チナ さて、いよいよイワレヒコ(神武)伝承を楽しみましょうか。
サコ はいはい。
チナ ついては最初に整理しておきたいんですが。記紀について。
サコ はい、記紀はほぼ同時代に成立したと見ておきましょう。八世紀初頭ですね。どちらも、編纂には天武天皇が関わっています。『日本書紀』は、天武天皇が編纂チームに命じて作らせた歴史書で、720年に完成。平安時代や鎌倉時代に宮中で何度も講義がおこなわれ、その講義メモが『日本書紀私記』とか『釈日本紀』などの書物として残っています。
それに対して『古事記』は、天武天皇が稗田阿礼に暗唱させていた歴史の物語を奈良時代になって太安万侶が文字に書き記し、712年に元明天皇に献上したと、『古事記』序文に書かれています。『古事記』は、江戸時代に国学の本居宣長が高く評価したことからその存在が知られるようになりましたが、それまでは記録にほとんど出てこない書物なんです。712年に完成して天皇に献上したということも、『古事記』の序文の他にはどこにも書かれていないし、宮中で講義された記録もない。それに、序文の体裁もおかしいとか、いろいろ問題があって、江戸時代から偽書説のある書物です。とはいっても、序文が怪しいということであって、『古事記』本文は『日本書紀』と類似の伝承も記されているので、古い伝承を記録した書物であることには違いないと思います。
チナ 歴代天皇のラインナップは長短はあってもガッチリ合っている。でも、神武誕生までの神話部分の筋書きはかなり違うよね。
サコ 筋書きだけでなく、記述形式も違います。『古事記』はひとつながりの物語で、出来事の年月日は書いていません。
それに対して『日本書紀』の神話部分は、本文を何段にも分けて、本文のあとに「一書に曰(いは)く」という形で、別伝も掲載していることです。しかもご丁寧に、4つも5つも多いところでは11も「一書」が併記されていたりもします。そもそも正史というのは、ある伝承について複数のバージョンがある場合に、コレが正統な歴史だとお墨付きをつけるものなのです。だから、正史としては異例な記述の仕方なのですが、われわれにとっては、本文よりも何番目の「一書」がいちばん古い形ではないか、とか、「一書」と「本文」の違いは何故だろうとか、いろいろ比較分析できるので、ありがたい。
チナ だから神話部分、最初は読みにくかったなあ。本文と一書がごちゃごちゃしてて。で、よく読んでみて驚いたのは、本文が時のヤマト朝廷の公式見解だとすると、『古事記』の筋書きとかなり違う。『古事記』の筋書きは一書のほうに入っている。
サコ そうですね。
チナ だからね、私、思ってるんだけど、『古事記』は正史を編むための叩き台だったんじゃないかって。ま、それは幻想として、だから、今回の話は、大和朝廷の公式見解だった『日本書紀』を中心に、『古事記』は一書的扱いで触れていく、ということでいきませんか?
サコ はい、そうしましょう。サコとしても『日本書紀』のほうがよく馴染んでいるので、助かります。ほっ。
チナ うふふ、学者は私みたいにテキトーではいられないもんね。

