在日伊豆半島人=中山千夏
在日山陰人=佐古和枝

サコ 社員アベくんの天下となりましたね。
チナ まぁ、予想通りではあるが・・・
サコ 「誰も気づかれぬように、まんまと平和裡にクーデターを成功させた」と海外の新聞が報道していました。
チナ 日本のマスコミはダンマリだから。
サコ 「こんなはずじゃなかった・・」と、イギリスみたいにならないことを祈るばかりです。
チナ かくなるうえは、ハラをくくって生きましょう。
サコ はい!

サコ さて、選挙騒動もかまびすしい7月7日、われらがおんな組メンバーでもある永六輔さんが、とうとう逝ってしまわれましたね。
チナ「永さん永眠」ってすぐ思った。人が死んでも、こういうシャレ言ってくすくす笑っている、それが永さんだった。永さん自身、自分でこれ考えてたかもしれないと思う。そういうひとだった。それにね、七夕に逝く、というのが永さんらしいよぉ。
サコ お嬢さんが、“天の川を渡って母に会いに行きました”って素敵なご挨拶。
チナ 永さんの演出、大成功! 

サコ 千夏さんが永さんに出会ったのは、何歳くらいの時ですか?
チナ 23かな。永さん、38。最初の出会いは記憶にない。子どものころ、視聴者として『夢で逢いましょう』を見ていた記憶はあるけどね。とにかく『話の特集』の同じ執筆者として、そのイベントや遊びでよくご一緒するようになったの。仕事では、タレントとしては同じような分野だったからね、あまり一緒にはならなかった気がする。むしろ私が芸能活動しなくなってからのほうが、永さんのイベントやラジオを手伝ってごいっしょするようになった。
サコ そうなんですか。
チナ 一番、仲良くなったのは、革新自由連合の同志として、選挙やら市民活動やらを一緒にしてからだね。1980年の私の選挙の時は、何日も車に乗ってマイクを握りっぱなし。うふふ、候補の名前より自分の名前を言う方が多い、と周囲が心配してたなあ。
サコ あちゃー(笑)
チナ でもね、それが永さんのサービスなの。客観的に永六輔のネームバリュウを考えて、永が推している、と宣伝することが票になる、と確信しているから。
サコ 実際そうですものね。
チナ 現に私も当選したし(笑) あ、永さんが立候補したの、知ってる?
サコ あら、そうでしたっけ。
チナ 私が当選したあと、参議院の選挙制度が変えられて、全国区が単独では出られなくなった。あそこらへんから、政党政治の横暴がひどくなって、今のテイタラクにつながっていると思うんだけどね。それで私は改選じゃなかったんだけど、なんとか仲間を増やそうと、もう一度、選挙に乗り出した。それで、お願いしてみたら、名簿の一位をあっさりひきうけてくれた。しんがりは指揮者の故・岩城宏之さん。長谷川きよしさんも数で加わってくれたなあ。
サコ へええ・・・さっぱり知りませんでした。
チナ それがうまくいかなくてね、革新自由連合ではなく、ごたごた続きでケチのついた新しい団体名だったうえに、その時は候補個人の名を宣伝してはいけない、という完全な有名人排斥選挙法だったから、だれも永さんの立候補を知らない間に終わってしまった(笑)。
サコ え〜?それは残念無念((+_+))
チナ でも、永さんを嚆矢として、その時出たひとたち、出る時も負けたあとも、なんのうらみつらみもナシ。ずっと仲良し。ほんとに革自連のコアなメンバーはステキだったよ。永さんは、反体制的な言動も、信じていることなら、独りでもどんどんやった。ジャスラックでも、古賀財団との癒着に怒って、小林亜星さんと暴れまくった。ふたりの著作権料を合わせたら、ものすごいだろうに、大多数の音楽家は体制側か見物側だったから、多勢に無勢ね。だから、一応作詞でジャスラックに入っている野坂昭如さんや、彼が倒れてからは私まで駆りだされて応援したんだけど、敗けっぱなしだった。

サコ 伝統的建造物や鯨尺などを守ろうという運動など、みずから活動する方でしたね。
チナ そうそう、古いもの、お好きでした。基本、保守だったのね。だから、政治的に反保守の発言をしても、保守的な層にもファンが多かった。
サコ そうですよね。だから、市民を巻き込みたい問題については、永さんがついてくださると百人力。千夏さんが永さんに引き会わせてくださったおかげで、妻木晩田遺跡の普及・活用でも、大変お世話になりました。
チナ え?私が引き合わせたんだっけ?いつ頃? 
サコ 永さんに初めてお目にかかったのは、2001年の年末恒例、新宿紀伊国屋でのイベントに、千夏さんが誘ってくれた時でした。
チナ あ、そうか。いや、きっかけに関与しただけで、別に引き合わせたわけじゃないよ。むやみに引き合わせるとアブナイひとだから、軽々に紹介しないことにしていたもん(笑)
サコ えええっ、どう・・・アブナイんですか?!
チナ サコちゃんも知っているとおり、ぜんぜん威張ったりしないひとなんだけど、ひとの好き嫌いが激しい。「ボクは嫌いな人に会ったことがない」という、故・淀川長治さんの言葉を歌にしてよく歌っていたけれど、あれは自分への教訓で歌ってたんだと思う。なぜか嫌われる、というひとがけっこういて、気の毒だった。それに意外なことでキレる。大体、お腹がすくとキレたね。
サコ あははははは。

チナ 一度、お腹をすかせた永さんが、今すぐ何か食べないとダメだというので、最寄りのレストランに入った。青山にあったアマンドって店だったな。カレーなら早いだろうと永さん、カレーを注文した。それがまあ、普通に時間がかかるのね、当たり前だけど。もう3分後にはいらいら、4分後には目を三角にしてウエイターに催促、5分後、もいちど催促、6分後には叫んだ。「もうカレーはいいっ、白いご飯と塩でいいから、すぐ持ってきてっ」(笑)。そうしたらさ、テキもさるもの、持ってきたわよ(爆笑)。見てたら、永さん、仕方なく食べてるの(笑)。それで空腹が少しおさまったんでしょ、カレーが出てきた時には、黙って平らげた(笑)。
サコ ご自分も食べるの早かったし、なんでもぐずぐずするのはお嫌いでしたね。
チナ そうそう。頼んだことは即、できてこないといらいらする。落語の長短に出てくる短気な職人みたいだった。だからコツがあってね、まずは拙速でもいいから早く応じること。次に永さんがいらいらし始めたら、トボケてシカトしちゃうこと(笑)。恐れてぴりぴり反応すると、永さん、ますますいらいらするの。ほんと、おもしろいひとだった。
サコ お話もおもしろかったですね!
チナ おもしろかったなあ。あのね、同じ経験をするでしょ、さっきのカレーの話じゃないけど、ちょっと笑える経験を。それを人前で披露することがあるでしょ。うまいんだよね、話運びが。本当のこととちょっと違うの。それが何回も話していると、どんどん違ってきて、どんどん面白くなって、最後にはほとんどウソ(笑)。でもお話として抱腹絶倒に仕上がる。そしてウソといっても、誰かに多大な迷惑がかかるわけじゃない。話が面白くなるだけでね。面白い小話を作る才能は、ずば抜けてたよね。
サコ 短文のエッセイ、楽しいのがたくさんありました。
チナ 歌もね。中村八大さんとのロク・ハチコンビが作った歌は、現代日本歌謡の宝だと思うよ。そんなことあれこれいろいろ考えると・・・
サコ 巨人でしたね。
チナ そのとおり!

(次回に続く)