第304回 「お杉お玉」のこと

佐古和枝(在日山陰人)

はぁ〜、お玉さん!知りませんでした。ネコの名前にタマが多いのは、ネコがボール(玉)で遊ぶのが好きだから、だと思っていました。どんなことでも、「ん?」と思ったら、調べてみるもんですね。

「歩きお玉」はもとより、「お杉お玉」という女性のことも知らなかったので、ちょいとネットで検索したら、いろいろ出てきました。落語や常磐津、民謡、さらに中里介山著『大簿雑峠』にも登場するユーメージンなんですね。ネット情報を簡単にまとめると、お杉とお玉は、伊勢神宮の内宮と外宮の間にある「間の山」に小屋掛けし、三味線や胡弓などを弾いて歌い、旅人から銭をもらっていた女芸人。中川ただもと氏の著書『伊勢の文学と歴史の散歩』は、江戸時代の井原西鶴の『西鶴織留』で「お杉お玉」について下記の文章を紹介しています。

   −又 間の山の乞食、昔は遊女のごとく小袖の色をつくして、味曽こし
    提たるもおかし、其すがたには似ざりき。中にも、おたま・おすぎとて、
    ふたりの美女あって、身の色を作り、三味線を引ならし、あさましや
    女のすゑと、伊勢ぶしをうたひける。


お杉お玉(赤福のしおり)

土屋さんが探しておられた文章には「街道を流して歩く女人」とか「お杉が年増」と書いてあるそうなので、これとは違う文献なのでしょうけれど、間の山には女芸人がたくさんいた。そのなかでも美人だったのが「お杉とお玉」で、三味線を弾いて伊勢節を歌っていたということがわかります。
江戸時代(18世紀末)の『伊勢参宮名所図会』の「間の山」では、「お杉お玉」に銭を投げる旅人たちの様子が描かれています。お杉お玉は、顔に向かって投げつけられる一文銭をひょいとよけるのが上手なので、旅人たちは面白がって盛んに銭を投げたそうです。芸能界の新人類、江戸時代版ピンク・レディー!・・・って、古いなぁ(;^ω^)

でも、ネットでは、似ているようで別物みたいな「お杉お玉」伝承が東北・関東のあちこちにある。そうすると、伊勢で人気を集めたユーメー芸人「お杉お玉」の名前が、旅人達の土産話となって各地に広まり、次第に美人の女芸人やよく出歩く娘の代名詞になった、ということかなと思いました。

こうして、「歴史は作られる」。当事者は正確に語り伝えたつもりでも、人口に膾炙するにつれ、伝言ゲームのように話は変容していく。いつのまにか、トンデモ話が「歴史的事実」と信じられていることもあり得ることです。だから、書き残された記録から、信頼できる情報を抽出する歴史学という学問が必要なんですね。

それにしても、遠い過去の出来事を知るというのは、簡単なことではありません。過去に起きた“事実”は点としてあり、点と点をつなぐ線になるのが“解釈”。われわれが「歴史」ととらえている世界は、解釈の方。言い換えれば“物語”です。多くの人が、個別には知っているけれど互いに無関係だと思っていた点と点を、グイグイと線で繋いで、新たな物語を紡いでみせる〜それが、歴史研究の醍醐味だと思います。土屋さんは、それを実践しておられますね。

さりながら、「これは、あくまでも私だけの仮説で、・・・」とか「どちらにしても確証はありません」など、土屋さんは謙虚です。「歴史解釈、かくあるべし!」と私が思ったのは、ココでした。歴史は、わからないことだらけです。だから、古代史の謎をスッキリ解明するような謳い文句の歴史本がよく出回っていますけれど、遠い昔の出来事を、まるで見てきたように断定的に語る人や、そのことについて自分がいちばんよく知っていると自信満々な人は、日常生活においてもあまり信用しない方がいいと思います(;^ω^)