チナ:えええ〜前回から特別企画でお送りしております。2回目の今回は、サコちゃんの考古学徒への道筋に、ずずずっと迫ります。では、前回同様、私はインタビュアーに徹して。
サコ:あの、それですけど、いつもの漫才形式でお願いしたいんですけど(;´∀`)
チナ:あらま。どうして。
サコ:なんかマジメになっちゃうと、喋りにくいんです、特にこの話は。
チナ:ふむ。
サコ:そもそも自分のことを話すのがとても苦手なんですよ。
チナ:なぜ考古学を目指すようになったのか、というような話でも?
サコ:はい、それ、毎年かならず学生から聞かれるんですけど、いつも聞こえなかったふりをしています。なんか、恥ずかしくて(;’∀’) 
チナ:うふふ、じゃ、しゃあない、漫才で通そう。
サコ:よろしゅうおたのもうします。
チナ:おっし!

師匠と出会った

チナ:で? なんでまたサコちゃんは考古学なんぞを目指すことになったの?
サコ:実は、大学に入るまでは、考古学のコの字も頭の中になかったんです。高校3年生の時、一緒に受験勉強しているグループの中にいた男子が、大学に入ったら考古学をやるっていうので、「考古学?変なやつ・・」と思ったことをハッキリと覚えています。彼は初志貫徹して、考古学の名門大学に進みました。考古学の学会で、卒業以来初めて彼に出会った時に、「まさか、あなたが考古学をするとは思わなかった」と驚かれました。
チナ:へええ、高校の友だちにもそんな気配はケも見えてなかったわけだ。
サコ:ですね。そんな私が考古学の道に進んだのは、千夏さんもご存じの、森浩一先生のせいです。
チナ:あ〜、師匠との出会いね。その出会いは、大学で講義を聞いたとか?
サコ:それが・・・実は、大学2年生まで、私はあまり大学に行ってなかったんです。
チナ:え? 何、してたの?
サコ:いや、その、あの・・大学に入った時点で、親同士が勝手に決めたケッコン相手ってのがいて・・・
チナ:ぎょええええええぇぇぇ!
サコ:大学は実家を離れて一人暮らしだったのですが、部活禁止、外泊禁止、アルバイト禁止、就活禁止。春休みや夏休みは、即刻帰省して家事手伝い三昧の日々でした。
チナ:ぎょぎょぎょええええ! こりゃすごい告白だわさ(笑)
サコ:もう〜、笑ってしまいますよね。だから、大学を卒業したら私の人生も終わりだと思っていました。で、今のうちに遊んでおかねばって、毎日とても忙しくて、大学に行ってるヒマなかった(笑)
チナ:へ〜! なんちゅうか、ほんと、フツーの、ってより、むしろ時代的にはちょっと旧式のオジョウサマ扱いだったんだねえ! お目にかかったことあるけど、それほど強権的なお父上には見えなかったけどなあ。
サコ:いや〜、もうさんざんバトルを繰り返し、ついに父親は私の最大の理解者に豹変したんです。妻木晩田遺跡の保存運動も、嫌がるかと思ったら全面的に応援してくれたし。
