第269回 クマソ国はいいなあ

中山千夏(在日伊豆半島人)

佐古先生、先日は大変お世話になりました。
おかげで、球磨郡の4町村(あさぎり町、多良木町、湯前町、水上村)議会の議長副議長会が主催する懇談会での講演、楽しく無事、終えることができました。
午前中、鹿児島空港着、あさぎり町見学、人吉市に一泊、翌日朝、人吉駅近辺見学、午前中あさぎり町で講演、夕方帰宅、という慌ただしい滞在だったけれど、佐古先生のお引き回しのおかげで、あの実に興味深い地域を、かなり知ることができたし。

ま、サコちゃんには少々責任ありといえばいえるけどね。

あさぎり町の免田地区は、町村合併までは免田町だった地域。その遺跡から素晴らしい古代の墓や副葬品がたくさん出て、特に私でも聞いたことのある免田式土器というやつは、ここから出て、しかも同じ弥生時代の土器のなかでも非常に特色あるものだから、免田式土器の名がついた。
そんな遺跡の発掘を、なんと、師匠である故・森浩一さんの采配の元、若きサコちゃんがせっせとやった。その後も、学問的に価値ある遺跡を潰さないで立ち行く地方市町村の創造を、地元民に提案し理解してもらい、共にそのために働いてきた。だから免田地域はサコちゃんの第二の故郷みたいなものだ、とは前々から聞いていた。その活動の一環に、私がひっぱり出されたんだよね。だからサコちゃん、同行の責任あり(笑)。

私としては、さして役にたつとも思えないけど、でもでも、行ってみたい! の思いばかりで引き受けたのです。
祖母の里、熊本で生まれました。しかし2歳で出てしまったので、なあんも知らない。それに、祖母の里は熊本でも菊池郡。九州南部に行ったことはあるけれど(水俣とかね)、今ひとつ地理音痴の私にはピンとこない地域だったの。
それでも古事記や日本書紀を読むと、興味津津にならざるをえないのが、クマ地域でしょ。あこがれは高まりつつも、なかなか味わえないでいたのです。
それが今回、かなった。いろいろかなりはっきりした。そして、ひとも文物もとても好もしい地域でした。

古代のみならず、今の球磨地域もとてもいい。第一級の観光地だと思った。
弥生時代を彷彿させる、ひとの手入れが行き届いた田畑や里山、集落のたたずままい、現役の古色蒼然たる神社や道祖神の数々。コンビニやチェーン店は見当たらず、それでいて古い石造の蔵を利用したオシャレな食事処や、博物館みたいな掛け流しの温泉宿がある。またゆっくり行きたいな。

歴史的名所の話はサコちゃんに任せて、私はいささか鉄女目線の報告を。

人吉駅の近くに、研究者には有名な横穴石室群があり、そのほんの一部が道路に面していて、見学用に整備されている。周囲に様々な模様が彫刻され、元は彩色もされていたらしいそれらに驚嘆しました。クマソは強大だったのだなあ!!

下は解説板↓

 

そして、ふと気配に振り返ると、なんと、鉄道マニアには有名な、くま川鉄道の観光列車「田園シンフォニー」が人吉駅に入ってきたではありませんか!

旧国鉄の湯前線を転換して開業したくま川鉄道は、かねてから観光列車に力を入れ、2009年には、有名なデザイナーによる「KUMA-1」「KUMA-2」を運行して話題になった。そして、2014年に運行を開始したのが、以前、サコちゃんに写真を見せてもらったこの「田園シンフォニー」。いいなあ!

と喜んでいたら、その線路の突き当りにこんな建物が。

人吉駅石造車庫。地元の石で1911年に建造したもの。あちこちで古い石造りの米蔵を見たけれど、この石とその建築法は球磨地域の特色だ。なかでも、この車庫は、大きさ、古さ、共に地域内一番の石造り建造物だそう。おまけに現役。
ときては、鉄道マニアがつめかけるのももっともでしょう。
硬いものにはさほど興味の無い私でも、ゆっくり乗ってみたいと思ったもの。

ほんとうに、自然も遺跡も現代の風物も、いちどゆっくり遊びにいきたい、と思わせる地域でした。

ところで、今朝(11月15日)の東京新聞朝刊、テレビ欄。テレビ朝日の午後8時58分からの2時間分が白紙になっていた。なんだこれ、とほかの新聞を見たら、それは「フィギュアスケートグランプリ大会」中継の時間帯だった。
パリの不幸なテロ事件で大会は中止とか。東京新聞はそのニュースに、急遽こういう対応をしたらしいね。
まったく今や、どこもが戦場になりうる。
だから軍事強国になるよりも、強国と同盟するよりも、世界中と仲のいい非力な国であるほうが、その国民はどんなにか安全だ。

こんなご時世にノンキな話で失礼しましたぁ〜