第233回 愛しのカミムスヒ

中山千夏(在日伊豆半島人)

サコせんせっ!
私の『古事記』にカモス(神魂)女神は出てきませんっ。
カモス女神は『出雲国風土記』で、『古事記』のほうはカミムスヒ(神産巣日)女神ですっ。
…って、私が言う余地を残しておいてくれたのね(^w^b あざああああっすっ。

女神の話となると、にたにたしちゃうです、嬉しくて。で、つい微に入り細菌をオタクに招き…はいっ気をつけて話します!
サコちゃんには耳タコ馬念の話だけど、よろしくお付き合いの程を^^;

『古事記』大国主神話の最高神、カミムスヒが女性と知った時は感動しました。この神の名には「御祖」という称がつくんだけど、これが母を意味するとは、長い間、知らなかったわけ。
古来、訓読(和語読)はミオヤ。そのオヤがそもそも古くは「コ(卵や種も含む)を生み出すもの」を意味し、人間では母を意味した、とも知らなかった。
こういうことは小学校で教えたらどうかしらね、母の日にカーネーション買わせるよりよほど母親への関心が深まると思うなあ。

でも私、疑り深いから、『古事記』と風土記の「御祖」用例をヒマに飽かせて検証した(笑)。一例か二例、男神をそう呼ぶ例があったけれど、それらは何かの間違いと見える記事だった。で、この時代、「御祖」とは母を意味した、と完全に納得したわけ。

『古事記』よりちょっとあとに成立した諸国風土記の『出雲国風土記』には、カモス(神魂)が出てくるのよね。神話といい名前といい、カミムスヒにそっくり。同じ神というガクシャ先生の定説に、私も賛成。
カミムスヒはカモスの古型? カモスはカミムスヒの洗練バージョン? カミムスヒは出雲型、カモスは大和朝廷型? なんて考えている。

ところで『古事記』神話は、「混沌のなかにこれこれの神が誕生した」といういわゆる創世神の羅列に始まる。そこには、続く神話で、主人公となる神もあれば、名だけまた出る神もあり、ぜんぜん出てこない神もある。はたまた違う名前なのに、これは冒頭の某神の別名である、と説明される神も出てくる。
要するに、大和朝廷の学者が、いろいろな神話を総合して、観念的に構成したのが冒頭の創世神なわけよね。彼らは大真面目だったろうけれど、現代的に言えば、ま、創世神話の捏造ですな。

その創世神の三番目がカミムスヒ。ここでは「御祖」は付かない。注目は、その直前、二番めにタカミムスヒ(高御産巣日)がいること。
どう見てもカップルでしょ。ところが、三番目までは、一番目の全く無関係な名の神(ここに名が出るだけの神)とひとくくりに「独神」(カップルではない神)と説明されているので、現代の研究者も「三独神」と呼んだりしている。

なるほど、神話を見ると明らかに非カップルなわけよ。けど、あまりに名前が似すぎ。となると、どっちかがマネっこだと疑われても仕方ないでしょ。私の考えも、あちこちさ迷った末、マネっこに落ち着いた。どちらがマネかは、神話を比べれば一目瞭然ってやつ。

カミムスヒ
性格ははっきりくっきり。出演場面は大国主神話。出雲大国主の最高守護女神。多くの出雲神の母。
夫は見えないが子沢山という、女系文化の化身。エピソードには巨人型の大地母神のイメージあり。

タカミムスヒ
輪郭ひどく曖昧、複雑怪奇。
(1)高天原の神に大国主が服従する「国譲り神話」に、高天原の代表神として、有名な女神天照(アマテラス、アマテル)と並んで登場。ただし名だけの登場で、動いて喋るシーンは無い。唯一動いて喋るエピソードがあるが、その時は「高木」という別名になる。
(2)高天原の神の子(天皇の祖)が地に降りる「天降り神話」には、その子の系譜が書かれていて、それによれば、その子の母の父、つまり母方の祖父に当たる。ただしその名は「高木」であり、(1)によって「高木=タカミムスヒ」と類推されるのみ。

ね、どう? タカミムスヒ神は、高木という神を拡大、昇進させて、カミムスヒ女神に匹敵させるべく、似た名を与えたもの、としか私には見えないんだけど。

ところが、です。『日本書紀』神話では形勢逆転。その「天降り神話」たるや、天照さえ影薄く、ほとんどタカミムスヒ(高皇産霊)の一人舞台。
そして前回サコ先生が証言してくれたとおり、御祖カミムスヒが大活躍の出雲神話は無い!
そしてタカミムスヒは「皇祖」という見慣れない、しかも「御祖」にそっくりな称号を付与されている!

これはもう、何があったか、明らかじゃないでしょうかね。
古代、日本列島には、女神を一族の祖と伝える神話がいくつも伝承されていた。
広い地域を統括するようになった大和朝廷は、国史の編纂に際して、それらの神話を自家にふさわしく解釈し、編成した。
『古事記』によれば、天照は九州生まれの女神。大和朝廷の初代イワレビコ(神武)は九州出身。つまり朝廷の学者たちは、少なくとも『古事記』段階では、大和朝廷の故地を九州、祖神を天照とする学説を立てていたわけでしょう。
また朝廷の統治権は、カミムスヒ女神(を祖とする出雲族)から天照女神(を祖とするイハレビコ一族)に譲られたものである、という学説も立てていた。

ところが、文字と共に来た儒教に心酔した学者たちは、それだけでは物足りなかったんでしょ。徹底的な男権主義である中国に対して、女が出張る神話は、彼らには後進の表れに見えたかもしれない。中国を基準に考えて、こんなはずはない、と伝承を疑ったかもしれない。
とにかく彼らは、もう一度、神話群を検討して、「正しく」解釈しなおした。女系をできるだけ男系に、少なくとも、女性が出しゃばらないように。
その過程で生まれたのが、タカミムスヒだった。おそらく学者たちは、出雲の小さな神「高木」に、男臭さを感じたのでしょう。そして彼を拡大、昇進させ、天照女神と並ぶ朝廷の祖とし、カミムスヒ女神より先に出現した神として創世神に数えたのでしょう。

ここまでが『古事記』段階。
八年後の『日本書紀』では、男権をさらに徹底させたのと、もうひとつ、出雲の先進性を無視することを進めたために、出雲神話が消えカミムスヒ御祖が消え、天照女神を押しのけて「皇祖」が出現した…んじゃないかしらね。
私はこれ、かなり確信してるんだ。

で、なに? サコせんせは天照に触らないって?
うふふ、新学期で忙しいんでしょ。そういう時に彼女とはちょっと付き合えないよね、ははははは。
って、私も大仕事の大団円抱えてるんだけど、女神さまたち、魅力的だもんねえ、ついつい…でしたっ。