◯お祖母さんはワニ

サコ では、まずイワレヒコ伝承の粗筋をザックリご紹介しておきましょう。
チナ そうしましょう。神話からですね。
サコ はい、え〜と、お空の上の高天原には天神たちがおりまして、そのトップが天照大神。そして、葦原中国と呼ばれた地上世界には国神たちがおりまして、そのトップは出雲の大国主命。しかし、葦原中国も天神が治めるべきだと天照が言いだして、出雲の大国主命を強引に引退させ、自分の孫のニニギ尊を地上世界に送りこんだ。
チナ 孫といっても義理の孫だけどね。天照は結婚も出産もしないから。ま義理でも孫、実の祖父ちゃんも天神だから、ニニギの天降りを「天孫降臨」なんて言う。これって完全な侵略政策ね。
サコ そうそう。いきなり大国主命に「この国を譲れ」なんて言うものだから、大国主命はビックリ仰天です。でも、仕方ないから譲ることにして、出雲大社にひきこもったんです。ところが、ニニギが天降った先は、なぜか出雲ではなく日向でした。
チナ そこがへん!
サコ とてもへん!
チナ でも私は、出雲国神の勢力圏が九州まであって、天神勢はその一角、端っこの日向を割譲されたに過ぎない、と理解して納得してるんだけど。
サコ え?それはまた聞き捨てならぬ、オモロイ解釈ですね。いやいや、そこに深入りすると大変なので、目をつぶって先に進みます。
チナ あははは。
サコ 日向で、ニニギ⇒ヒコホホデミ(山幸彦)⇒ウガヤフキアヘズと3代続いて、ウガヤの子がイワレビコなんですね。ニニギの妻は地元の女神ですけれど、その間に生まれたヒコホホデミの妻は、海神の娘です。
チナ そうそう、その話は面白い。海幸彦と山幸彦の話は、記紀でだいたい同じでしょ。ホホデミの「またの名」山幸彦で語られる。どうも山幸彦物語というのがあって、それをホホデミと合体させた感じ。
サコ そうだと思います。もともと南九州とは関係ないイワレヒコの系譜が、あとで海幸山幸伝承にくっつけられたのでしょう。その山幸彦が竜宮城みたいな海神の宮殿へ行って、そこのお姫さん豊玉姫と夫婦になる。三年して山幸彦は、身重な妻を置き去りにして陸に戻る。ひどい亭主だ。
チナ 今なら袋叩き(笑)。でも女系の通婚では、男は子作りの時さえいればいい、あとは好きにしなはれ、だった(笑)。その代わり男は子への権利を主張しないし、女も世の中も誰が父親か気にしない。
サコ あはは、なるほど。でも、豊玉姫は新思想だったみたいで、産み月が近づいたら陸まで追ってきて、海辺の産屋で出産する。その時、なんと豊玉姫は大きなワニ(八尋鰐=ヤヒロワニ)の姿になっておりました、と。
もっとも『日本書紀』本文では「龍」ですけど、一書群は『古事記』同様ワニだと書いています。
チナ ちょいまち・・・原典調べた!
サコ はや(^_^;)
チナ 一書は4つ、うち出産の姿に触れているのはふたつ、いずれも大ワニ(八尋鰐)です。
サコ ふむ。八尋鰐説が優勢ですね。そうして生まれた子がウガヤフキアヘズ。またその子がイハレヒコ。だから、神武天皇のお祖母ちゃんはワニなんです。
チナ はい、そうなります。『日本書紀』本文だけが龍なのは、中国の帝王は龍の子孫らしいから、それを意識しての見栄だと思うな。

◯どうしてワニ?

サコ でも、最初読んだ時、ワニって不思議じゃなかったですか?
チナ 不思議だったわよお! いくら古代の九州でもワニはいないんじゃないかって。でも学者の解説によると、サメのことだって。サメを古語でワニと言うって。そういえば小笠原にはシロワニというサメがいるのよ。
サコ え〜、小笠原でも、サメをワニと言うんですか。
チナ いや、ほかのサメはサメよ。学問上の和名がシロワニなの。和名でワニがつくサメは、こいつだけみたいだなあ。シロワニは温帯・熱帯の海にふつうにいて、日本では小笠原でしか見られないと聞いています。小笠原に日本人が入植したのは明治以後だからね、八丈島かどこか出身の島民が持ってきた名前なんじゃないのかな。先住民(欧米人とハワイ人)は英語でサンド・タイガー・シャークと呼んでいたのかも。ダイバーのアイドルよ(笑)私も行ったら必ず会ってくる。
サコ ううう、怖くないですか。
チナ 全長2、3メートルで乱ぐい歯が怖い(笑)。でもおとなしいの。