チナ:おおお、戦った甲斐があったわけだ。
サコ:はい、私が教育してあげました・・・じゃなくて、やはり父の懐が大きかった。それに、母親によると、3人の子どものなかで、私がいちばん父に似ているそうです。だから、反発しあう力も求引しあう力も強かったのだと思います。
ってところで、なぜ私が考古学を始めたのかの話に戻ります。
1年生ですでにあまりガッコに行かないズボラ学生でしたが、大学2年生の新学期の登録の時に、「うちの大学には、森浩一という全国的に有名な考古学の先生がおる」と聞いたので、考古学の授業をとることにしました。考古学に興味があったからではなくて、全国的に有名な先生っていうのに興味があったのです(;^ω^) 春学期の間に、2,3度くらい出席したかなというズボラな学生でした。おもしろい先生だと思った記憶はあるのですがが、考古学のどんな話を聞いたのか、まったく覚えていません(;’∀’)
チナ:はいはい。森センセ、天国で苦笑してはる(笑)
サコ:先生、すみません! でも、ここからです。その年の夏休み、実家でボーっと夕方のニュースを見ていたら、「鳥取では珍しい壁画古墳がみつかった!」と大きく報道されました。そこに登場したのが、現地を見にきていた森先生で、「古代の鳥取には、高度で豊かな文化があった」とか言うてはるんです。
チナ:ほうほう。
サコ:えぇ?っと思いました。というのも、大学に入って最初の会話って「お前、どこから来た?」でしょ。 鳥取だと答えると、「島根と鳥取、どっちがどっちだっけ?」「お〜、知ってる。人口がいちばん少ない県だよな」「あ〜、高校の地理の時間に習ったけど、市が4つしかないってホンマか?」「(高校野球の県大会で)3回勝ったら甲子園に行けるんだろ」など、ろくなこと言われない。外に出てみて、わが故郷はそういう印象の薄い、誇れるものが何もない県なんだなぁと思いました。だから、テレビで森先生が「古代の鳥取には、高度で豊かな文化があった」というのを聞いて意外だったし、やはりちょっと嬉しかったんでしょうね。考古学という窓からのぞいたら、どんな“豊かなわが故郷”の姿が見えるんだろう? 私も見てみたいなと思って、森先生の研究室を訪ねたという次第です。
チナ:ほほ〜
サコ:後に、森先生が「考古学は地域に勇気を与える学問である」という言い方をするようになった頃、またエエカッコ言うて〜と思ったけれど、よく考えてみると、私自身が考古学に勇気をもらったってことですよね。
チナ:ほんとだね! 森センセ、正しい! いい話じゃないの。どうして恥ずかしいの?
サコ:でしょ。いま話したのは、ときどき講演などで使う公式発表です。
チナ:あら、そうなんだ。実はって話があるのね。
サコ:千夏さんのご下命ですから、本邦初公開、ホントの話を白状します。
チナ:おお! いいね!

