チナ:サコチナ特別企画、今回は考古学徒・佐古和枝の真髄に迫っております。
サコ:たはあ(;´∀`)
チナ:最終回の今日は、考古学をやってみて、とでもいいますか、その感慨みたいなものをお聞きしたい。
サコ:ははあ・・・

「松」は物証の確かさ!

チナ:では。考古学をやっててよかったなあ、と思うことは? 
サコ:うふふ、松・竹・梅のランクがあるんですが。
チナ:あはは、じゃ、「梅」からいこか。
サコ:はい。「梅」は、生活の糧として、です。オンナが希少生物である世界だから、珍しがられて仕事にもありつけ、今日まで糊口をしのぐことができたと思います。
チナ:艱難辛苦を乗り越えた成果だね。
サコ;しぶとく粘った甲斐がありました(笑)。
チナ:じゃ、「竹」は?
サコ:やはり遺跡や遺物をみて、おもしろいな〜ってワクワクする時ですね。考古学やっててよかったなぁと思います。
チナ:へええ。それって公式回答じゃなく? もうずいぶん長いのに、まだワクワクするの?
サコ:しますよぉ。「縄文人、すげぇ〜〜!」とか、「弥生人、やるぅ〜〜!」とか。
チナ:ふうん。もう少し具体的に?
サコ:いや〜、いろいろあるんですけど、たとえば縄文人なら複雑な形と文様の土器、不思議な造形の土偶など見てると、全員が芸術家みたいに思えるし、東北の環状列石や北陸のウッドサークルは、クレーンもトラックもない時代によくあんな大規模建設事業ができたよなぁって思うし。
チナ:三内丸山遺跡にも、太い柱の高い建造物があったね。
サコ:そうです。あの柱をどうやって建てたのか、現代人はなかなか思いつかない。
チナ:じゃ、「弥生人、やるぅ〜!」ってのは?
サコ:う〜ん、たとえば、銅矛とか銅剣とかの青銅製の武器は、朝鮮半島から伝わってきたものですが、海を渡って北部九州で作り始めるとまもなく、どんどん大型化して、実戦用の武器ではなく儀礼用の武器形青銅器(武器の形をした青銅器)として使う。倭人独特のものにしてしまうんですね。
チナ:日本人は、よく外国の技術をマネするのが得意だといわれるけど、それが弥生人から始まっているというわけだ。
サコ:そうですね。それも、ただマネをするというのではなく、自分達好みに作り変えてしまったり、自分達流儀の使い方をする。
チナ:なるほど、そこに感動してわくわくする、と。では、「松」いきましょう。
サコ: 文献に書いていることと違う事実、文献の解釈を塗り替えるような事実が発掘調査で明らかになった時、ワクワクしますね。
チナ:おお、なるほど。たとえば?
サコ:たとえば、894年に遣唐使が廃止されて、唐との交流が途絶えて、国風文化が発達したって、歴史の教科書に書いてあります。
チナ:ふむ。
サコ:ところが、考古学でいえば、9世紀後半から中国製陶磁器や中国の銭の出土量がウナギのぼりに増えていくのです。
チナ:あら、唐との交流は、全然途切れていないわけね?
サコ:はい、だって平清盛も日宋貿易で莫大な財産を築いたことで権勢を振えたわけですね。そうなると、遣唐使廃止の意味がガラリと変わってきますよね。このことを指摘したのは中世史の網野善彦先生で、民間貿易がどんどん盛んになったから、政府が莫大な費用をかけて遣唐使を派遣する旨味がなくなったから廃止したのだと考えるべきだろうと。
チナ:なるほどね! 民間人の活動はなかなか記録に残らないから、そのあたりの事情が見えてこないんだろうね。
サコ:考古学は、その場所に生きた人達が残した証拠物件を掘り出していくわけで、そうすると書き残された記録と違うっていう事実も出てきますよね。
チナ:うんうん、文書はたとえ公文書的なものでもアテにならないよね。警察・検察の調書を重視する判決がよく冤罪を生むんだもの。人間が言ったり書いたりすることには、悪気がなくても勘違いや記憶違いがある。
サコ:意図的な偽証も、ありますよね。人間はウソもつくから。
チナ:そのとおり! とくに昔の記録は、権力に都合のいいものが残ってきているわけだから、書かれたことがそのまんま事実ではありえない。
サコ:「文字は、侵略の言い訳を書き残す」ってね。森浩一先生に教わった、アイルランドの考古学者の言葉です。だから、どんな時代の研究でも、証言(文献)の信憑性を検証する物的証拠(考古資料)が必要なのです。
チナ:うんうん。
サコ:とくに古代の文献は、中央中心、稲作文化中心に書かれていますからね。支配者側の目線で一方的に決めつけて書かれたことや、支配者側の言い分の虚構を暴き、実態を明らかにして、歴史のなかで不当な評価をされた人々の名誉回復をするような仕事をみると、考古学っていいなぁと思います。
チナ:ほんとだね。

