどデコレーションをコテコテ付ける。そういう意味では、子どもの土器かぁ。なるほど。
チナ おっ、弥生土器だ。これは完全に大人の土器だね。
サコ ゴテゴテと飾らず、すっきりシンプルな形です。

◆縄文人に学ぶ

サコ はい、これで終了。おお、3時間! よく歩きました(笑)
チナ ちょっと座ろう(笑) しかし、感動だな。人間が、経済性とか効率性をほとんどまったく無視して生きてた時代があったんだね。それをひしひしと感じたです。現代の、特にアメリカ合州国や日本の社会を見ていると、とても同じ人間の文化とは思えない。結局、経済効率を優先する精神も、他の集団とさかんに闘争するようになって発達したんだろうね。アーチストが縄文土器にひかれるわけだ。芸術は経済や効率考えない世界だもんね。あ、この縄文展が人気なのも、経済効率いっぺんとうのこの社会にみんなうんざりしているからかもしれないよ。文明は進んでも、なんとかこの遊びの精神というか、ムダを大事にする精神というか、ものごとを経済効率で考えない精神、それを充分保ちながら生きていける世の中にならないと、人間、ひからびちゃうと思う。
サコ 縄文人にとっては、遊びでもムダでもなく、とても大事なことだったと思いますよ。現代社会は、すぐに目に見える効果がでることが高く評価されますが、教育とか環境保全とか伝統の継承とか、本当に大切なことって、すぐに効果がでたりしないものです。
縄文人は、目に見えないことやすぐには効果があらわれないことを大切にしました。まさに「ものごとを経済効率で考えない精神」です。それが「文化」というものです。文化って、リクツじゃない。ただそうすることで満足感や幸福感が得られるから、そうするんだっていう、非合理的なものです。
だから、縄文的生活と弥生的生活の違いは、進歩とか優劣ではなく、文化を優先するか経済効率を優先するかの違いではないかと思います。少し前までは、経済効率を考えるのが大人の選択だったのでしょうけれど、ここまでくると、一周まわって縄文人の方がもっと大人の選択といえるのかもという気がします。いずれにしても、これからは、縄文の精神に学ぶことがたくさんありそうですね。
経済効率優先主義のなかでひからびないように、またこういう催しがあったら、きましょうね。
チナ そうしよう! また一緒に! みんなでワイワイ言いながら見ると、いろんな発見があって楽しいもの。
サコ 考古学はたのしい!みんなでワイワイ行きましょう(笑)