サコ:ところでチナさん、弥生時代の始まりは、学校でどんなふうに教わりました?
チナ:え〜?大昔のことだからよく覚えていないけど、紀元前ン世紀とかに、朝鮮半島から渡来人がきて、稲作を伝えたってなことだったと思う
サコ:はい、だいたいそんな感じですよね。いまの小学校の歴史教科書では、「2400年前ころ」に「中国(大陸)や朝鮮半島から移り住んだ人びとによって、日本列島に米づくりが伝えられました」。この時代を弥生時代といいます、というような説明です。
ごくフツーに、そうなんですけど、改めて読んでみると、少しツッコミたくなりませんか?
チナ:うん、なるなる。そもそも「2400年前」というような年代はどうしてわかるのか。それから、なぜその時期に、急に渡来人がやってきたのか。縄文時代には、大陸とはほとんど没交渉なんでしょ?どうして、弥生時代になって大陸との交渉が急に活発になったのか、ずっと不思議だったのよ。
サコ:ですよね〜。気になりますよね。

チナ:弥生の年代といえば、なんかちょっと前に、学界が湧いてたよね、弥生の始まりが早まったとか、イヤそうじゃないとか。
サコ:文字のない時代の年代は、科学的な年代測定になるわけですが、いちばんよく使われるのが放射性炭素C14による年代測定法です。第二次世界大戦中、アメリカでおこなわれていた原爆の開発研究から生まれた方法で、1947年に発表されて以来、世界各地で使われるようになりました。ただ、これ、けっこう誤差が大きかったのですが、近年C14の加速器質量分析(AMS)法や年輪年代測定法の開発によって、年代測定の精度はずいぶん向上しました。
それと、中国や朝鮮半島の考古学の研究が進んだこともあって、弥生時代の始まりは紀元前5、6世紀頃という見方が主流になっていました。
そこに2003年、国立歴史民俗博物館の研究チームが、AMS法で年代測定値したら、弥生時代の始まりが従来の年代観より500年古く、紀元前10世紀になったと発表して、大きく報道されました。
しかし、考古学界では、試料の選び方や扱い方に問題があるのではないか、とか、中国や朝鮮半島の歴史の展開と齟齬をきたすとか、いろいろ批判が続出して、大騒ぎになりました。そして、大陸の青銅器・鉄器文化との整合性や、地球の寒冷化による砂丘の発達と遺跡の立地の関係、年輪年代法の活用など、いろいろな視点からの分析・検討がおこなわれ、紀元前8世紀説がでてきたり、従来通りの紀元前6世紀説を妥当とする立場もあったり、研究者によって見解は分かれています。でも、小学校の教科書にあるような2400年前説は、学界ではもうないですね。

 

チナ:なるほど。「炭素を測定するのだからAMS法の測定結果が最も科学的・客観的で正しい」と現代人は思いがちだけど、そこが落とし穴かも。
原発事故以来、私は学問の「科学的予測・分析」の類には気をつけるようになった。資料を集めるのも、観察するのも、分析するのも、分析結果を評価するのも、結局は人間だものね。やはり事実そのものではない。絶対、ではないと思ってコトに当たったほうが、予想外があった時の打撃が少ないと思うよ。
サコ:ですよね。考古学者って文科系だから理数系の苦手な人も多いし(;^ω^)、考古学の方法だけではなかなかピン・ポイントで年代を言うことが難しいから、科学分析で年代をだしてもらえるのは、そりゃありがたいことです。でも、どういう資料を分析するのかとか、でてきた分析結果をどう評価するかなど、やはり考古学の研究者がしっかり判断しなきゃいけないところはありますからね。
それから、何をもって新しい時代の始まりとするかというのも、難しい問題なんですよ。たとえば、縄文時代の始まりは、教科書的にいえば「土器を使いはじめた」となっています。いまのところ、わが国最古の縄文土器は、1万6500年前に青森県の大平山元T遺跡で出土したものです。だから、1万6500年前から縄文時代が始まったとする研究者もいるし、土器がもう少し広まった段階まで待って1万5000年前とする研究者もいます。
弥生時代についても、同じです。弥生時代とは「田んぼで米作りを始めた時代」で、最初に稲作が始まるのは、唐津平野や福岡平野など玄界灘沿岸地域です。玄界灘沿岸で稲作が始まったといっても、他の地域はまだ縄文の生活をしているわけで、一部の地域が稲作を始めたからといって、そこで新しい時代が始まったとしていいんだろうか、って話です。

チナ:そうだよね。北部九州の弥生人が稲作を始めた頃、関東ではまだ縄文時代そのまんまの生活をしていたわけだ。先住民のアイヌにいたっては、近代まで狩猟採集が中心だったでしょ。そういう民族と倭人との間に商売や領地を巡って「シャクシャインの戦い」なんていう大戦争があったのは、17世紀ごろでしょ。弥生時代ですから一斉に農耕を始めましょっ、なんて話じゃないんだものね。
サコ:考えてみたら、当たり前の話なんですけどね。
チナ:そういう事実を基本とした上で、じゃあ、われわれ一般人は、おおざっぱなところ、どのくらいの時代区分を認識しておけばいいのかな?
サコ:ですよね。ま、縄文時代は土器の出現、弥生時代は稲作の開始が、それぞれの時代の革新的な特徴なので、どこかで線を引くとしたら、やはり最初に土器が出現したとか、最初に稲作が始まったという時なのだろうと思います。
ただし稲作は、玄界灘沿岸からじわじわと各地に伝わっていくし、稲作に適していない地域には伝わらないから、空間的にも時間的にもグラデーションもあるということは、忘れないでおいてください。地域の個性が豊かだってことです。そう簡単に「弥生」一色にベタっと塗り潰せるほど、日本列島は均質・単純な文化ではないということを明らかにしてきたのが、戦後の考古学の大きな成果だと思います。
チナ:おっし、了解! それで、その稲作を伝えた渡来人は、その時なぜ日本列島に渡ってきたわけ?
サコ:えと、その話は長くなるので改めて(;^ω^)
チナはい、続きは次回にしましょう!

(次回に続く)