第176回 ■里浜貝塚で蕎麦の収穫!■

佐古和枝(在日山陰人)

今月19日・20日、千夏さんと行ってきましたよ、宮城県の国史跡・里浜貝塚へ。イベント開催の経緯や内容は前々回に千夏さんが書いてくれたので、ここでは結果報告です。
メイン・イベントは里浜貝塚の蕎麦畑の収穫だったのですが、今後の支援体制を充実させるために、仙台市内にもサポーターを増やそうってことで、ちょうど里浜貝塚の企画展を開催中だった仙台市立縄文の森広場のご協力を得て、初日は縄文の森広場で「がんばれ里浜貝塚 わいわいトーク」をやりました。鈴木先生も岡村さんも、熱弁ふるってくださいました。
縄文の森広場は、4000年前の縄文集落である山田上ノ台遺跡が復元整備されており、隣接するガイダンス施設で出土品の展示や体験学習がおこなわれています。ガイダンス施設には、縄文ムラの大きな復元模型を拡大スコープで覗いたり、発掘された実物大の竪穴住居跡の写真が床に貼られていたりして、楽しく見学できます。お薦めは、2階の展望休憩室です。ガラス貼りの展望室から、復元された縄文の森やムラを見晴らことができます。折からの紅葉も美しく、こんな素敵な部屋を作ってくれた心配りに感謝!でした。

   左:企画展「がんばれ里浜貝塚」の前で解説する縄文村歴史資料館の菅原館長
   右:床に貼られた竪穴住居跡の写真を解説する縄文の森広場の田中所長

展望台から写真を撮る千夏さん

夕刻、雨降るなか、里浜へ移動。東北は日暮れが早いので、到着した時はすっかり真っ暗闇でした。桜荘という民宿で、地元のみなさんと一緒に美味しい牡蠣に舌鼓み。お酒がまわるほどに、いろいろ熱い議論もくり広げられましたね、千夏さん(^_^;)
2日めの朝、お宿の窓を開けてビックリ。なんと眼下に里浜貝塚を見下ろす最高のロケーション。心配された雨もやんで、みごとな青空です。
里浜貝塚は、松島湾内最大の宮戸島にある、日本最大級の貝塚です。約6000年前から約2000年前の弥生時代までの4000年以上も人々が暮らしたムラでした。

遺跡に隣接して、縄文村歴史資料館があります。ここでは、里浜貝塚の出土品の展示だけでなく、縄文時代を体験するために、ブレスレットや土鈴、鹿角ストラップや縄文ポシェット作りなどの体験メニューや塩作り、貝染め、カキの養殖など、地域住民や子供たちを対象にした楽しげな活動がてんこ盛り。資料館のおかげで、遺跡の魅力は倍増です。資料館の活動が再開されて、再び楽しげな子供たちの笑顔を見ることができる日が待ち遠しいです。
さて、島の被災状況をひと通り見学させていただいてから、いよいよ蕎麦畑へ!鎌のもち方、刈り取り方を教わって、慣れない手つきでエッサホイサ。

「蕎麦に放射線は検出されませんでした」と報告する鈴木先生と菅原館長

   刈り取り方法のレクチャーを受け…      そ〜れ、がんばれ

収穫した蕎麦を脱穀            里浜の蕎麦です

収穫を終えた後、資料館に戻ると、建物の前の広場にテントが貼られ、地元のみなさんが牡蠣汁や焼き牡蠣、おにぎりなどを用意して待っててくださいました。牡蠣、ほんとに美味しかったですね。御馳走をむさぼりながら、このイベントの実行委員でもある白井貴子さんのミニ・コンサートで盛り上がり、なんだか私たちの方が元気をいただいてしまったような楽しいイベントでした。

橋が沈下し、満潮時には冠水

復元住居の横で牡蠣汁を食べる千夏さん

とはいえ、島には仮設住居が建ち並んでいました。これから冬を迎えるのに、このプレハブではいかにも寒い。早くなんとかしなきゃ。遺跡どころの話じゃない・・・出発前からいろいろ思うことはありました。でも、地元で乗ったタクシーの運転手さんに同じようなことを言ったら、「ボクらは、すべてを失いましたからね。町の歴史まで失いたくないですよ。ボクらも応援するから、頑張ってください」って。胸にズシンときました。
地域の歴史は、地域のアイデンティティの根源であり、それが地域づくりの基盤になる。そういう意味では、資料館は地域復興がめざすべき方向を照らす灯りでもあるはず。里浜の他にも、被災したり予算が大幅削減されたりで、閉館状態になっている資料館は少なくないと思います。もし応援できることがあれば、言うてください。不肖の考古学徒サコ、もしお役に立てるなら、喜んで飛んで行きます。