クマソの復権

チナ:そういえば、昨年サコちゃんに案内してもらった熊本県球磨郡は、森先生が考古学で「クマソ復権」を提唱したんだよね。
サコ:はい、そうなんです。球磨郡のクマは、クマソのクマ。記紀でクマソと呼ばれた人々が住んでいた地域だとされています。
チナ:ヤマトタケルが女装して宴会にもぐりこんで、クマソタケルを酔わせて殺した、と『古事記』で読んだ。これは見るだに神話風だから信憑性を問題にする気にもならないけど、『日本書紀』ではぐっと実録的に書いてある。ただし、クマソがどう悪かったからやっつけられたのか、まったく不明(笑)
サコ:ですよね。考古学的には、クマソの話は古墳時代のことだと考えられています。でも、その直前の弥生時代後期の熊本南部とそれ以南の南九州には、免田式土器というカッコイイ土器が流行します。その名称は、大正・昭和初期に球磨郡免田町(現、あさぎり町)でその土器が大量に出土したことから命名されました。免田式土器は、研究者のなかには、弥生土器のなかでもっとも気品のある土器だという人もいます。
チナ:乱暴者のクマソというイメージとは、ずいぶん違うわけよね。
サコ:はい、洗練された精神文化をもっていた人々といえます。さらに同町内の才園古墳という6世紀の古墳からは、日本で3枚しか出土していない金メッキされた鏡が出土しています。
チナ:おお、すごい!


免田式土器と才園古墳の金メッキした鏡

サコ:鏡研究で著名な故樋口隆康氏によると、この鏡は日本出土の鏡のなかでも逸品で、クマソと呼ばれた人々が直接中国南朝と交渉するなかで入手したものと考えられる。クマソはそれほどの力をもっていたから、ヤマトがやっきになって制圧しようとしたのだ、と書いておられます。
チナ:ふむふむ。物証から見ると事件の真相が割れてくる!
サコ:そうですよ。免田式土器と才園古墳の金メッキの鏡から、クマソ像の見直しが必要だと書いた。それを免田町役場の人がみつけて、「これだ!」と思って京都まできて森先生を口説き、「クマソ復権」でまちおこしをすることになり、先生の下請けで私が免田町に通うようになりました。
チナ:ごくろうさま(笑)
サコ:免田式土器という名称のきっかけになった本目遺跡は、大正・昭和初期の開墾時に土器がワサワサ出土しただけだったので、ちゃんと学術的に発掘調査しようということになり、私が関西の大学生を連れて足掛け2年間、春休みと夏休みに発掘調査をしました。
町の費用による学術調査ですから、発掘現場はいつでも見にきてくださいってことにしていました。するとある日、かなり高齢の男性3人組が連れだって見学に来られました。ちょうど、熊本県南部で初めて墳丘墓がみつかっていたので、すごい遺跡ですよ〜って説明をしました。
そうしたら、3人のうちの1人が「戦前、わしらは小学校で、学校の先生に“お前らの先祖はクマソっちゅうて、天皇陛下に逆らったけしからん奴らやった”と言われたんじゃ」と、ちょっと悲しげに苦笑いされました。「そんなこと、ありませんよ!!」とサコ、必死こいて話をしました。小学生が学校の先生にそんなふうに言われたら、つらいですよね。話を終えたら、「そうかそうか」と満足そうに目を細めて帰っていかれました。この時、考古学をやってて良かったなぁと、おなかの底から思いました。
チナ:ほんとだねぇ、よかった、よかった。


本目遺跡

故郷に考古学を!

