第249回 「ある」か「ない」か?

中山千夏(在日伊豆半島人)

わわわ、サコッチ、お歳暮にホットな一発くれてたのね!
さっき読んで(遅くてスンマセン)正月ボケのチナッチにいいカツが入ったです(^_^;)

それにしても〔「こんなに、あるよ」だけでなく「こんなに、ないよ」ということを伝えるため〕にオートラジオグラフィー技術を使う、というのは・・・すごいアイデアだね!
ん? こんな展示するな、とほとんど同義のような・・・。
だってこの展示は、「見えない放射能を可視化する」ことに意味があるわけで、汚染のないハサミやスリッパ写してもなんの意味もない。
第一、この技術で清潔な物体を写しても、あはははは、なんのカタチも出ないと思うぞ。

常々、思っているんだけど。
「風評被害」って言葉はやめたらどうかしらん。
私の考えでは、風評というのは民間情報、クチコミであって、正しいものも間違ったものもある。そのあやふやさを権力が利用することもある。
そして「風評被害」という言い方には、「現実ではない噂で被害が出る」という意味がこめられていて、こと原発に関しては、この言葉で、現実に存在する汚染や脅威を隠蔽しようとする勢力が、とても強いと感じているの。
「風評被害がある」こと自体も実態のはっきりしない風評なんだけれど、それは国策の向きに沿った風評だから、その「風評力」たるや、われわれの風評の何層倍も強い。

「汚染の話や反原発運動は福島の迷惑である」というのも、強力な風評になっている、と私は思うんだ。
あ、いや、サコ情報が不正確という意味じゃないよ。そこは信頼してる。
ただ因果関係や「被害」の実態がはっきりしない点で風評であり、この類の話はある種のマスコミもふくめてあちこちから聞こえてきて、私たちをおどおどさせている、という点で強力だと思うの。

その威力はといえば。

先日、ここの市議をしている友人が、初めて福島原発周辺の見学ツアーに参加してきて、仲間に報告してくれた。想像以上の放射能汚染に震え上がっていた。むろん、バスで通過するにも防護服を着ての、立ち入り禁止地域周辺の話ですけれどね。
それはそれとして印象的だったのは、彼がこう言ったこと。
「おれ、自信持って戻ってきましたよ。原発反対言うことに」
理由がこうなの。
「現地の村長たちは、絶対反対ですよ。我々への公の講演でも、はっきりと原発被害はひどい、原発は決してやっちゃいかん、と言うんです。おれ、原発被害とか反対の話は、福島のひとは嫌がる、と聞いてたもんで、ちょっと躊躇があったの。でもね、村の長たちがあれだけ明言してるんだから。村長がダメだと言ってるんだから、他所のおれらも言っていいんだ、と」
意外だった。けっこう自信満々のヤンチャ坊主に見えていた彼でさえも、正論の反原発を言うのさえ、風評聞いておどおどしていたんだなって。
こんな私だって、福島のひとの顔色見ずにはいられないわよ。ほんの少しでも福島に関心持ってるひとは、みんなそうなんじゃない?

私が紹介した写真展も、真っ先に福島で何度も行われてから、やっと東京や伊東に来ている。
事情は私、知らないけど、やっぱり福島のひとたちに一番配慮したからじゃないかな、と思ってる。
汚染の現実をまず第一に福島のひとたちが知るべきだ、とも考えたんじゃないかな。
知って身を守るべきだと。

あのさ、福島復興支援(に限らず支援)には、いろいろな方法がある、と思うのね。
県が保証する食品を率先して買って食べる、というのも、もちろんすばらしい方法よ。
だけど、それが福島支援してるかどうかの踏み絵みたいになっている雰囲気を、ものすごく感じて、私は恐ろしい。
なあんかさ、戦時中、「贅沢は敵だ!」と街頭でハサミを振りかざし、振り袖を捕まえて切り落としていた、という婦人団体の運動に通じるものがあるよ。
当時「贅沢は敵だ!」は誰も反論できない国策方向の言い草だからね。強い。
福島復興支援は、国はちゃんとやらないけど、財界マスコミが合言葉にしているから、やっぱ強い。われわれ一般善男善女の心情も、もちろん福島ガンバレだから、うんと強い。

だけど、私は思うのよ。
ひとには、自分の健康を考えて食べ物を選ぶ権利が、ぜったいにあるし、公的機関の安全宣言を疑う権利もぜったいにある、と。
これだけだまされてくりゃ、それが自然だとも思うしね。
そのうえで共に汚染を、の心意気を発揮するひとの義侠心は敬愛してやまない。
しかし、当面、福島産の食品を食べない、という庶民の知恵的選択をしても、非難すべきものではぜったいにない、と思う。

その選択をする一方で、私の友人たちは、福島の子たちが少しでも放射線から逃れ、被害を薄められるようにと、毎夏休み、子どもたちをこちらへホームステイに招いて遊んでもらう運動を継続している。チェルノブイリの子たちには、公費で施されている政策だそうだけど。

そうそう、放射能被害には対策がない、と彼女たちは決め付けていないの。だから、汚染の直視が即、絶望とはしていない。
ヒロシマで被曝しながら長寿を全うしたお医者さんの持論は、被曝に絶望するな、だった。彼やそのほかが、対策本もいろいろ出している。
彼女たちはそれらやチェルノブイリの実践から学んで、汚染を除く食事やエクササイズや暮らしを研究しあい、口コミで伝え合っている。もちろん、福島のひとたちにもね。

被害の現実を知り伝えると同時に、回復の希望を伝え合うこと。
これらも立派な復興支援だと思う。
私は、被曝を直視し、被曝してなお健康に生き抜く希望を持ち、未来のために原発廃止を求める彼女たちに同調している。
おおっと、なんていうとリッパだけど、私は寄り合ってわあわあ騒いで彼女たちを手伝ったつもりになっているだけよ(^_^;)

そんなわけで。被曝と闘うためには、被曝が「ある」ことを知り、知らせるのが大切だと思う。「ない」ことにしたい国策風評が強力なだけに、知らせる方法も、あの写真ぐらい印象的でいい、と思う。

もちろん目先の収入は私にも大問題。
しかし、それとこれ(被曝を直視すること、反原発を主張すること)とは、どちらを取るか、あるいはどれが先か、の問題ではない、と思うよ。てか、そんな構図に陥ってしまったら、またまた金で原発強行されることになってしまうよ。

私は極力、そんな構図に陥らない問題の立て方をしたい。
だから、断言するよ。

福島のひとびとの経済的困窮は、いつに原発事故のせいであり、また国の保障がいとも貧弱なせいであって、決して福島産を買わない消費者のせいではない。
だから、福島のひともよその者も、こぞって被曝の被害を最小限にするべく自己管理しながら、二度とこんな憂き目を見ぬよう原発を完全廃止させ、福島への保障を篤くするよう、国と東電に働きかけようではないか。

では穏便な要求を。せ〜の、

国と東電は、福島の産物をすべて買い上げ、汚染がないものについては、役所、特に議員食堂と東電社員食堂で提供し、その安全性を率先してアピー ルせよ!