第186回 ■ポルトガル紀行■

佐古和枝(在日山陰人)

へぇ〜、競輪ですか。考えてみれば、最近人気の女子サッカーをはじめ、いまは当たり前になっている女子の柔道、空手、レスリング、重量挙げなども、おそらく最初の頃は「女の子のくせに」と言われたでしょうね。発掘調査という肉体労働がともなう考古学もしかりです(^_^;) でも、やればちゃんと出来るのだ。

話は変わりますが、3月末から4月の初めにポルトガルに行ってきました。「なんでまた、ポルトガル?」とよく聞かれるのですが、ポルトガルといえば、16世紀に世界に進出し、日本に火縄銃やキリスト教をはじめ、さまざまな西洋文化を伝えた国。日本が初めておつきあいを始めた西洋の国。行ってみたいじゃないですか。

日本からポルトガルまでは、乗り継ぎ時間を加えて約20時間。遠かった((+_+)) 最初の訪問地はポルトガル北部、ポルトガル第2の都市ポルト。ドロウ川の河口にあり、ワインの輸出港として栄えた街です。ここのワインはイギリスに輸出され、英語でポート・ワインと呼ばれて有名になった、あの甘いワインです。ドロウ川の対岸がカレ地区で、ポルトとカレをあわせて、ポルトガルという国名になったそうです。ドロウ川には、いまでもワインを運ぶ船がたくんさん行き交い、往時をしのばせます。


ポルト〜ワインを積みだす船

翌日は、国境を越えてスペインに入り、キリスト教の世界三大聖地の一つとされる世界遺産サンチェゴ・デ・コンポステーラに行きました。11世紀には50万人以上の巡礼者があり、いまでも毎年10万人近くの人々が訪れるそうです。聖ヤコブ(スペイン語でサンチャゴ)の遺体が葬られた地に建てられたという大聖堂は、さすがに圧巻。面白かったのは、日本でいえばご本尊様にあたる聖ヤコブ像を、後ろから抱きしめることができるというサービス?があったこと。こりゃ〜信者達に、長い道のりを経てでも行きたいと思わせる効果は絶大でしょうね。


サンチャゴの大聖堂「この奥に鎮座する聖ヤコブ像に抱きつくことができます」


サンチャゴの土産物屋「こんなところにもキティちゃん!」


他にも、宗教都市ブラガ、最古級の大学と図書館で有名なコインブラ、中世城郭の町オビドス、14世紀の王家の離宮のあるシンドラ、ユーラシア大陸最西端のロカ岬などを訪れました。ロカ岬から眺める海の向こうはアメリカのフィラデルフィアあたりだと聞いて、感慨無量。

最後の訪問地は首都リスボンでした。ポルトガルで訪れた街はどこも坂が多かったけど、リスボンも同様。おまけに幹線道路の舗道も石畳なので、歩きにくい((+_+)) 細いヒールの靴なんて絶対無理。でも、世界遺産だから舗装するわけにいかない。日本なら、きっとクレーム続出だろうな。


リスボンの坂を登る路面電車


リスボンでみかけた可愛いゴミ箱


サンチャゴでは、大聖堂の横に建つ15世紀末の王立施療院を改装した巡礼者のための宿泊施設、コインブラでは、ペドロ王が悲恋の末に隠れ住んだ「イネスの館」など、古い建物を改装した素敵なホテルに泊まりました。しかし、5つ星とはいえ、木製ドアのたてつけが悪いとか、ドアの鍵が半壊状態だったり、湯沸かしポットはないし、エレベーターも手動だったりなど、便利なホテルに慣れている日本人はビックリです(^_^;) それでも、古い伝統を活かしながら空間デザインはとてもお洒落で、細かいところにも洗練されたアートの精神にあふれ、心が潤う贅沢感がありました。その点、日本のホテルは機能優先で愛想なく、豪華にみえても無機質で、窒息しそうになる。何を大切にすべきかが、日本とヨーロッパではずいぶん違いますね。
日本は、便利さ・快適さばかりを求めてきた結果、文化的にとても貧しい国になってしまった気がします。なんでもかんでも「自動」、「電化」。電気を浪費しておきながら、電気が足りないと原発再稼働。なんだかおかしい気がします。


リスボン郊外の建物


リスボンで乗ったタクシー運転手のおにいちゃんに、日本から来たと言ったら、大震災の被害は大丈夫かと心配してくれました。リスボンも18世紀半ばに大規模な地震と津波で被害を受けているのです。同じ震災体験国として、また日本とポルトガルが近しい間柄になれたらいいなと思いました。


ポルトガル名物アズレージョ(タイル)で飾られたアヴェイロの旧駅舎