第247回 放射能を可視化する

中山千夏(在日伊豆半島人)

どう? これ。
禅画のような現代絵画のような… 実は「放射線像展」の展示作品。
今年の春あたりから、東京、福島で開かれているのが、ご近所、熱海であるというので、行ってきました。

写真作者は加賀谷雅道さん⇒ブロブ放射線像
オートラジオグラフィーという方法で、見えない放射能を見える写真作品にしています。
物体をフイルムに一定時間接触させておくと、物体内外の放射能がフィルムに焼きつく、それを現像したのがこれらの作品。
それをまた私が会場で、タブレットで撮ったの。だから写りがよくありませんが、雰囲気だけでもぜひ、見てもらいたくて。

造形としては美しいものさえある。
でもその黒い線や点は、すべて放射能…


〔ふき〕採取地:飯舘村 2012年9月

解説「2012年の9月に福島県で採取した野生フキの放射線像です。土壌から吸収された放射性セシウムが根から吸収されて茎を通って、すべての葉脈と葉肉細胞にまで分布しています。特に写真中央の若い新葉に優先的に移行していることがわかります。このように細胞分裂が盛んな新生組織にセシウムが移行するのは、カリウムやリンの移行と同じパターンです。また、食べる茎の部分も汚染度が高いことがわかります。各所の濃いぶつぶつは放射性降下物の直接被ばくです。」


〔きのこ〕採取地:飯舘村 2012年

解説「このきのこは、広葉樹の枯れた落ち葉に生えていたものです。広葉樹が2011年3月中旬にフィールドアウトで被曝し、落葉。その落ち葉(下部の塊−千夏注)に、あとから発芽して生えてきたきのこの菌糸が寄生して放射性セシウムを吸収したものです。落ち葉の放射能汚染度と同じ汚染度を示していることがわかります。きのこの菌糸は落ち葉の導管や師管に総掛かりで陥入して、直接すべての栄養素を摂取(収奪)しているので、乾物重当たりのセシウムの放射能値(比放射能)は落ち葉とほぼ同じになります。落ち葉の黒い濃い点々は放射性降下物(フォールアウト)そのものです。」


〔はさみ〕と〔スリッパと幼稚園児の上履き〕

はさみは、2013年6月に浪江町大堀で外に落ちているのを作者が拾った。塗装のある握り部分より、塗装のない刃の部分が「数値にして6倍汚染されていること」、錆による小さなデコボコに放射性物質が補足されやすいことなどが、可視化によってはっきり見える。
スリッパと小さな上履きは、同じ堀江町大堀地区で「フォトジャーナリストの森住卓さん」が拾い、作者に提供したもの。黒点の散乱、重なりが「直接フォールアウトを受けたようす」をよく見せている。このスリッパは「これまでにサンプリングした日用品の中で、最も強い汚染を示すもののひとつ」だそうだ。
解説も言うとおり、「小さな幼稚園児の上履きが汚染されているようす」には、この悲惨な汚染を防げなかったおとなとして、胸が詰まる。

最後に加賀谷さんの言葉を載せたパネルの写真を。映り込んでいるのは、熱海の日光と私の影です(^_^;)

「2011年3月11日、東日本大震災による地震と津波により福島第一原子力発電所は全交流電源喪失状態に陥り、原子炉1号機から3号機で炉心溶融(メルトダウン)が発生し、大量の放射性物質が大気に放出されました。
[中略]  
私たちは、東京にいようとも福島県にいようとも、たとえ炉心溶融が起き、水素爆発により大破した福島第一原子力発電所の原子炉建屋の前に立ったとしても、放射能の存在を感じることはありません。放射能は、あまりに小さく目に見えず、音もなく、臭いもないからです。そのため私たちは放射能汚染地帯に住んでいるにもかかわらず、その存在を意識することなく今日に至っております。
[中略]
数値情報では私たちは、放射能によって汚染された町、汚染された森、汚染された湖沼、汚染された生物の中で、放射能がどのように拡散したり濃縮したりしているのか、そして放射能から放射線が出ている様子を知ることは不可能でした。そこで私は放射能汚染を視覚的に認識すべく、森敏東京大学名誉教授の多大なるご協力のもと、オートラジオグラフィーという手法を用いて放射能汚染の可視化を行ってきました。
[中略]
ご来場いただいた皆様には、福島県に限らずフォールアウトを受けたすべての土地がどのように汚染されているのか、想像を膨らませていただけたらと思います。また同時に、福島第一原発周辺から浪江町、飯舘村にわたる広大な土地と、阿武隈山地の深く豊かな山が今もなお立ち入りが制限されていること、その中で強烈な放射能を浴びながら生き続ける動植物がいること、14万人もの同じ日本人が避難したこと、それまで築きあげてきた財産(家、土地、仕事、人間関係)を奪われた多くの日本人がいること、そして原発周辺住民はもとより関東在住の私たち自身が呼吸を通して直接放射性物質を吸い込み、内部被曝したことを思い起こしていただきたいと思います。
[中略]
この展示は、将来世代が原子力に依存した社会から抜け出し、原発事故や核燃料廃棄物の危険から解放されて欲しいという私の願いであり、将来世代に捧げる祈りのようなものであります。

加賀谷 雅道」