チナ:逆に、考古学をやってて、つらいなぁと思うことは?
サコ:やっぱり、貴重な遺跡が開発事業で壊されていくことですね。毎年8000件近くの遺跡を発掘調査して、一部でも保存できた遺跡が0.03%しかないのですからね。新聞やテレビで「大発見!」と報道された遺跡でも、調査が終わると壊されていることが多い。
チナ:狭い国土で、土地代も高いしね。
サコ:貴重な遺跡を壊して造られたゴルフ場やリゾート施設、デパートなどが、短期間で撤退したり、廃業したりするのをみると、よけいにツラいです。
チナ:原発もそうだけど、経済優先の政治は人類、反省せにゃいかん、とつくづく思うよ。
サコ:だから我々は、日ごろから一般市民の皆さんに考古学や遺跡の価値や魅力を伝え、遺跡が危機に直面した時に、味方になってくれる人を一人でも増やしておかねばならないのです。
チナ:それでサコちゃんは、市民向けの講演とか講座に奔走しているのだな。
サコ:はいっ!
チナ:まだまだいろいろ聞きたいけれど、ずいぶん長くなりましたので、このへんで特別企画はシメましょう。そこで最後に、月並みながら、研究者としての今後の抱負を!
サコ:このところ、子ども達にもっと考古学の楽しさや面白さを伝える仕事をもっと本腰入れてやりたいと思って、小学校の歴史の授業に押しかけていって話をさせてもらったり、子ども達をひきつれて遺跡めぐりをしたりしています。ただ、自分でできることは限界があるので、子ども向けの考古学のHPを作って、全国どこの子ども達も自分で調べ学習ができるようにしようと、いまHP制作会社に話をもちかけているところです。
チナ:そういえば一時期、考古学ゲームを作りたがっていたよね。あれはどうなったの?
サコ:はい、数年間ジタバタして、ゲーム作りは大変だっていうことを思い知ったので、地道に学習支援の路線でいこうと(;^ω^) 
チナ:あはは、それがいいよ。
サコ:歴史の教科書だと、どうしても中央中心・稲作中心・古墳中心の古代史になってしまうので、北海道や沖縄はもちろん、東日本や南九州などの子ども達には、別世界の話のようになってしまう。そうじゃなくて、それぞれの地域に、それぞれの文化や個性をもつ古代があったのだということを、HPという形をとれば、子ども達に伝えられると思うのです。どこの地域の子ども達も、自分達が主役となって故郷の歴史と向きあえるような場を作りたいと思っています。で、そうやって土台を作った後、いつかそこに考古学ゲームを潜り込ませたいと密かに企んでいます。
チナ:うん、そういうHPで故郷とむきあえば、サコちゃんみたいに、故郷を離れて初めて故郷を意識するようになった時、「うちの故郷にはなにもない」なんて思わないで済むかもしれないね。
サコ:そうなってくれたら、私が考古学をやってきた意味が完結できるのかなって、いま思いました。
チナ:おお、着地成功!
サコ:この対談のおかげです。自分のなかのいろんなことが整理できた気がします。おつきあいいただき、ありがとうございました。
チナ:こちらこそ。私は育った環境のせいで特に故郷意識が無いひとなんだけど、伊東に住むようになってから、実感として、人間にとっての地域の重要性を考えるようになったの。行政でも文化でも、東京重視、中央集権は全体を腐らせるよ。地域々々を大切にしてこそ、全体が豊かになる。そう思うようになってから、サコ先生の活動がいっそう輝いて見えますっ。これからもがんばってね!
サコ:はいっ!

(おしまい)