新春特別企画 サコチナの土器鑑賞会 これであなたも土器メキキ!
縄文編

在日伊豆半島人=中山千夏
在日山陰人=佐古和枝

チナ 縄文土器とくれば、花はなんといっても、あれですね、すごい火みたいな縁取りがあるやつ!
サコ 火焔土器ですね。あれは、縄文時代中期(約5500年前)に新潟県を中心とする地域の土器です。


チナ それそれ、すごいよね。
サコ しかし、よくまぁこんな土器を作ったもんだと思いません?
チナ 思う、思う。
サコ 日本の遺跡で出土する古代の土器のなかで、観賞の対象になり得るのは縄文土器でしょう。火焔土器に限らず、縄文土器は見ているだけで楽しいですね。
チナ 土器のなかでは縄文が一番古いっていうけど、どのくらい昔のひとが作ったの?
サコ 日本列島で最古の土器は、AMS年代測定法(放射性炭素)によって1万6500年前という測定値がでています。
チナ ふえー! ま、地球の歴史にくらべればほんの昨日といったところなんだろうけど。
サコ
 1万6500年前の土器は、いまのところ世界最古です。それ以後も、1万数千年前とか1万2000年前とかの土器は、もう珍しくないほどありますよ。
チナ へええ! じゃあ日本列島の縄文人が土器を発明したってこと?
サコ ということではなさそうです。なぜかというと、それらの土器は、すでにある程度完成された形をしているので、もっと古い土器が大陸のどこかにあるだろうと考えられています。それにしても、世界最古級の土器がいくつもみつかっているので、世界的にも早くから土器作りが盛んだったということは言えそうです。
日本列島は、世界的にみても遺跡が密集しているし、開発に伴う発掘調査の数がケタはずれに多いですから、古い土器もよく出土するんでしょうね。それに、1つの遺跡から出土する土器の量も、韓国の遺跡よりはるかに多いそうです。
チナ ふうん。なぜなんだろ。
サコ たぶん、暮らしやすい気候、自然の豊かさ、そして平和だったためでしょう。中国や朝鮮半島でもヨーロッパでも、日本列島より早くから戦争が始まり、その後も頻繁に乱世でしょ。異民族もいるし。それに比べると、古代の日本列島は平和でした。いまでも日本では、一般家庭でも使いきれないほどの食器がありますよね。それも、長く続いた平和のおかげだと思います。
チナ そうかあ。何事も平和がカナメだなあ。と気に入った結論が出たところで、さあ、お願いしまっす、土器メキキ指南!
サコ ・・・
チナ あれ? 師匠、なんだか浮かないお顔。
サコ うううむ・・・実はですね、縄文土器のこと、マジメに勉強したことないから、よく知らないんです(;^ω^) 弥生土器や須恵器はわかりやすいんだけど、縄文土器はワケがわからない( ;∀;)
チナ あらま、そうなの?なんで?
サコ 土器は、時代と地域によって、形や文様に特徴があります。特定の時期に特定の地域で使われた土器の組み合わせを「型式」(または「様式」)といいます。弥生土器は地域ごとの「型式」の特徴がわりと明確だし、作る側も地域のルールをよく守っているからわかりやすいのですが、縄文土器は文様の種類、文様のつけ方、器形などのヴァリエーションが豊かすぎて、門外漢には一筋縄ではいかないんですよ。
チナ ほほう。つまりひとつひとつが個性的なわけね?
サコ そうそう。「縄文土器は1点主義、他と同じ土器は作らなかった」という研究者もいます。「他人とは違う土器を作っちゃえ、うふ!」みたいなチャレンジ精神に溢れているというか、みんながアーティストなんですね。その奔放さが、縄文門外漢サコを悩ませる(;^ω^)
チナ はい、縄文のメキキは諦めました。
サコ ええ〜〜〜っ、そんな簡単に諦めないでください。ものすご〜く大雑把にしか言えませんが、素人サコがもちあわせる最低レベルのメキキ・ポイントをこっそりお教えします。
チナ おお、それで十分。よろしくっ!

