「日本人」てなんやろね?

チナ:今回は「外来種」(この用語については前回参照のこと!)を、朝鮮半島からのそれに絞って、その歴史を見ていきたいと思います。サコせんせ、たのんまっせ!
サコ:へい!

◆「渡来人」の歴史

サコ:少し前回のおさらいをしておきますが、そもそもこの列島に住むわれわれは、いつの時代かに大陸から列島に渡ってきた人達の末裔なわけですよね。それが4万年前か、2000年前か1500年前か、100年前か3年前かの違い。
チナ:そりゃそうだ。
サコ ただ、古代史で「渡来人」という言い方がよく出てくるのは、主に弥生時代と古墳時代、7世紀代ですね。
チナ:大勢、きてるんだ。
サコ:7世紀後半は、660年に百済が滅亡して、かなり大勢の百済人が亡命してきました。『日本書紀』をみると、天智5年(666)に、百済の男女二千人余を東国に住まわすとか、天智8年には百済の男女七百人余を近江国蒲生郡におくなどの記事があります。亡命してきた役人や貴族などのインテリ層は中央に残り、一般庶民層は東国など未開の土地の開墾という形で、まもなく誕生する「日本」建国の土台作りの一翼を担ってくれたということです。
弥生時代や古墳時代にどれくらいの人数が渡来してきたかはわかりませんが、弥生時代になると、縄文人とは顔つき体つきが異なる人骨が出始めるので、渡来人がやってきたと考えられています。
朝鮮半島から北部九州にやってきた渡来集団が稲作を伝えたことで、稲作文化をベースにした弥生時代という新しい時代が始まります。それから200〜300年ほど経って、また朝鮮半島から渡来人がやってきて、今度は青銅器や鉄器、ガラス玉などを通る技術をもちこんで、また列島社会は大きく変化します。
チナ:先進技術は、朝鮮半島から伝わった。
サコ:いいことばかりでもないんですけどね。彼らが伝えた青銅器は、矛・戈・剣の武器類が中心でした。平和だったこの列島に、初めて武器、つまり人殺しのための道具をもたらした。それで、平和だった列島でも、ついに戦争が始まったと考えられています。
チナ なるほど。武器なんてもの、もってなければそれなりに片付いていたことが、なまじ武器があったりするから、簡単に「殺してやれ!」みたいに思う輩が現れる。
サコ:いまのアメリカですね。古墳時代には朝鮮半島との往来がますます盛んになり、須恵器という登り窯で焼く技術、馬、金銅製品やそれを造る技術などが伝わってきます。
チナ:須恵器が、後に備前焼きや珠洲焼きなどの古陶器につながるんだよね。
サコ:そうです。朝鮮半島の陶質土器の技法が伝わってきたものです。
チナ:馬も朝鮮半島から渡ってきたんでしょ?
サコ:5世紀頃ですね。馬に乗るための馬具類や、馬の骨も出土するようになります。


馬形埴輪

◆無視できない文化への寄与

チナ:ということは当然、日本文化の多くも「渡来人」に負ってるわけだ。でも、日本人は、中国の影響はなんとか認めてきたけど、朝鮮の影響は無視しがちだったよね。
サコ:遣隋使とか遣唐使の印象が強いのでしょうか。いまの小学校の教科書の弥生時代や古墳時代の説明では、「大陸や朝鮮半島からの渡来人」がさまざまな技術や文化をもたらしたと書いていますけどね。
チナ:こっちから朝鮮半島に何かをもちこんだり、移住するってことはなかったの?
サコ:ありますよ。朝鮮半島の南の方で、縄文土器や弥生土器が出土したり、朝鮮半島の南西部で前方後円墳が造られたり。『日本書紀』をみても、神功皇后条から6世紀の欽明天皇条あたりまで、朝鮮半島で活躍する倭人の話がたくさんあります。
チナ:前方後円墳ね。これは倭人特有の文化だってね。すると、朝鮮半島のそれは、在韓倭人の墓ってこと?
サコ:在韓倭人説と、地元の親倭韓人説の2つがあって、日韓の研究者で楽しく議論が続いています。いずれにしても、あちらで活躍していた倭人が深く関与していることは違いないですね。
チナ:おたがいさまなんだ。当然だよね、いまみたいに、厳密な国境なんてない時代なんだから、自由に行ったり来たりしてたと思うよ。難民もあったに違いないし。
サコ:そうですね。百済王が倭国に派遣した外交使節団に、物部〇〇とか紀臣〇〇、科野(しなの)〇〇のように明らかに倭系の名前をもつ人物が百済の役職名で加わっています。在韓2世、3世の倭系人というような人達が、百済と倭の架け橋のような役割を果たしていたようです。また、欽明朝に活躍する日羅は、肥後の葦北国造の息子なのですが、百済に仕えていました。優秀なので欽明が呼び戻したのですが、百済王が惜しんでなかなか帰国させてくれなかったというように、倭と百済の両方に属しているような人物もいました。
チナ:古代の朝鮮半島と倭国は、深い仲。知れば知るほど、「純粋日本人」なんて存在しないことが、よくわかる。

◆今もぜったい無視できない!