シロワニ 小笠原 撮影・中山千夏

サコ ほほう。それはともかく、日本列島にワニはいないし、山陰や三次盆地でサメのことを今でもワニと言いますから、因幡の素兎とか『出雲国風土記』の神話に出てくるワニは、サメのことかもしれないと思えるんですよ。
 でも、ウガヤフキアヘズを産む時の豊玉姫は、「匍匐ひ(はらばい)モゴヨふ(蛇行する)」って書いていますでしょ。
チナ 腹ばってうねうねする、って感じ?
サコ ええ。これは、サメよりもワニの姿のような気がしませんか?
チナ うううむ、そういえばそうだね。
サコ 本文の「龍」というのも、龍は架空の生き物ですが、実在の動物でいえば蛇または鰐が通説なんですよ。
チナ でもさ。本文には乗り物としての動物は出てこないんだけど、3つの一書には、「大鰐」「一尋鰐」「八尋鰐」が出て来る。そのひとつによると、海神の駿馬は「八尋鰐」で、「鰭背(はた=背ビレ)」を立ててるって。ワニに背ビレは無いでしょ。それで、八尋鰐だと海宮まで八日かかるけど、一尋鰐はものすごく速くて一日で行けるって。このスピード感は、ワニではなくサメじゃないかなあ?
サコ そっかぁ。実は、出雲や肥前の風土記に、女神を慕って川を遡ってくるワニの話があるんです。ワニなら川にもいるけど、サメが川を遡るかぁ〜?って疑問だったんです。でも、調べてみたら、いるんですよね、川を遡るサメが。
チナ へええ!
サコ オオメジロザメはミシシッピ川やアマゾン川で数千キロも遡ってくるらしい。このサメは沖縄でも、川を遡ってるみたいですよ。
チナ そうなんだあ。知らなかった。
サコ 伊勢神宮(内宮)の別宮の伊雑宮(志摩市)の御田植え祭の日に、七匹の鮫が的矢湾から伊雑宮の大御田橋まで遡ってくるそうです。御田植祭の唄にも「鮫が来る〜」って歌われています。となると、やっぱりワニは、ワニじゃなくてサメかぁ。
チナ ほら、時々、大きなサメが海岸に打ち上がるじゃない? それが豊玉伝説の元になったのかもね。あああああっ!
サコ ななな・・・
チナ 思い出した。サメはおおむね卵生なんだけど、胎生、つまりカタチになってから生まれるのがあるの。その代表がシロワニ、それにオオメジロザメなんよ!
サコ おお!
チナ 正確にはシロワニは卵胎生といって、体内で卵からかえってほかの卵を食べながら大きくなって外へ出る。オオメジロのほうは完全な胎生。だから、海辺に打ち上がった時、体内に仔があることがよくある。
サコ おおお!出産の時に「匍匐ひ(はらばい)モゴヨふ(蛇行する)」というのは、そこから生まれた神話かもですね。
チナ そうに違いないよ。ってことは、比較的あったかい地方の、海洋風土の神話ってこと。
サコ 日向を舞台にした神話には、ニニギ妃の火中出産とか、竹に対する信仰など、南方との共通点がいくつかみられます。ニニギの妻も、イワレヒコの最初の妻も、隼人の女性(女神?)です。
チナ それが不思議! 
サコ おおいに不思議! 
チナ 隼人って、天皇制のなかで差別されていた族でしょ。海幸山幸の話でも、山幸に負けて服従する兄の海幸は、隼人の祖先だ、と言って、隼人差別を正当化しているのに。
サコ どえらい不思議ですが、ここでは深入りしないでいきましょう。ともあれ、イワレヒコ伝承にともなう南方系の要素は、隼人との関係に由来するもののようだってなところで、先に進みます。
チナ はいはい。

◯神武のモデルは?

サコ 初代天皇イワレヒコの物語は、日向から始まります。地元の長老みたいな塩土翁が「東にもっといい土地があるよ」って言うもんだから、「じゃ、行こう」ってことになった。
チナ 『日本書紀』もそんな感じで書いてあれば、さっさと進んで面白いのに。やたらもったいぶってる。
サコ あははは。ちょっとハショリすぎたかも(;^ω^)
チナ 『古事記』は気軽よ。いきなり、高千穂宮のイワレヒコと兄が出てきて、「どこで治世しようか、そうだ東へ行こう」、というので日向を発って筑紫宮へ行き云々と始まる。記紀ともに、ここからが「人代」というわけで、歴代天皇の記録になるのよね。
サコ そうです。そうして九州東岸を北上し、瀬戸内海を東進して、畿内各地で苦戦した末に大和国の畝傍橿原に宮を開く。名づけて神日本磐余彦火火出見天皇(神武)というわけですが、つまりこれ、イワレヒコは大和にとってはヨソ者だった、という話ですよね。
チナ 私も初めて読んだ時そこに驚いた。自他共に認めるヨソ者かあ、と。
サコ 邪馬台国大和説支持者は、この問題をどう考えるのでしょうね。
チナ そういうひととは、あまりお話しないからわかりませんが(笑)。このいわゆる「神武東征」は、九州の邪馬台国が大和に遷都したことの表れである、とする人もいるよね。
サコ いますね。気にせず、先に進みましょう。
チナ そそ、邪馬台国が出てくると、ややこしくなるから(笑)