父の活躍?!

サコ
:実は、壁画古墳のニュースで森先生が現れた時、私はつい「いま、この先生の授業をとっているのだ」と父親に自慢げに言ったのです。日頃、大学さぼってる後ろめたさもあって、ちょっといいカッコしたんですね。それが運のツキ(@_@;) ニュースが終ると父親は私を電話のところにひきずっていき、「鳥取なら、あのホテルに違いないから、いまから電話をして、私も連れていってくれと頼め」って言うんです。
チナ:ひょえ〜〜〜〜!でも、森先生は毎晩お酒を飲みにでるから、いなかったでしょ。
サコ:ですよね。絶対、そうなんですよ。でも、なぜかこの日は珍しく部屋にいたんです。電話が繋がってしまった。
チナ:あははは〜、漫画みたいな話だ。
サコ:もう生きた心地がしませんでしたぁ。電話の横には父親が仁王のように立ってるし、もう仕方ない。考古学の授業をとっている米子出身の学生だと名乗り、明日もどこかの遺跡に行くならつれて行って頂きたいと、父親の指令通りのセリフを言いました。そしたら、「ほな、来いや」って((+_+))
チナ:いや〜、ユニークなお父さんだね。
サコ:ですよね。でも、今となっては、この時の父親の行動には、感謝しているんです。普通の親なら、「ふ〜ん」で終わっているでしょ。そしたら、私、絶対に考古学していませんでした。いささか強引でしたが、あの時に電話をしたおかげで、森先生と一日一緒に遺跡をみてまわり、ちょっと仲良しになって、「夏休みがあけたら研究室に来い」って言われました。実家に帰ってそう報告をしたら、父親が家にあったいちばん上等のブランデーをだしてきて、「これをもって行け」って。手土産をもたされたら、行かねばならぬ。それに、私もまた先生に会いたい気になっていたし。
チナ:つまり、お父上がサコちゃんの背中を押して、考古学の道に入れたってわけね。こりゃ、考古学を始めたきっかけを、学生には話しづらいはずだわ。自主性ゼロ(笑)
サコ:背中を押したどころか、お尻を蹴飛ばしまくって、です。恥ずかしくて、誰にも話せないでしょ。くれぐれも、他言は無用に願いますよ。
とはいえ、森先生の研究室を初めて訪ねた時は、考古学をやろうっていうほどの思いではなかったんですよ。ただ「壁画がみつかった鳥取県の出身で〜す!」って言いたいという、すごくミーハーなノリでした。今から思えば、よく行ったなぁと(;^ω^) そしたらその場で、「だったら、鳥取県には線刻壁画古墳がたくさんあるから、壁画古墳をやれ」と言われて、ギョギョ〜(@_@;)!です。さらに、「ちょうど今から、定例の研究会があるから、来なさい」と言われて、ギョエ〜〜〜〜(>_<)!
チナ:なあるほど、センセ、弟子を一匹釣ったわけだ(笑)
サコ:毎週木曜日の夜は、森先生のもとで考古学を勉強している学生やOBが数十人集まって、定例研究会が開かれるのです。うちの大学には、森先生に憧れて入学したという、いわゆる考古ボーイ達が大勢いました。そんな猛者の集まりに、ワケもわからず、森先生に連れられて行った。後で聞いたら、先生が学生を連れてくるなんてことはなかったので、よほど優秀な学生なのだろうと、皆が思ったそうです。そしたら、考古学のコの字も知らないどころか、ろくに大学にも来てない落ちこぼれ学生だった(;^ω^)
チナ:あはは〜。考古学を専攻する女子学生は、他にもいた?
サコ:いるにはいたけどごく少数で、圧倒的に男子の世界でしたね。だから、大人達から「大学で何をやってるの?」と聞かれて、考古学と答えると、「ああそう、大変ね」と言われる。その言葉の端に、哀れみに似たニュアンスを感じました。
チナ:男に囲まれて大変ねっていう?
サコ:もちろんそれもあったのでしょうけれど、「女の子なのに考古学?変わった子だ・・・」みたいな視線を感じたことも(;^ω^) 
チナ:あ、一昔前の落研の女子に似た境遇だな(笑) これじゃオヨメに行けないぞ、かわいそうに、というアレ。
サコ:そそ、それです!たしかに、まわりが男子ばかりなので、発掘現場のプレハブで、着替える場所もなくて、男子の後ろで「振り向いたら殺すぞ〜」と言いながら着替えたり、遺跡の踏査でも男子はトイレがなくてもなんとかなるから羨ましいと思ったり。
それに、森先生は、鳥取県の壁画古墳をテーマにしろと言われました。鳥取県には、横穴式石室の壁面に線刻壁画が描かれた古墳が50基くらいあります。これは、壁画古墳の本場である熊本県に次ぐ多さです。なにはともあれ、それを見に行かねばならないわけです。古墳はたいてい山の中にあります。一人では行くなという先生の厳命もあって、同級生の男子について行ってもらうことにしました。みな純粋に熱心な考古ボーイ達なので、一度くらい鳥取の古墳を見にいくのもいいかって、京都から往復夜行列車の日帰り強行踏査に快くつきあってくれました。でも、一度はいいけど、二度はない(;’∀’) だから毎回、違う誰かについてきてもらっていたら、鳥取で「サコは毎回つれてくる男子が違うけど、どれが本命だ?」と陰で囁かれていたそうです。幸か不幸か、うちの考古ボーイ達は遺跡と遺物にしか関心がなかったから、2人で山の中に入っても、色気のカケラもなかったですけどね。

