第172回 ■津波と遺跡■

佐古和枝(在日山陰人)

は、はいっ、連帯!遺跡も、よろしくお願いします、千夏さん。
ヒミコに力を発揮させる「男弟」力も大切ですよね。そう言えば、妻木晩田遺跡の保存運動中に、考古学の先生や先輩の男性陣が「おれら、まとめてダンテーズや」って、みなで大笑いしたことがありました。

それにしても、女性は元気ですね。8月下旬に、永六輔さんと小室等さんが宮城県の被災地を訪問された時、たまたま私も仙台にいたので、同行させていただきました。これは、被災した障がい者を支援するNPO「ゆめ風基金」の企画で、前代表の永さんと現代表の小室さんが、亘理町にある障がい者支援の施設を訪問されました。この施設の皆さんは、もともとお隣の山元町で活動しておられたのですが、山元町は津波の被害がひどくて、住宅地域が広大な原っぱになってしまうほど。それで、亘理町に拠点を移されたそうです。スタッフの方は、一人を除いて全員女性、これまた陽気で元気! もちろん皆さん自身も被災者で、家が流されたり、ご主人が亡くなられたりなど、胸が潰れそうなお話を、努めて陽気に話そうとしておられました。大声で笑いながら、目には涙が滲んでる。泣きながらでも笑うって、これもヒミコ力ですよね。ちなみに、この時の様子は、9月30日のNHKヒューマンドキュメンタリー「大往生 永六輔―戦いの夏」で放映されるそうです(関西は10月1日)。

亘理町訪問の後、仙台市長町の仮設住宅の広場で、永さんと小室さんのトーク&コンサートがありました。小室さんは、亘理町で出迎えた時に開口いちばん「あなたも、考古学者として何か発言しなさい」と言い、開演前にも再度の念押し。ドキっとしました。津波と考古学ってあまり関係ないと思われるかもしれませんが、そうでもないのです。すでに何か所かの被災地をまわりながら思うことがたくさんあって、頭の中はグルグル状態。そんなことを、小室さんはお見通しだったのかなぁ。

じつは、被災地の復興にあたり、考古学はいま大変な難題に直面しています。復興のために建物を建てようとする際、文化財保護法により、事前に発掘調査をおこなわなきゃいけないケースが多々生じることが予想されます。阪神淡路大震災の時は、全国から埋蔵文化財担当者が派遣されて、一気に発掘調査をおこないました。でも、東北の被災地は阪神淡路よりはるかに広大です。それに、政府の対応も阪神淡路の時より遅いから、被災者の方々のストレスも大きいでしょう。「遺跡どころじゃない・・・」って、私だって思います(=_=)

だけど、今回改めて気づいたことがあります。東北を襲った大津波の歴史ということで、貞観11年(869年)の津波のことがよく紹介されましたが、実は仙台平野にある沓形遺跡という2000年前の遺跡に、津波の痕跡が残っているのです。遺跡は、現在の海岸から約4kmのところにあり、大量の海砂が堆積していました。それで、今回とほぼ同じ規模の津波だったと推定されています。だから、約1000年に1度というサイクルですね。
へぇ〜と思っていたら、これまた被害が甚大であった奥松島で、今回はほとんど被害を受けなかった里浜貝塚も、約4500年前に2度、約3500年前に1度、津波が来ているそうです。

つまり遺跡には、津波や地震、洪水、火山の噴火など、その地域の災害の歴史も刻まれているのです。文字のない大昔からの長いスパンで災害のサイクルがわかるし、具体的な被災状況も復興の様子もわかります。記録が残っていない地域でも、遺跡ならあります。だから、遺跡をきちんと発掘調査することは、災害の研究にも役立ち、地域の未来のためになる!

〜ってなことを、長町のステージでは、ゆっくり話す時間がなかったので、ここで書きました(^_^;) あ、そうそう。里浜貝塚のイベントのことは、永さんと一緒に、ちゃんとPRしました。これについては、千夏さんにバトン・タッチ!


小学校の体育館


JR坂元駅


案内板
国号6号線のすぐそばまで津波がきたらしい