第280回 北海道ツアー

佐古和枝(在日山陰人)

8月23日、台風が北海道へ上陸するというその日から3日間、北海道遺跡めぐりツアーに行ってきました。「飛行機、飛ぶのかな・・・」と心配していたのがウソのように、台風一過のみごとな青空!今回は、苫小牧市から伊達市の太平洋沿岸地域の縄文貝塚やチャシ跡、博物館などをめぐりました。
初日は、まず洞爺湖へ。洞爺湖は、12万年近く前の火山の噴火でできた湖。その後も火山は噴火を続け、2万年前頃にその南岸でおきた噴火で誕生したのが有珠山です。

その有珠山の「西山山麓火山散策路」を歩きました。これがビックリ!2000年に起きた有珠山の噴火で、国道が陥隆・地割れしてたり、家が傾いたりという被災の状況がそのまま残されているのです。道路の片側が7mも隆起して、家が半壊状態になっていたり、交差点が陥没して池になってて、そこに自動車が沈んでいたり、豆畑だったところに火口ができていたり・・・それが一度ではなく1年以上にわたり何度も続いたのだそうです。大地がうねり、山や池ができる。被災の凄まじさを目の当たりにしました。

これって、16年前の「遺跡」ですね。こうやって、人類が作ったものが壊れ、徐々に埋もれていく。もし1000年後の人々がここを発掘したら、どれほどの情報を読み取ることができるでしょうか。古代の遺跡でも、大量の火山灰の堆積や地震・津波の痕跡がしばしばみつかります。そこでどれほどの悲惨があったかの想像力や分析力を養うために、こういう現代の被災地も、遺跡として保存する意義があると思いました。

2日めに訪れた伊達市の北黄金貝塚は、縄文時代前期から中期にかけての遺跡です。伊達市の前に広がる噴火湾(内村湾)の沿岸は、縄文貝塚の密集地。貝塚というと、食べ滓の貝がらや動物・魚の骨、壊れた土器や石器などを捨てる“ゴミ捨て場”だと習った方は多いと思います。でも、最近はそうではなくて「送り場」〜つまり、役目を終えたものを感謝の気持をもって神様に送り返す場ではないかという見方が有力になってきました。なぜかというと、貝塚で貴重なヒスイが出土したり、儀式をしたと思われるような火を焚いた痕跡があったり、また人が埋葬されたりしているからです。なぜゴミ捨て場に、人を埋葬するの?と、怪訝に思っていたサコでした。

今回訪問した北黄金貝塚でも、14体の人骨が埋葬されてしていました。その他、道具を作る素材として貴重な鹿の骨が完全な形で出土したり、シカの頭骨を6つも並べて周囲を礫で囲んでいたり、シカの頭骨の上に土器片をかぶせていたり、まわりに赤色顔料のベンガラを撒いたりしているのです。
同じ伊達市のポンマ貝塚では、12頭分のシカの切歯を1ケ所に集めていたり、シカの肩甲骨とクジラの椎骨を重ねて置いていたり、また6枚のホタテ貝の貝殻が入れ子状態で置かれていたりしました。「これは、“捨てられたゴミ”ではないですよね」と、北黄金貝塚を発掘調査した青野友哉さん。

では、貝塚って何だろう? ここで注目されるのが、アイヌの人達の「送り」の伝統です。アイヌのクマ送り(イオマンテ)が有名ですね。これは、神様がクマの皮をかぶってクマの姿になり、人間世界に遊びに来ているのですが、その時にクマの肉と皮を人間へのお土産としてもってきてくださっている。春になると親子グマをよくみかけますが、人々は、親グマを仕留めてそのお土産をありがたくいただく。神様は額のところに宿っているので、祭壇に頭骨を置いて丁重に祀り、神様の世界にお帰りいただく。子グマは家に連れて帰り、1〜2年人間の子どもと同じように大切に育てる。で、そろそろ神様が帰りたがっているというので、集落をあげて盛大な儀式をして、神様の世界に丁重に送りかえす。そうすると、送りかえされた神様は、「人間たちは、手厚くもてなしてくれた」と喜んで、また人間世界にお土産をもって遊びにきてくれるということだそうです。

こういう信仰の世界を理解しない人たちが「動物虐待だ」と非難したこともあって、廃れていった伝統ですが、本当は生命に対する深い敬意にもとづく儀式なんですね。肉も魚も「食料品」としか思わず、無造作に食べて残して捨てている現代人の方が、よほど罪深いですよね。
アイヌの人達は、あらゆるものに神様が宿っていると思っているので、あらゆるものに対してこうした「送り」の儀式をする。たとえば道具が壊れた、ということは、道具をもってきてくれた神様が帰りたがっているということで、これまた丁重に送り返す。
いい人のところには神様がたくさんやってきて、悪い人のところには神様は来ない。だから、悪いことしちゃいけないのです。そして、人を襲ったクマは、「悪い神様が宿っている」ということで、送りをしない。肉も食べないで、放置される。悪い神様は、二度と遊びに来てほしくないから、だそうです。ちゃんと筋が通ってる。

こういう考え方を、縄文人もしていたのではないか、ということなんですね。役目を終えたモノを送る場だと考えれば、人間が貝塚に葬られることも理解できます。モノも人も同じく、役目を終えて安らぐ場が貝塚なのだということです。
もちろん、すべての貝塚がそうだというわけではないのですが、そういう目で縄文貝塚を発掘すれば、それがただのゴミ捨て場ではないという痕跡が、もっとみつかるのだろうと青野さんは言っています。貝塚が、ゴミ捨て場ではなく、こうした「送り」の場だと考えると、縄文のイメージがずいぶん違ってきませんか?
また、北黄金貝塚に埋葬された人のなかに、骨が異常に未発達の20歳前後の女性人骨が出土しました。彼女は幼少期にポリオを患い、一人では歩くことも食事もできなかっただろうと鑑定されました。それでも20歳まで生きていたのですから、みんなで介護していたわけです。
すごいぞ、えらいぞ、縄文人!北海道へ行くたびに、縄文世界に魅了されるサコでした。