≪草創期≫

サコ いちばん古い草創期には、縄文はなくて、口縁部のところに隆起線文とか爪形文などの文様をもつ土器が、すでに北海道までの広い地域で出土しています。

 

この時代の遺跡は、千夏さんちの近所にもありますよ。この時期の終わり頃に、縄を押し付けて文様をつけるようになり、やがて転がし始めます。いわゆる縄文の出現です。

≪早期≫

早期(約1万年前)になると、土器全体に文様をつけるようになります。縄を転がすだけでなく、縄を棒状のものに巻き付けたものを転がす撚糸文や、棒状のものに楕円形や山形の彫刻をしたものを転がす押型文も登場します。撚糸文は関東、押型文は西日本に多いです。「これじゃ、置けないよ〜」という尖った底をもつ土器も、この時期によくみられます。地面をちょこっと掘って埋めて使うんでしょうね。

東北北部を中心とする東日本や九州では、二枚貝の貝殻も、文様をつける道具として使います。

紐の撚り方も、文様の組み合わせにも、ずいぶん工夫が凝らされています。さらに、こうした自然の造形を利用した文様の他に、細い棒のようなもの(ヘラ)を使った沈線で文様を描くことも始まります。ヘラ1本で、自分の描きたいように描くようになるんです。縄文アーティストたちが本格活動しはじめる時期ですね。
チナ ようするに、幾何学的な文様で土器全体が埋め尽くされていたり、線で文様を描き始めるのは縄文早期。それ以前の草創期は、土器の口のところだけ横線や点々の文様がある。そんな感じで、いいかな?
サコ とりあえず、そういうことで先に進みます。

≪前期≫

そして、土器は煮炊きのお鍋として出現するのですが、前期(約7000年前)になると、煮炊き用の土器(深鉢)他に、盛り付けようの浅鉢とか台付き鉢が登場します。食べ物を土器に盛るという新しい文化の出現ですね。

 

文様の特徴は早期をさほど変わりませんが、東日本では縄文を組み合わせてV字形にする羽状縄文が流行します。

 

東北・北海道では、ズン胴の円筒土器と呼ばれる厚手の土器が流行します。

 

チナ なるほど地域によって、形が違う。
サコ はい、そうです。
 この時代の土器のメキキのいちばんのポイントは、口縁部がウネウネと波うつ波状口縁、または口縁部に装飾的な文様帯をもつもの。早期の土器は、口縁部がペタンと水平でしょ。前期になると、口縁部に凝り始めるんですね.

 

チナ これは、わかりやすい! 早期は口縁がまっすぐ、前期はデコボコウネウネ!
サコ ただし、九州では、縄文は使われなくて、直線で幾何学的な文様をつける「曽畑式」という土器。これは、朝鮮半島の土器と類似する土器として注目されています。

 

チナ そうか、九州はこの時代から朝鮮半島と行き来があった。近いものねえ。
サコ はい、そうです。九州独特の漁具が、朝鮮半島南部で出土しています。
チナ 縄文を使わなくても、ジョーモン土器かあ。ふむ、一筋縄ではいかない。

≪中期≫

サコ でしょ?(;^ω^) でも、気にせず先に進みます。
続く縄文中期は、遺跡の数がぐんと増えて、その規模も内容も充実し、縄文文化の繁栄の頂点とされる時期です。土器も、もっとも装飾的になります。冒頭で話題になった火焔土器も、この時期のものです。なので、派手〜〜!と思ったら、中期(;^ω^) 
チナ おお、万人向けのメキキポイントだ。
サコ 少し具体的に言えば、粘土紐を貼り付けて文様を表現するものが登場し、土器の文様が立体的になりますね。だから、文様のラインが盛り上がっていたら、中期!

 

口縁部に大きな突起や把手がついたりして、口縁部のボリュームが大きくなります。土器の形も、途中でギュッとくびれるものがでてきます。胴部に縦ラインの文様が入ってくるのも、この時期ですね。

 

チナ わかった。文様のラインが盛り上がっていたら中期。口縁部のでっぱりがゴテゴテと装飾的なら中期。うん、だんだん楽しくなってきたなあ。
サコ でしょ? どう使うのかもよくわからない、変テコリンな形の土器も、いろいろ登場するんですよ。遊び心もあったのかなぁ〜

 

まだまだオモロイ土器がたくさんあるんですよ。では、続きは次回に。
チナ しめしめ、先生、ノッテきた、うふふふふ。

(次回に続く)