第263回 歴史を学んで学んだこと

中山千夏(在日伊豆半島人)

>千夏さんお薦めのアイヌの本も、買いました。

わわわ〜おそれいります〜〜〜が・・・
サコせんせにはあまりに一般向けすぎるのではないかと^^;

実はノートを取りながら前便で紹介した本を読んでいて、ふと、前に買った榎森進さんの『アイヌ民族の歴史』(草風館)に、再挑戦してみたのね。
なにしろ厚さ5センチ、縦21センチ弱・横14センチ余りのページ面に、細かい字で2段組、という大著。ちょっと読みかけたんだけど、内容も実に学者の面目躍如というやつで、ギブアップしてたの。
第一、重いから寝転んで読めないしぃ、乗り物に持ち込んで読むのもちょっと困難だしぃ。

ところがね、一般向けのを半分くらい読んでから、榎森さんのに取り組んでみたら、これが今やよくわかっておもしろい! 
つまり、アイヌを中心にした東アジアの古代史について、先の本で少しは基礎知識ができて、おかげで専門的な著作が読めるようになったのよね。すると、当然ながらこちらのほうが深く広く正確に知ることができるので、さらに興味がかきたてられる。おもしろい!

だから私には、その入口として優しく読みやすい一般向けの著作が不可欠だった。でも、サコせんせはいきなり厚さ5センチでいいのだから、無駄使いさせてしまったのではないかしらん、と恐縮した次第でした。

それにしても、いかに私は、アイヌを一民族として見る目を持っていなかったことか!
両書とも、石器時代から説き起こしています。最初は迂遠というか大げさというか、そんな気がしました。それが、特に詳しく専門的な榎森さんの著作に、なかなか入れなかった一因でもありました。
しかし、やがてアイヌが考古学的資料のなかから姿を現し、中国史書に登場し、ギリヤークや中国と独自の関わりを持つのを見るにいたって、自分の目がいかに偏っていたか思い知りました。
つまり私は、日本との関わりでしか(古事記日本書紀のレベルでしか)アイヌを見ていなかった。
しかし、独自の一民族である以上、日本以外の社会と独自の関係を持ってきたことは当然でした。「アイヌの歴史」とは、その関係史であって、日本との関わりは強いにしてもその一部に過ぎない。
そしてまた、「ワ人の歴史」を石器時代から説き起こすことに意味があるのなら(あると思います)、ワ人とは異なる「アイヌの歴史」もまた石器時代から説き起こすのは当然のこと、いや独自の民族史には不可欠なことでした。

こういうあったりまえのことが、身についていなかったんです。意見ではアイヌを先住民族と認めている私なのに!
責任転嫁する気はないけれど、アイヌを無視してきた日本社会の風潮を長年、かぶってきたせいが、かなりあると思います。だって、何かのきっかけで意識しななければ、「アイヌは絶滅した」と思わせられかねない教育や報道ばかりだったでしょ、特に北海道以外の地域ではね。

おくればせながら、正しい姿勢と見方ができるようになって、よかった! そう仕向けてくれた2冊に感謝です。

アイヌに限らず、他民族を知るとは、その民族を中心とした歴史を知ること。そうすれば無闇と他民族を憎んだり蔑んだりできなくなるんじゃないかな。それが歴史を学ぶ意義じゃないかな。
なんて考えていて、あ、これは個人でも同じだ!!!