チナ:さて今、最も差別にさらされている「外来種」は在日朝鮮人ですね。ほかに東南アジアのひとたちもいますが、思うに、まだ来たばかり、すぐ出ていくかも、と感じられているので、いわば怖くない。相手にしない。でも、在日朝鮮人は、長さも存在も、もはや「在来種」になりそうな勢いがある。だから、「日本の在来種=純粋な日本人」という非科学的な認識を持ってしまった「在来種」はいきり立つんですよね。
サコ:いきりたってる人の顔をみたら、渡来系だったりしてね。まずは、鏡をみて己を知ろう。
チナ:その前段階には、大日本帝国による朝鮮の植民地支配という、根本的に差別意識からなる国家の政策があって、そのなかで日本人のなかに根深い朝鮮人差別意識が作られていった。私の母や祖母までは常識のようにして差別意識を持ってたものね。
サコ:日本は、約270年間続いた江戸時代、鎖国をしながら自然エネルギーと人力だけで平和に暮らしていたわけですよね。それが、明治になってわずか27年で中国(清)に勝ち、明治36年にはロシア帝国に勝った。ついこの間までチョンマゲ結ってた人達が、急に隣接する大国をうち負かして、世界の列強の仲間入りをした。このあたりから、日本はどんどんおかしくなっていきましたね。アジア諸国を蔑視するようになり、今日に至る。
チナ:さいわいうち周辺の差別意識は、私に植え付けられるほど強力なものではなかったんだけど。それに私は特に不満もないコだったから、同級生の在日のコともぶつかるようなことなかったし、在日を特別視するような事件にも出会わなかった。そのうち人権運動始めて在日の友だちができていくわけだけど、その時にはもう差別もなければ引け目もない、という意識ができあがっていたから。もちろん、在日の歴史については、それから学んできたわけだけどね。
サコ:私も、在日の友達がいてくれて、ありがたかったと思います。おかげで、いろんなことを学ばせてもらいました。
チナ:知ってみたら酷いんだ、これが。朝鮮は、特に国ではなくて朝鮮のひとは、なにも悪くない。日本が、特に日本国が一方的に悪い。ちゃんと歴史を知れば、今、日本に在日朝鮮人がいること原因は、まさに大日本帝国と続く日本国の政策のせいだとわかる。国家はそれを反省するどころか、隠して無かったことにし続けてきた。いまや居直りの境地に入っているよね。公教育もそうだったので、社会の意識も改まらずに、国家と同調しなければ立ち行かないような意識のなかでは、在日差別が強まってしまった。とまあ、そんなことだと思ってる。それはそうと、現代でも朝鮮文化のおかげで、日本はずいぶん楽しくなってると思うんだよね。
サコ:焼肉! キムチ! マッコリ! チゲ! ネンミョン!

チナ:大好き! なんて言うと、なんだ文化といっても食い物のレベルか、と言われがちでしょ。でも、食べ物文化、大きいよお。生命に直結だもん。第一、トウガラシが無かったら、そばもうどんも牛丼も気が抜けちゃう。トウガラシはポルトガルが伝えた、と言われているけど、これほど使うようになったのは、ぜったい在日朝鮮人文化のおかげだと思うな。
サコ:トウガラシは、秀吉の朝鮮出兵の時に、日本から朝鮮に伝わったといわれています。だから、それまでのキムチは塩味だったそうです。
チナ:おお! 秀吉が持ってったのか。秀吉が朝鮮にした唯一のイイコトかも(笑) ニンニクだって中国から朝鮮半島を経て伝わってきて、でも、こんなに盛んに食べるようになったのは今の在日文化のおかげだと思ってる。それと日本の世代がやっと朝鮮への偏見から抜けたショウコでもある。私の親世代は朝鮮人が食べるからって、ニンニク、食べないひとがいたよ。偏見は豊かな食文化のテキなのだ!
サコ:日本の雅楽だって、唐楽(左方)・高麗楽(右方)など、中国や朝鮮、ベトナムなどの音楽や舞をとりこんで出来あがりました。
チナ:演歌や浪花節には、朝鮮の歌や語り物の影響がある、と見る音楽研究家もあります。もちろん影響は相互的だと思う。地理から言語から、これほど近いと、影響しあわないほうが不自然よね。
サコ:近代・現代になれば、そうですね。
チナ:だからね、在来種とか外来種とか言ってないで、日本にもこだわらないで、やっていくのがいいと思う。みんなたまたま日本で今、生きているんだからね、みんな同じ在日よ。民族や国籍にこだわらず、仲良くやらなきゃ。特になんの権力も無い者同士はね。
サコ:それ、われらが組の精神ですね。だから私は在日山陰人!
チナ:私は在日伊豆半島人!
サコ:と、ポーズが決まったところで、
チナ:このお題はここまで。
二人:またの会う日を楽しみにっ、ありがとございました〜!

(おしまい)


弥生時代、朝鮮半島から来た人々(青い服)が
北部九州の地元民(白い服)と交流している様子
絵:早川和子氏(佐古和枝『海を渡ってきた人々』より)