「おんな」の事情

チナ:男といえば例の父親が決めた婚約者、サコちゃんの大学卒業を待ってたわけでしょ、どうなったの?
サコ:おっと、そこですか? 
チナ:そこ、大事よぉ(笑)
サコ:学生時代には、まだ会っていませんでした。でも、卒業して実家に帰れば、もう籠の鳥ですからね。執行猶予期間を延長させるべく、大学院に進んだのですが、それが父親の逆鱗にふれて勘当されました。
チナ:じ、じ、時代劇かよ・・・でもあの、イナカではフツウだったの?そういうこと。
サコ:そう言われてみると高校の同級生で成績優秀だったのに、親御さんに「女子に学歴はいらない」って言われて、大学に行かせてもらえなかった子がいました。その話を聞いた時、さすがに我々も驚きましたが、実家から通える大学しか許してもらえなかった女子は珍しくなかったように思います。私も、大学院に行きたいと言ったら、父は「嫁のもらい手がなくなる!」って激怒です(;^ω^)
それを思えば、予備校から親元を離れての一人暮らしをさせてくれたのは、進歩的な親でしょ? なのに、「結婚相手は親が決めるものだ!」っていう、このギャップに子どもは翻弄されたわけです(;^ω^) 
チナ:なるほどねぇ、背中を蹴飛ばされて考古学の道に足をつっこみ、その道がだんだん楽しくなってきたら、またもや父殿のご意向で大学院までは行き過ぎだ、ダメだ、と。まあ元々、学問に深入りさせたくなかったんだろうけど。
で、逆らったら勘当されて・・・
サコ:嬉しかったな〜。
チナ:あっはははは
サコ:これで父親の支配から解放されると思ったら、なんだか心が晴れ晴れしました。
チナ:うんうん。
サコ:で、アルバイトをして学費・生活費を稼いて修士をとりました。
チナ:そうかあ、独立心は大いにあったのね。それが勘当を機に爆発したわけだ。
サコ:はい。財布に50円玉1個しかない日があったりしたけれど、楽しい日々でした。しかし、博士課程の1年目に、母親をつかって強引に連れ戻されました。
チナ:わっ、また時代劇(笑)
サコ:はい。いろいろスッタモンダがありました。親同士が決めたケッコン相手とは結婚までは至らず、大学の同級生と結婚したけど、なんかうまくいかず。離婚するかどうかで悩んでいた時期に、たまたま森先生が講演にくるというので会いにいって、お酒飲みながらゴニョゴニョ近況報告するうちに、先生の仕事の手伝いをすることになり、やがて自分でも考古学の仕事をするようになり、30才で独り身に戻りました。あの時、先生と出会わなければ、私、どうしてたんだろうなぁ。専業主婦のまま、孫に囲まれ、うるさい婆ちゃんになってたかな(;^ω^)
チナ:まさかあ(笑)
サコ:いや、だってね、こうしていろいろふりかえってみると、私がほんとに本気で考古学を勉強し始めたのは、30才からなのかもしれません。大学院まで行ったとはいえ、それはたんに実家に帰りたくなかったという不純な動機でしたからね。専業主婦になることしか選択肢がないと思っていたので、考古学を一生の仕事にするなんて思いもよらないことでした。
チナ:えええっ・・・と叫びそうになったけど、そうだね、まだそういう時代だったよね。私は小さい時から演劇やって、いっぱしプロ意識があったから、専業主婦なんて考えたこともなかったけど、そうだよね、もし、フツウに中山薬局のオジョウチャンやってたら、やっぱり専業主婦が最大選択肢になってたかもしれない。よほど自我の強い女でなけりゃ、それ以外を選択するのは難しい時代だったよね。
サコ:そうですね。私は子どもの頃から、社会でバリバリ仕事をするということは、自分とは無縁な世界だと諦めていた気がします。妹は、大学で部活と合宿に明け暮れ、春休み・夏休みも全然実家に帰ってこないし、卒業してしばらくOLをした後、大学の同級生と結婚しました。すべて、まったく問題なし。なんでこんなに違うねん!と思うでしょ。親も、だんだん学習したんですよね。だから、私に感謝してって妹に恩着せがましく言うてます。
チナ:そうだ! 女の道は先輩諸姉の苦労のあとに開けているのだ!
サコ:おう!(笑)
チナ:あ、もしかして、サコちゃんは考古学の神様に見初められたのかもしれないよ。森センセがそのお使いで、サコちゃんが他所を向きそうになると、神様から派遣されて登場する、みたいな。
サコ:ぎょえ〜、なんと畏れ多いこと!!でも、そうだとしたら、嬉しいなぁ。ふと思い出したのですが、十数年来、京都の法然院で「お寺で楽しく考古学」っていう講座をしているのですが、ある時住職が私を紹介してくれる時に、「佐古和枝という名前の通りの生き方をしておられます」って言うたんです。何かと思ったら、「古きを佐(たす)け、平和の枝を広げる」ですって。
チナ:おおお、なるほど!
サコ:ひょえ〜!ですよね。そういう生き方をせねばって、思いました。
チナ:さすがお坊さん、うまいこと言うね。
サコ:さすがですよね。それにしても、こんなことになるなら、もっとちゃんと大学で勉強しておくんだったと、ずーっと後悔してます。大学はたかだか4年間、卒業後の年月の方がはるかに長いのですが、学生時代にガッツリ鍛えられると、その後の伸びしろが違うと思います。大学生の諸君、しっかり勉強しろよ〜! 私も、また生まれ変わったら、今度は大学でちゃんとマジメに楽しく考古学三昧したいです。
チナ:動機は不純でも、やってみたらそこまでおもしろかったってことだな。うん、次回はそのあたりを極めよう!
サコ:はいな!

(次回に続く)