第196回 アイヌ文化と縄文の心

佐古和枝(在日山陰人)

千夏さん、ボニン島の次は北海道ですか(^_^;) 千夏さんを追いかけて時空の旅、ちと出遅れてお待たせしてすみませんでした。
安藤昌益って、教科書で名前を知っているくらいだったので、慌てて少し調べてみたら、たしかにものすごい人物だとすぐにわかりました。そういう人を世に出した狩野亨吉が、久野収さんの先生だったとは、これまた知らなんだ。でも狩野亨吉は、アイヌの人達に対して、いくら当時でも暴言でしょって思うような表現を、たびたびしています。そういう人として記憶していました。うむむ〜、矛盾は人間の本質なんですなぁ。

安藤昌益が書いていることや、アイヌの人達の優しさ、自然に対する深い畏敬の念と厚い信仰心をみると、縄文人の心がそのまま生きているように思えます。弥生時代以降、大陸から稲作や金属器などが伝わって生活はたしかに豊かになり快適になったけれど、効率優先主義となり、競争社会・階級社会となって、権力者があらわれ戦争が始まって、なんだか息苦しい社会になった気がします。

ところで、北海道の歴史の年表って、見たことがありますか? 本土とは、ずいぶん違うんです。縄文時代までは、さほど違いはないのですが、本土で水稲農耕が始まった弥生時代、水稲農耕には向かない環境である北海道や沖縄を中心とする南西諸島では、当然のことながら稲作文化は及ばず、それぞれの環境に適した生活の仕方をしていました。南西諸島では縄文時代から鎌倉時代頃までを「貝塚時代」と呼んでいます。北海道では、縄文時代の次は「続縄文(ぞくじょうもん)時代」。川での漁労が中心となる文化です。そして、7世紀頃から鎌倉時代頃までが「擦文(さつもん)時代」。土器の表面にハケ(板)で調整した、擦ったような跡が残る「擦文土器」と呼ばれる土器を用いるので、こういう名前で呼ばれています。この頃、北海道北海岸とオホーツク海沿岸地域、樺太、南千島には、オホーツク文化と呼ばれる海の漁労や海獣狩猟を中心とする大陸系の文化が広まります。アイヌの熊信仰やユーカラなどは、オホーツク文化の影響とのこと。そして、擦文文化とオホーツク文化が融合して、13世紀頃にアイヌ文化が形成されたと考えられています。

わが国は、稲作文化圏に王権が誕生してクニができたために、稲作文化の国という印象が強いかもしれませんが、日本列島は南北になが〜いので、それぞれの地域の環境に応じた生活の知恵や伝統が培われ、地域ごとに独自の文化が育まれてきました。それに、海に囲まれ、山も多いのだから、決して稲作文化一色で塗り潰せるような国ではありません。むしろ、千夏さんのボニン島レポートで垣間見させてもらったように、実に多様な文化が混在しているのが、この国のおもしろさであり、底力にもなってきたと思います。みんな違って、みんないい〜そういう国であってほしいと願っています。