サコ 『日本書紀』のもったいぶりを省いて言うと、九州を出たイワレヒコは、大阪湾から上陸するのですが、その地の有力者・長脛彦と戦ってボロ負けする。それで、いったん引いて、紀伊半島をぐるっと南下して、和歌山県の熊野に入り、吉野から宇陀をまわって、やっとこさ奈良盆地に入ります。 
チナ 紀伊でも宇陀でも、地元勢にてこずるんだよね。てことは、これまた新天地開拓ならぬ侵略行軍だったんだ。しかし地元の抵抗は大きかった。
サコ 祟られて、全軍失神したりして。もうボロボロのヨレヨレです。
チナ 最後に、もうダメかと思ったところに、天照が派遣した八咫烏がやってくる。それに導かれて、やっと奈良盆地に入れた、と。
サコ えらい苦労して奈良盆地入りして、ようやく畝傍橿原、まぁ磐余(イワレ)ですね。そこに宮をおいた。記紀ともに枝葉を省くと、神武の物語はそれに尽きますね。
チナ イワレヒコというのは、大和の磐余地域の英雄神話だったんじゃないの? ほら、のちのヤマトタケルみたいな。古事記の編者がいろんな地域の英雄神話を前に、いっしょけんめ考えて、初代天皇はヤマトタケルよりイワレヒコにしとこう、と決めた場面が彷彿とするなあ(笑)。いや、彼らなりの学説があってのことで、決して捏造のつもりではなかったと思うけど。
サコ 奈良の磐余と呼ばれた地域は、奈良盆地の東南端(桜井市西部)ですが、ここが何か歴史的な意味をもつようになったのは、さほど古い話じゃないように思います。磐余に宮を置いたのは、履中天皇、清寧天皇、継体天皇、用明天皇。継体の他は、さほど存在感のある人ではありません。継体は、即位してから淀川沿い、木津川沿いに転々と宮をおいて、20年たってやっと大和に宮をおいた。それが磐余玉穂宮です。だから、磐余という土地に特別な意味をもたせるとしたら、継体以後だと思うんですよね。
チナ なるほど。そこから、継体がイワレヒコのモデルだという説が出るのかな。
サコ 神武のモデルとして、10代目の崇神説、15代目の応神説、26代目の継体説、40代目の天武説などありますが、継体は越から畿内にやってきて大王の位についたという点が、日向から大和にやってきた神武とよく似ているでしょ。でも、とくに誰とかいうことではなく、あちこちに伝わっていた話を寄せ集めて作った話だろうという気がしますけどね。
チナ 同感。

◯東征ツアコン

サコ 話は戻りますが、この大阪湾から先の話は、それまでの神話的な物語とはガラリと雰囲気が変わります。
チナ そう、へんに実話っぽくなるね。同行した兄貴が戦士した、とかね。基本的には、誰それがここでこうしたから、この地をナニナニという、という地名説話が元になってるみたいなんだけど。
サコ そうそう、地理的に見て考えていくと、なかなかおもしろいんですよ。
チナ それがですね、私、地理音痴だもんで、こういうやたらに地名が出て来るのは、よくわからずに読んじゃいます。だから、今日はひとつ、ていねいに案内ねがいたい。
サコ あは、神武東征ツアコン、やっちゃいますか。
チナ おねがいしまーす。

サコ はい、では『日本書紀』コースでまいりまぁす。まず大阪湾に上陸。そこから生駒山を越えて大和に行軍しようとするんですが、生駒山西麓の孔舎衙(東大阪市日下)で地元のナガスネヒコ(長髄彦)に猛反撃され、兄貴は負傷。たまらず引き返します。そこで「ああ日神の子孫が、太陽に向かって挑んだのがいかんかった」と反省して、東から西向きに攻めなおそうということになる。
チナ 負け惜しみっぽいな。
サコ しかし戦況は妙にリアルですよね。
チナ そう、太平洋戦争の大本営発表、勝った勝ったまた勝った、よりよほどリアルです。
サコ そこで、船で紀伊半島沿いに南下します。紀国竈山(和歌山県和歌山市)に着いたところで、死去した兄を葬って、名草邑(同じく和歌山市)なる地に着きます。ここで、おんな組としては見逃せない事件があります。神武軍が「名草戸畔(ナクサトベ)という者を誅(ころ)す」とあります。
チナ おお、トベは女性の尊称だ。
サコ そうです。
チナ 理由が書いてないけど、当然、行軍に協力しなかった地元有力者だったので、殺された。今ならさしずめ小池都知事(笑)
サコ このあと、トベの祟りでしょうかね、やっと熊野の神邑(新宮市新宮)に入るんですが、そのあとが災難続き。海伝いに航行していたんですが、ここで海が大荒れになる。そこで生き残っていた兄二人は荒海を沈めるために身投げをしなければならなかった。
ところが懲りないんですね、熊野の荒坂津というところで、また丹敷戸畔(ニシキトベ)というトベを殺すんです。
チナ 祟るぞおおおお。
サコ そうなんです。すると神が毒気を吐き、それにあたって全軍、失神、動けなくなってしまいます。
チナ はああ、熊野ではトベも神様も、イワレヒコ総スカンだったのね。
サコ まさに、ですね。そこで天照が遣わした八咫烏が登場するわけです。
チナ これまた女神の助け。祟る女神あれば救う女神あり、ですね。
サコ なにしろ女ならでは夜の明けぬ国、ですから。
で、いよいよ大和に入るのですが、話の続きは次回に。
チナ はいな、そうしましょ。

≪次回最終回に続く≫