第324回 おんなだからいいのか?

中山千夏(在日伊豆半島人)

なんて夏なんだろね!
やたらに降ったり、やたらに照ったり。

やたらに死刑執行したり、再審開始がはぐらかされたり、無実を叫んでいる被告に状況証拠だけで死刑判決がくだったり。
政界にも法曹界にも、70年代に較べるとはるかに女が多くなってるのに、
イノチに優しい反戦平和の世の中になるどころか、
どんどん残酷に、好戦的になるじゃない!

とハタチの私なら嘆いたかもしれないな。
でも、リブを始めてすぐ悟ったの。

女も男も同じ人間。
ならば、女が善良、男は悪党、と決まるものではない。
今、犯罪者に圧倒的に男が多いとすれば、それは、女の社会進出が遅れているからだ。
男と同等に社会活動するようになれば、女がイイコトをするチャンスもワルイコトをするチャンスも、男と同じになる。
今は、男に比べて女は、社会進出していない、つまり犯罪をするチャンスにも恵まれていないから、女の犯罪者が男よりも少ないのだ。
性の平等が完全に成ったアカツキには、男子刑務所と女子刑務所の人口が、まったく同じになるだろう!

以来、これが私の持論。
そして、これ、正しい、と思うことの多い今日このごろ。

法務省が死刑情報を公開するようになった1998年11月以降、最多の死刑執行記録(計16名)を持つ法務大臣は、東大卒、官僚出身、米上院のスタッフ経験もある、大臣歴豊富な女性だ。
1953年生まれというから、彼女の社会進出は、70年代女性解放運動のおかげを多少ともこうむったもの、つまり私たちの努力のタマモノのひとつなのだろう。
一方、はっきりと死刑反対を表明して一度も執行命令を出さなかった法相があったが、それは男性だった。
思えば、同じように勉学の機会に恵まれた優秀な女性政治家でも、死刑廃止運動や人権運動に精出す者もいる(ただし、野党にあって大臣経験はない)。
学問をどう活かすか、権力をどう振るうかに、性別は関係ないのだ。

また最近、LGBTは「生産性がない」ので彼らに税金を使うのはいかがか、という意見を雑誌で公言した国会議員は、1967年生まれの女性。
これを批判する与野党議員の大半は男性。
公人として何をどう考え発言するかにも、性別はかかわりない。

だから女性の社会進出なんかどうでもいい、というのではない。
ひとは誰でもみんな、それぞれ生来の条件の違いにかかわらず、平等に自己実現の機会を持つべきだ。女には、男と同等に社会進出する権利がある。
それが人間として当然の権利、人権なのだから。

現代日本の問題は、その人権意識が浸透しないままに、つまり人権意識の高まりによってではなく、個人や集団の都合によって、女の社会進出がすすめられていることだと思う。
その都合とは、他の個人や集団に勝つための都合にほかならない。
だから勝って進出する女は、勝って進出する男と同じように、人権意識が無い。
いってみれば彼女らは、「男がひとを殺してのしあがるのなら、女だってそうするわよ、どこが悪い?」の構えだ。

でも、そんな個人、そんな社会は、大量の犠牲者を出しながら、いつか自滅するよ。
個人の自滅はともかく、社会の自滅は迷惑だなあ。

つまるところ、ただ女だってだけじゃ、その社会進出も百害あって一利なし、ということだね。