第234回 『古事記』は『日本書紀』より新しい?!

佐古和枝(在日山陰人)

うふふ〜、女神の話で千夏さんのスイッチ・オ〜ン!久しぶりの千夏節が嬉しいサコです。

ご指摘の通り、出雲のカモス神と大国主命の関係はわかりやすいのに、高天原でのタカミムスヒ(タカキ)とアマテラス、どっちがエライのか、どういう関係なのか、よくわからない。そして、記紀神話のいちばんの見せ場である葦原中国征服と天孫降臨の司令塔として『日本書紀』編者達が選んだのが、タカミムスヒ一人だけというのも不思議です。
たしかに『日本書紀』より『古事記』の方が8年早く完成したとされますが、天の岩屋隠れから天孫降臨にいたるまでの『古事記』の神話は、7世紀末頃の宮廷儀礼の要素がちりばめられていて、『日本書紀』より新しいという点は諸氏の指摘するところです。ということは、もともと天孫降臨の主神、つまり皇祖神はタカミムスヒだったのだけど、ある段階でアマテラスが加わって、皇祖神も入れ替わった? さてさて、これはいったいどういうことか。

アマテラスは太陽神とされますが、記紀や『風土記』など古代の文献をパラパラめくると、大和・山城・丹波・河内・摂津・播磨の天照御魂命、伯耆の天照高日女神、対馬の天日神、紀伊の日前大神など、太陽信仰に関わると思われる神様があちこちにいます。日女(ヒメ)や日子(ヒコ)という名称が広くおこなわれていることも、その反映でしょう。そして、伊勢は日の出、出雲は日没の地と対照的に扱われるのは、神様の世界が海のかなたにあるという水平の世界観(海上他界観)と関わっていると思われます。

そこに5世紀頃、大陸から新たに伝わったさまざまな北方ユーラシア(騎馬民族)系・高句麗など朝鮮半島系の文化要素とともに、神様は天空から降りて地上の支配者になるという垂直の世界観(天上他界観)、天孫降臨思想が導入された〜と指摘するのは、古代史の溝口睦子先生。古墳時代の後半、ヤマト大王家の神話です。となると、タカキ(高木)も、天空から降りてくる神の依代としての「高い木」からきているのではないかということに。文化人類学の大林太良先生もまた、天孫降臨神話は北方系だと仰っておられます。

7世紀末の天武天皇の時代になって、従来の大王制とはまったく異なる「天皇」制が創設されました。天皇は神様の子孫であるってことで絶対化するわけですが、その時点で神の世界を牛耳っていたのは出雲だったから、出雲から宗教世界の主導権を奪いとらねばならない。その対抗馬として白羽の矢がたったのが、壬申の乱の時に大海人皇子(のちの天武)がたまたま通りに遠くから遥拝した伊勢の太陽神アマテラスだったとサコは思ってきました。溝口先生はもう一歩踏み込んで、旧来の大王家が奉斎した朝鮮半島系のタカキ神では新機軸はうちだせないから、新たに中国の天帝思想を取り入れてアマテラスを皇祖神に仕立てあげたと。そして、天武自身が編纂に関わった『古事記』だからこそ、ここまで強引な潤色ができた、という見方です。

ということで、
@素朴な太陽信仰・海上他界観(イザナミ・イザナキから出雲神話まで)
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A北方系のタカキ信仰、天上他界観(天孫降臨から神武東征まで)
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Bアマテラスの皇祖神化(天武・持統朝、7世紀末から8世紀初頭)

あ〜、筋金入りの『古事記』オタクの千夏さんに異論をはさむとは、なんと無謀な自爆行為(*_*) でも、少なくともこの箇所に関しては、『日本書紀』より『古事記』の方が新しいという点は、納得せざるを得ないのではないかと思っています。首を洗って、反撃をお待ちしています(._.)


『古事記』