第315回 「お月さま」雑感

佐古和枝(在日山陰人)

月食は、見損ねました。ってか、自宅が高いビルで囲まれていて、空があまり見えなくて、最初から諦めていました。
日食、月食、流星、隕石、それに地震、雷、津波、火山の噴火・・・こうした天変地異は、いまでこそ原因を科学的に説明できるけれど、太陽が隠れたり地面が揺れる理由がわからない古代人はさぞかしビックリし、恐ろしかったことでしょう。
人知を超えたオソロシイことは、「神さまが怒っている!」って思うしかない。で、居ずまいを正し、どんどこ太鼓を叩いて、歌い踊り、許しを乞うマツリをおこなう。もちろん普段から、こういうことが起きないように、自然を怖れ、おこないを慎み、時に応じてどんどこ太鼓を叩き、歌い踊って、神様のご機嫌をとるマツリをおこなう。恐いから、真剣にマツる。ふだんは折り合いの悪い人達とも一緒になって、歌い踊り、酒を飲み、神をマツる。これって、けっこう大事なことですよね。科学の知識や合理的な価値観とひきかえに、こうした心やふるまいが失われつつあるのが残念です。

『日本書紀』で日食・月食・星食などの天体異変の記録があるのは推古朝以降の7世紀です。推古朝といえば遣隋使・遣唐使の派遣が始まったり、百済から暦が伝わってきた時代だから、天体観測の新たな知識も加わって、関心が高まったのでしょう。天体異変の記事25例のうち、占星台を作ったという天武天皇の時代がもっとも多くて13例。内容は、日食が5例、月食が1例のみ。星についての記録が案外多く、684(天武13)年にはハレー彗星とみられる記事もあります。ビックリしたでしょうね。

 

この天武朝に活躍した人物の墓とみられるのが、壁画で有名な明日香村の高松塚とキトラ古墳です。いずれも700年前後に築造された古墳で、側壁には太陽と月、天井には天体図が描かれています。古墳の墓室に天文図を描くことは中国で始まった文化ですが、キトラ古墳の天体図は、この時期の天文図としてはもっとも精密なものと高く評価されています。ただしそれは、日本列島で観測される天体ではなく、もっと緯度の高い地域、たとえば高句麗などで作成されたものと考えられています。

こうした中国由来の知識や信仰が入ってくる以前の、古代日本の素朴な「太陽と月」信仰をたどる手がかりは、記紀神話の天照大神と月読尊ですかね。ダイアナはローマ神話では、太陽神アポロンの妹が、月の女神がダイアナです。月読尊は性別不明だけれど、記紀神話のなかでは天照大神とキョウダイという設定。天照大神で有名なのが天の岩戸隠れの物語。太陽神である天照大神が、スサノヲの乱暴狼藉を嘆いて岩戸に隠れたために世界が暗くなったという話で、日食を象徴的に語っています。この話、実は『日本書紀』の複数の「一書」に、天照大神ではなく「日神」という名前になっていて、一般的な太陽信仰の神話とみられています。アマテラスという名前ではないけれど、太陽神とみられる神を祀った神社は全国各地にたくさんあって、素朴な太陽信仰が存在したことがわかります。
記紀神話のなかでの月読尊は、天照大神を怒らせて、「あんたの顔なんか、見たくない!」と言われたので、天照(太陽)と顔をあわせないよう、夜に出てくるのだという話の他にたいしたエピソードがなく、印象の薄い神様です。しかし、各地に月読尊を祀る神社がけっこうあり、これまた昔の人々の生活に月信仰が根深く存在したことがうかがえます。「お月さま」って言いますもんね。そこには「お日さま」同様、敬意と愛着がこもっている気がします。

そもそも人類にとって、太陽や月、星は、時間と位置(方角)を知るための重要な指針であり、古代からおおいに研究が進められました。そのなかで、暦には、太陽の動きを基準にする太陽暦、月の動きを基準にする太陰暦、さらに太陽・地球・月の3者の運行を基準にする太陰太陽暦の3種類があります。
わが国では、明治時代に太陽暦である西暦を使うことになりましたが、われわれが「旧暦」と呼んでいるのは、それまでに使われていた「太陰太陽暦」です。太陽暦は季節のズレが少ない。一方、月の形や位置をみれば、今日が何日で今が何時かがわかる。これを組み合わせた太陰太陽暦は、日本列島のように農業や漁業に従事する人々が多い国ではもっとも有効な暦だったわけですね。幕末の「天保暦」は世界でもっとも精度の高い太陰太陽暦だと言われています。
 
月の引力が潮の干満に大きく関わっていることはよく知られています。フランスでは、月の引力を利用した「潮力発電」が実用化されているそうです。なにしろ、地球から平均38万4400kmも離れているのに、海の水を何mも引き上げるのだから、すごい力ですよね。成人の体の6割は水分だから、私たちの体も影響を受けないはずがない。女性の生理を「月経」というし、満月の日に出産が多いというし。

奈良時代に完成した『万葉集』で月を詠む歌は、恋人を偲ぶほほえましいものが多いのに、平安時代になると、月を見てはいけないというタブーが生まれる。中国から新たな知識が入ってきた影響なのでしょうけれど、それも月の存在感の大きさの裏返しかなと思います。空が見えないビルの谷間で暮らしている私は、月の存在さえ忘れがち。ちょっと反省して、今夜は月見で一杯!