第284回 国家と学問

佐古和枝(在日山陰人)

「国家と個人を一緒にするな」って、千夏さんはずいぶん前からよく言ってたのに、なんで「今更ながら気づいた」のかな??と、一瞬面くらったサコでした。でも、「国家を語らない」千夏さんが、改めて個人と国家の違いをきちんと語ってくれたんですね。
個人主導の政治論、国家主導の政治論という仕分けは、とてもスッキリ腑に落ちました。今年から選挙権が18歳以上に与えられることとなり、うちの学生達もザワつきました。でも、概して政治に無関心な若者が圧倒的に多い。それは、国家主導の政治論に翻弄されて判断がつかなくなっているか、はたまた自分とは無関係な世界の話のようで関心をもてないか。そんなところだろうと思います。「どうしたらいいかわからない」という学生達に、「国をどうするかじゃなくて、自分がどう生きたいかを考えてごらんよ」と答えてきました。あながち間違ってなかったなと、千夏さんの文章を読んで、ちょっとほっとしたサコでした。

学問の世界も、国家の思惑と無関係ではいられません。

〇個人に属する文化〜人文系、芸術系
〇国家に属する文化〜科学技術、経済

そうなんですね。いまの政府は、国立大学に人文系学部はいらないと言いきった。文学とか哲学とか芸術など、人間が人間たることの根源に関わる分野を切り捨てる国家なんてロクなもんじゃないと思うのだけど、「金儲けにならない学部に、大事な国民の税金をつぎ込むのは如何なものか」と首相は仰る。
独立行政法人となった国立大学も公立・私立大学も、国からの補助金を頼りに運営されています。国は、この数年間、諸外国には延べ80兆円をばらまいた一方で、財政危機だからと、大学への補助金を毎年削減しています。で、大学側は、もう研究費は出せないから外部資金をとってこい!と、教員のお尻を叩きまくる。つまり、国や企業、財団などがだす研究助成金や寄付金をとってこい、ということです。まるで、獲物をとってこいと野に放たれる猟犬になった心地です。

そりゃ理科学系分野なら、企業や国が喜ぶような研究で高額な研究資金や寄付金をもらえるチャンスはいくらでもありますが、人文系学問にはそんなオイシイ話はありません、とほほ。だから、「いらない」って言われてしまうのかもしれないけれど、ヒモ付きになってグローバル企業のよからぬ企みに巻き込まれる危険も少なくて済む(^^;

2015年に、戦後長らく封印されていた大学の軍事研究が解禁されました。今年8月に米軍は大阪大学のレーザー次世代兵器の研究資金約3000万円を提供したし、9月に防衛省は、軍事研究の助成金の上限を1件当たり数十億円としました。初年度の10倍以上の増額です。札束をひけらかして研究者を釣ろうとしているようで、とても嫌な思いがしました。多くの科学者もそう思ったようで、初年度の応募は109件あったのに、今年は44件に減っています。自然科学者たちの学者としての良識に拍手!
大学は、金儲けのために研究をしてるわけではありません。あらゆる分野の学問を深め、それによって国の将来を担う次世代を育てることが大学の使命のはずです。今年ノーベル生理学賞を受賞された大隅良典さんが、記者会見で「「役に立つ」という言葉が、とても社会をダメにしていると思う」とおっしゃいました。よくぞ言ってくださった!

目先の金儲けばかりに気をとられ、50年先、100年先の国の姿を考える力のない人達が国をひっぱっていくと、かならず国は衰退するということを、見せつけられている気がする今日この頃です。