第216回 「遺跡保存の記念碑」完成!

佐古和枝(在日山陰人)

暑いですね〜(*_*) いまごろ千夏さんは小笠原諸島でサカナになって、ルンルンご機嫌でしょうね。
さてさて鷹栖町、そうでしたか。世の中、ひと皮剥けばオソロシイことがけっこう起きている。頭ではわかっているつもりでも、つい自分とは無縁な話だと思ってしまいがちです。千夏さんの話でググっと身近になり、大熊さんのコラムをみてゾゾっとしました。

開発事業か遺跡保存かという場合、遺跡保存を支持する自治体の首長は、なかなかいないものです。いまから思えばウソのような話ですが、佐賀県の吉野ヶ里遺跡も青森県の三内丸山遺跡も、開発事業のために壊される寸前でした。どちらの遺跡も、開発推進派だった知事が一転して遺跡保存を決断したのは、マスコミで大きく報道されて見学者が全国から殺到したためでした。そういう条件に恵まれなかった妻木晩田遺跡が、草の根的な市民運動によって多くの支援者を得て全面保存に至ったのは、まさに奇跡。今年で、保存決定から15年めを迎えます。


妻木晩田史跡公園


ガイダンス施設「弥生の里むきばんだ」

1999年2月、逼塞状態の保存問題に風穴を開けようと発足した市民団体「むきばんだ応援団」は、遺跡の保存を訴えるだけでなく、資金的にも市民が保存活用に参加しようと、「むきばんだ基金」を募りました。発足の2ケ月後に遺跡の全面保存が決まったのですが、わずかな期間にも関わらず多くの方々が基金に協力してくれました。
保存決定以来、この基金をどう活かすべきかが、ずっと私たちの懸案事項でした。議論を重ねた結果、この遺跡が多くの方々のご支援のおかげで救われたことを、広くまた末永く伝えていくために、記念碑を造って遺跡の一角に設置しようということになりました。
そして昨年、鳥取県と文化庁の許可を得て、このたび記念碑が完成!碑文には、永六輔さんに揮毫してもらった妻木晩田遺跡のテーマソング「おいでみんなここへ」の歌詞の一部「おいでみんなここへ、この坂を登ったら海が見えるから」を大きく刻み、保存に至る経過と感謝を記した文章と、応援団でつかっている妻木晩田遺跡のキャラクター「むきちゃん・ばんちゃん」のイラストを加えました。


記念碑の除幕式

7月7日(日)の「記念碑完成の集い」はあいにくの大雨。でも、除幕式の時だけピタリと雨が止んでくれたのは、まるで神様からの祝福のようでした。そして、「おいで」の歌を作曲し歌ってくれている李政美(い・ぢょんみ)さんに、記念碑のそばで歌ってもらいました。


記念碑完成の集いで歌う李政美さん

その後、永六輔さん、ちょんみさん、妻木晩田遺跡史跡公園所長の中原斉さん、そしてサコの4人で座談会「むきばんだ遺跡を語る」。そこでちょんみさんは「この遺跡と出会って、私の人生は変わった。この出会いに感謝している」と言い、永さんは「みなさんが、この遺跡のために何ができるか、それぞれ考えてください」と言ってくださいました。楽しく嬉しくありがたく、また頑張らなきゃという思いに身が引き締まる「集い」でした。



体験学習室で「むきばんだを語る」

長年の宿題を果たし、やっと私たちの保存運動を締めくくることができました。保存運動のスタートを加勢してくれたのが千夏さんで、その締めくくり役が永さんとちょんみさん。ちょんみさんとは、千夏さん・永さんとは別ルートで知りあったのですが、いまでは「おんな組」で繋がっていますもんね。なんだか不思議なご縁を感じます。
政治家は選挙や不祥事・陰謀もろもろで、役人は人事異動や退職でいなくなってしまうけど、地域住民はずっとココにい続ける。自分からやめない限り、活動は続く。これが市民の強味です。これからもサコ、皆さんが守ってくれた妻木晩田に一所懸命、「しつこい婆さん」と言われるまで、がんばりま〜っす(^_^)/