第183回 ■女たちに大拍手!■

中山千夏(在日伊豆半島人)

もう1年たっちゃったね。
まだまだ続く原発推進教者とのおしくらまんじゅう。
膨大な核燃料と汚染物質の行く末監視。
忘れまいぞ2011年3月11日を!

反戦に反原発。
日本でも中心は女たち。
ひな祭りの直後が脱原発記念日なのも象徴的だね。

サコちゃんの報告に触発されて、ちょっと調べて見た。先日、ノーベル平和賞を受けた3人のこと、気になってたの。特にセックスストライキまであったユニークな反戦活動がね。
それを可能にするどういう背景がアフリカにあったのか、と。

ほんのちょっと調べただけで、私の情報受容のいいかげんさ(今に始まったことじゃないが(^^ゞ)、世界についての無知(これも今に始まったことじゃない(^^ゞ)が明らかに…とほほ。

3人同じ国かと思ってたら、違った。
タワックル・カルマンはイエメン。がっちりイスラム女性の装いをしている。
エレン・サーリーフとリーマ・ボウイーはリベリア。

報道の聞きかじりで、サーリーフがリベリア初の女性大統領と知ってはいた。でも「女の反戦運動が生んだ初の女性大統領」というふうな紹介記事のイメージが強くて、政治家というより反戦運動家だと受け取っていた。しかし、エレン・サーリーフは、英国のサッチャーにも並ぶ立派な政治家だ。

そもそもRIBERIAは英語の「自由」Libertyにちなんだ国名である。その成り立ちは、解放奴隷をアフリカに戻そうというUSAの勝手な政策と、時に勃興した植民会社とが結びつき、1822年頃、アフリカ系アメリカ人の植民が始まったことにある。当然、現地住民たるアフリカ人との軋轢が生じた。1848年に独立を果たしたが、植民地としての問題は内包したままの歴史が続き、ノーベル平和賞のもとになった近年の2度の内戦も、その歴史に連なるものである。

てなことをこの際知った。おそ。

そんなリベリアで、1938年、アフリカ人とアメリコ・ライベリアン(植民者の子孫はこう呼ばれている)の間にサーリーフは生まれた。有名大学で学んだのち、USAにわたって10年間、大学で学び、修士号をとったという。専門は経済学。帰国するとすぐ政党入りし(ホイッグ党。当時はこのUSA系の一党独裁政権で、参政権もアメリコ・ライベリアンにしかなかった)、本格的に政治活動を始めた。国情が国情だから亡命や投獄も経験しているけれど、不遇時代の一時期はUSA系の銀行に勤務し、国連開発計画のアフリカ局長もしていたというから、ま、「体制側」のエリート政治家だ。大統領選にも、過去、内戦時代1997年に一回出て次点落選。内戦終結後の2005年の選挙でようやく当選を果たした。73歳。

39歳のリーマ・ボウイーの生い立ちは、リベリア生まれとしか知らない。彼女こそが、今回の平和賞を印象付けた運動、内戦を終結させたリベリア女性たちのユニークで大きな運動の立役者だった。
1995年、ケニアのナイロビで開かれた世界女性会議は、15、6歳の彼女になんらかの影響をもたらしたのだろうか。
ちなみに、その時、日本婦人議員団の一員として、私もナイロビにいた。またちなみに、政治的な自宅監禁を解かれたサーリーフは、83年から85年の間、シティバンクのナイロビ支社に勤務していたという。
ボウイーは「Women in Peacebuilding Program/West African Network for Peacebuilding」(「平和を築く女たち計画/平和を築くための西アフリカ連帯」)(WIPNET/WANEP)というグループの創設者の1人。現在はガーナの首都アクラに本部を置く「Women Peace and Security Network Africa」(女たちの平和と安全ネットワーク アフリカ)(WIPSEN-Africa)の事務局長。筋金入りのフェミニスト系社会運動家といっていいかも。

報道の聞きかじりによると、サーリーフ大統領は平和についてもカネについても人権についても、決して清廉潔白というわけではなく、この点でも立派に政治家らしい。
おそらくボウイーは、合理的な有権者の最良の選択として、サーリーフを支持したのだろう。
このふたりのリベリア女性の、内戦終結への取り組みは、まったく異質だったに違いない。

イエメンで初のノーベル賞受賞者となったタワックル・カルマンは、知る人ぞ知る高名なアラブの反体制運動家だった。母親が弁護士の政治家で、法制長官をしたこともあるという。姉妹にも有名詩人があり、自身も作家・ジャーナリストだというから、かなりの知的エリートだろう。そしてイエメン最大の野党に属す、本格的な政治活動家。
2005年ごろからその活動は欧米に注目され、「アラブの春」(2010年におきたチュニジアでの暴動=ジャスミン革命以来続く大規模なアラブの反政府運動)ではリーダーの一人としていっそう注目された。32歳。

そんなひとがブルカをかぶっているのは、不思議だ。しかし、日本女性の有名な作家や学者が、よく和服を着用しているのを思い出したら、そう不思議でもなくなった。
それに、欧米では、イスラム女性の民族衣装はブルカと総称されているものの、アバヤ(全身黒い布で包み、目と手足の先しか見せない)、ブルカ(目の部分までもが網で隠されているアフガニスタン式アバヤ)、チャドル(顔だけ出して全身を隠すイラン式)、ヒジャブ(スカーフ様の布で顔面以外の頭部を隠す)、ヒマール(ヒジャブより広く背中まで隠す)などの違いがある、とにわか勉強で知った。
ヒジャブが最も一般的だそうだ。カルマンのはそれだ。

はあああ、にわか勉強くたびれた。

でもさ、面白いね。三人三タイプ。それに、いずれも日本にもあるタイプじゃない?
女の政治へのかかわり方も、世界的にようやく多様になってきたのかな。
サコちゃんはどれが好み?
私はだんぜんリーマ・ボウイーに拍手だな。
あ、いや、違った、ボウイーのように活動してきた、今も活動している、ノーベル賞を貰わなかった女たちに、大拍手!だね(^O^)