第197回 ■時代の檻にいて思う■

中山千夏(在日伊豆半島人)

ななななんと、今月すっかり書いた気になってのんびりしていたら、まだだったと昨夜わかりました!
サコちゃんのを読んで、そうか、次はこんなこと書こう、と考えただけで、書いてなかったんです(T_T)
ったくボケですねえ、すみませんすみませんm(__)m
というわけで、遅ればせながら…

そうなのお、狩野亨吉という先生、アイヌについてそんなにレッドカード発言していたのお。
それが安藤昌益と出会う前なのか、あとなのか、興味あるなあ。
とにかく、昌益の大作『自然真営道』を発見し、読破して、狩野が受けた衝撃たるや、大変なものだったらしい。あまりに前衛的な、そしてまた無政府主義的思想は弾劾される世の中にはアブナイ思想だったので、すでにエライ学者として知られていた実名(なにしろ一高校長から京都帝国大学初代文科大学学長という経歴だった)で語ることには腰が引けたのか、「某文学博士」が学術雑誌のインタビュウに答えたかたちで、発見を公表している。記事の題は「大思想家あり」。そこでだったか後日だったか、「最初に目を通した時には、狂人の著作かもしれないと思った」という意味のことを漏らしている。そのくらい当時の平均的な思想の枠を外れていたのね。
不穏な世の中は続き、狩野がようやく実名で昌益研究を発表することに踏み切ったのは、それから20年ものちだったんだって。

そういう思想を語るのに、既存の言葉では間に合わず、昌益は漢字を独自に解釈して、独自の概念を表す造語をたくさんしている。たとえば転定と書いてテンチと読み、天地を表す。昌益の考えでは、天地という漢字には上が天、下が地、という上下概念が染み付いている、しかし科学的にも価値的にも、テンチに上下は無い、テンは動くもの、チはどっかと定まっているものであるから、転定と書くべきだという。
ステキなのはヒトね。男女と書いてヒトと読ませる。色紙を書かなければならない時、「おんなとおとことあわせて人間」と私が書くようになったのは、もちろん1970年代に出会ったリブの考えを踏まえてのこと。それと同じ考えを江戸時代の男が言っていたとはね。同時代人はもちろんのこと、明治の男学者が、正気を疑ったのも無理はない。

昌益を巡っては、思想における時代の制約ということを改めて考えた。昌益の時代、学問といえば儒教や陰陽五行説、仏教を学ぶのが正道だったから、昌益も入り口はそこだった。後にはどちらも否定するわけだけれど、土台はそれ、特に陰陽五行説は持論を展開する手がかりとして、自己流に昇華するかたちでひきずらざるをえなかった。そんな状況で、現代から見ても前衛的な人権思想に類する世界観、社会観を構築したのだからすごい。しかし時代の制約を逃れきれてはいないだろう。
研究者のなかには、昌益思想をむしろ天皇制、家父長制を重視したもの、と強弁するひとがあるらしいが、たとえ強弁であれ、そのような昌益論を生じさせる余地が昌益の著作にあるに違いなく、そこに時代の制約がある、と私は思う。

私が時代の制約を考えるようになったのは、やっぱりリブのおかげだね。だってさ、時代の制約を割り引いて見ないと、こと性に関する限り、80年代ごろまでの思想家は、ほぼ全員が性差別主義者、アカン思想家だものね。考古学やら化学やらとなったら、その分野では立派でも、性差別者でない学者を見つけるのは、いまだにたあいへん。ね? サコちゃん?
身分差別、門戸差別も同様でしょ。おそらく狩野亨吉のアイヌ蔑視発言も、そんな時代の制約があってのことだったんじゃないかな。

実名で昌益研究を発表する前年に、狩野は京大に退官届けを出して受理された。そして、後半生は、皇太子の教育係や東北帝国大学総長への誘い、東京市長への推薦などをすべて固辞して、一介の市民、音羽の書画骨董屋の主人として生きたんだって。前に紹介した『安藤昌益の世界』の著者は明言しないけれど、そこには昌益思想への傾倒もあったんじゃないかなあ。
そう思うので、彼のレッドカード発言の時期に、興味あるわけ。

男女をヒトと読ませる昌益の男女平等論にも、当然、時代の制約がある。男は耕し、女は織る、と昌益は性で役割分担する。人間はすべからく自然に呼応して生きるべきである、人間の自然として女のほうがむしろ優れているのだから、女性蔑視は非科学的である、ただし生理が異なるので、自然なこととして役割分担があるのは当然、という考えだ。今でもこの段階にある男女平等論は多いけれど、科学の進歩や女の多方面への進出実現が、果たして個人の自由を規制して役割分担する根拠となるほどの生理的な違いが、男女にあるのか、疑われるようになってきている。
そんな現代を生きている私たちの思想も、時代の制約という見えない檻に、がっちり捉えられているんだろうね…