第298回 大海を渡った勇者たち

佐古和枝(在日山陰人)

う〜む、本来の主従関係が逆転して、「従」が自分を「主」だと勝手に勘違いし、言いたい放題したい放題の暴走中。その暴走を止められないマスコミも与党議員も検察も裁判所も、なにより本来「主」である私達も、情けない。おっと、こんなことを書いたら、共謀罪で捕まるのかな。
もう、世界規模で人類社会にヤキがまわり、ガラガラと崩壊にむけて転がり落ちていってるような気がします。現代社会は気の滅入るようなニュースばかりなので、少し気分を変えて、今回ははるか大昔、人類史の最初の段階である旧石器時代まで、時計の針を戻してみましょう。

5月20日の新聞の一面に、久しぶりに考古学のニュースが大きく掲載されました。石垣島の新石垣空港建設にともない発掘された白保棹根田原洞穴遺跡で、岩陰に葬られた旧石器時代の人骨19体分が出土したのです。旧石器時代の人骨が1つの遺跡で19体分は、世界的にも最多級。しかもその年代は2万7000年前〜1万8000年前で、墓地と認識できる国内最古の事例です。これらの人骨は洞穴内の岩陰に、あおむけで膝を胸まで、ひじが両手が顔に近付くまで折り曲げた“屈葬”の姿勢で、風葬のように長期間置かれていたようです。こうした埋葬形態は他に知られておらず、世界的にも価値の高い発見です。ミトコンドリアDNAの分析によると、白保棹根田原洞穴人は、中国南部か東南アジアに由来するそうです。ということは、南の方から、海を越えてやってきた?でも、この人達、そんな大航海ができたのでしょうか。

ちょっと人類史を復習しますと、人類は700万年前にアフリカで登場して以来、いくつもの種が出現しては絶滅してきました。そして、いま地球上に生きている人類(ホモ・サピエンス)は、20万〜12万年前頃にアフリカで出現し、10万〜5万年前頃にアフリカから出て、世界各地に広がったものとされています。つまり今生きている人類は、肌の色、顔つき体つきが違っていても、先祖は同じってことですね。
日本列島に人類が本格的に住み始めたのは、2万7000年前をピークとする最終氷期の最寒冷期に、海水面が下がって大陸と陸続きになったからだと説明されてきました。ところが実際には、北海道と大陸と陸続きになっていますが、北海道と本州、朝鮮半島と九州は完全に陸続きにはなっていないという見方が有力です。それでもまぁ、海の表面が凍った上を歩いて渡れたのだろうって、けっこうアバウト(;^ω^) というのも、旧石器時代には、大きな木を切り倒したり、丸木舟を造れるような道具がないのです。舟がないから、“歩いて渡ってくるしかない”と、考えられていたんです。

ところが近年、その最寒冷期よりも古い3万8000年前頃から、本州や九州で遺跡が急増することが明らかになっています。となると、北海道以南の最初の日本列島人は、陸橋を歩いてきたのではなく、海を渡ってやってきたということになります。これは、えらいこっちゃです。


想定される3万年前の地形と3つの渡来ルート(国立自然博物館HPより)

なかでも、今回ニュースで注目された石垣島を含む琉球列島は、全長約1200kmにおよぶ島々に3万5000年から3万年前後の遺跡が点々とみつかっています。琉球列島は、サンゴ礁による石灰岩質の島だから、人骨の残りもよくて、旧石器時代の人骨の出土数も全国最多です。白保棹根田原洞穴人が中国南部や東南アジアの人類と似ているということは、九州から南下してきたのではなく、大陸から北上してきた可能性が高いってことですね。
大陸と陸続きだった台湾から与那国島へ渡るには3日間、陸地の見えない航海です。しかも、世界最大の海流といわれる黒潮を乗り切らねばなりません。また、そこから先、それらの島々にたどりつくにも数十km、時にはそれ以上の航海を繰り返さなくてはなりません。目的地の島を目視できない航海もあります。かなり高度な航海技術と造船技術が必要なはずです。

こういう遠洋航海は琉球諸島だけでなく、3万8000年前に本土から60kmほど沖合にある伊豆諸島の神津島に黒曜石をとりに行っていることも確認されています。これらの事象は、世界最古の遠洋航海として注目されています。でも、旧石器時代にどうやってそういう遠洋航海できたのか、いまのところ遺跡の発掘調査では、その手がかりが得られていません。


琉球列島の主な旧石器時代遺跡と現在の黒潮流路(国立自然博物館HPより)

「実験してみよう!」と言いだしたのは、国立科学博物館の人類学者海部陽介さん。海部さん率いる「3万年前の航海〜徹底再現プロジェクト・チーム」は、2016年7月に与那国島から西表島へと漕ぎ出す航海実験をしました。島の住民や島外からの大勢の協力者とともに、与那国島に生えているヒメガマで作った草舟2艘で、大海を漕ぎ渡ろうという計画です。ヒメガマ製の舟は、ニュージーランドの先住民マオリ族が使っています。


ヒメガマの舟のテスト航海(国立自然博物館HPより)

漕ぎ手は舟作りにも参加した島の若者で、1艘に男女7名。漕ぎ手に女性を交えたのは、移住の再現にこだわったからです。結果は、残念ながら途中で黒潮に流されてしまいましたが、今年は台湾の竹で筏を作って、台湾から与那国島をめざす計画で、6月には航海テストがおこなわれる予定です。
(詳しくは国立自然博物館HPを参照 http://www.kahaku.go.jp/research/activities/special/koukai/


実験航海の計画(国立自然博物館HPより)

興味深いのは、この実験により、島から島への移動には、舟作りからの長期にわたる周到な準備が必要だと確認されたことです。そのことから、プロジェクトチームは、遠い祖先たちの大航海について、漂流などの偶然ではなく、何かの事情で故郷を追われて仕方なくという消極的な理由でもなく、周到な準備と覚悟をもった、積極的な挑戦であったと総括しています。
旧石器時代の人々の冒険心、チャレンジ精神・・・として片づけるには、あまりに危険でオソロシイ挑戦です。それでも、大海原のむこうに行ってみたいと思った男女がいて、おそらくかなりの確率で遭難したのでしょうけれど、幸運にも無事に辿りついた人々がいたわけですね。そう思うと、琉球列島の島々でみつかる旧石器時代の遺跡に、とてつもなく壮大なドラマが埋もれているように思えてきます。人類って、すごい!また、それを再現しようと実験航海に挑戦するプロジェクトチームの皆さんもすごい!わたしも、がんばろっと。