第214回 ま〜るく、ま〜るく

佐古和枝(在日山陰人)

わ〜い!遺跡の話でワクワクしてもらって、嬉しいです(=^・^=)

千夏さんが20年ほど前に訪れた小牧野遺跡、ずいぶんさま変わりしていますよ。こうしたストーンサークル(環状列石)は、縄文時代の後期(4000年ほど前)に東北地方でよく造られました。小牧野遺跡で使われた石の総重量は約30トンの河原の石。標高140mほどの台地の上まで、よくぞ運んできたもんだ。

小牧野遺跡(青森市)をはじめ、大湯環状列石(秋田県鹿角市)、伊勢堂岱遺跡(北秋田市)など、東北の縄文人はなぜかサークル好き。直径50メートル前後もある大規模な石のサークルは、共同墓地であり祭り場であり、多くの人々が集う広場でもあったと考えられています。

大湯環状列石は、野中堂環状列石(直径44m)と万座環状列石(直径52m)が並んで造られており、それぞれに100以上の配石遺構と呼ばれる石組みがあります。これらの石は約7km離れた安久谷川から運ばれてきたものだそうです。えらいこっちゃ。

千夏さんは、ひと頃よく秋田の鷹巣町に行かれてませんでしたっけ? もしかして、伊勢堂岱(いせどうたい)遺跡の応援に?ここは4つの環状列石があって、これまた7kmほど離れた米代川から台地の上まで運びこまれた石だとのこと。

これは、千夏さんが書いてたイギリスのスウェインサイド・サークル。8〜12世紀頃のものとされています。有名なストーンヘンジは5000〜4000年ほど前とされているから、縄文の環状列石とほぼ同じ頃ですが、そんな時代に4〜50トンもある巨石を、これまたずいぶん遠方から運んできたというから凄い話。

一方、北陸の縄文人は、石ではなく直径80cmほどもある巨木でサークルを作りました。これは祭り場と考えられています。

同じ頃、北海道の縄文人は、ドーナツ形に土を盛り、そのなかを墓地にしました。環状土籬(どり)とか周堤(しゅうてい)墓と呼ばれています。

ことほどさように、東日本の縄文人はマルが好き。そこだけ切り取ったように、なにかで囲まれた空間は特別な場デアル、という気持はわかりますね。神社の本殿やお寺の境内も塀で囲まれているし。でも、なんで縄文人は、四角ではなく丸だったのかしらん?

「自然界に、直線は存在しない」と何かの本で読んだことがあります。そういえば自然界には、まんまるお月さんはあっても、四角形ってあまり見かけない。三角形は、山の姿でありそうだけど、三角形に閉じられた空間って居心地わるそうだし(^_^;) 徹して自然児であり武器をもたない平和社会の縄文人なら、やっぱりとんがらずにマル! 日本の国旗も「日のマル」 だし、現代日本人も円満に、ま〜るくま〜るくいきましょう。