第159回 ■民衆と神話■

中山千夏(在日伊豆半島人)

雨は降るけど、なかなか一雨ごとに暖かくはなりませんね〜
夏人間としては耐える日々です。

出雲神話!
私としてはわくわくの分野!

〔ということで、(1)の答えは、『古事記』や『日本書紀』にどう書かれようと、それ以前から出雲の神々は、出雲以外の地域にまで信仰されていた。政府も、それを否定しきれない実態があった、かな(^_^;) 〕

です、です、シロウトの強みで断定しちゃいます(笑)
『古事記』は鎧の下に衣が見える作りになっていて、神話を掘り返すといろいろおもしろいんですが。
出雲のオオクニヌシが高天ヶ原のアマテル(一般にはアマテラス)に国譲りする。でも、開祖からの歴代はオオクニヌシのほうがずっと多い。つまりオオクニヌシの「お家」の歴史記録のほうがずっと長い。
ところが、開祖スサオヲがアマテルの弟になっているので、ビジュアルに言うと、オオクニヌシまでの出雲系図をぐにゅにゅっと折り曲げて、アマテルとオオクニヌシを同時代にしてあるのね。私はそう見てる。

そもそも奇怪なのは、『古事記』は大和朝廷の歴史書のはずなのに、大和神話がちらほら出てくるのは、天皇記に入ってからだものね。初めてそれに気がついた時には、びっくりした。
国生み神話を見ても、大和は中心でなく、九州と四国あたりの圏が中心に見える。
国譲り神話では、その国生み神話から出てくる高天ヶ原と、そして出雲が主役でしょ。イワレビコこと初代神武だって、九州からヤマトへ来た、と『古事記』でははっきりそう書いてある。いったい、古事記を作った大和朝廷は、どういう自己像を持っていたのか。少なくとも、近代の皇国史観とは、まったく違う自己像、歴史観を持っていたのではないか、と思わずにはいられないです。
古田武彦さんが『盗まれた神話』に到達したのは無理からぬところだと思っています。

でも、『日本書紀』はすでに、古事記とはだいぶ異なる姿勢なんじゃないかしら。神話は本文を段に分けて、段ごとに「一書」を数個から十いくつまでつけている。これ、わかりにくくてね〜初めて読んだ時は、筋書きがさっぱり掴めなかった。
結局、本文が公式見解で、一書は参考文献、と分けて読み込んで、やっとわかるんだけど、すると、『古事記』の筋書きと『日本書紀』の公式見解とは、ずいぶん違うことがわかった。
『日本書紀』ではアマテル、スサノヲ姉弟は、男女神から生まれる。『古事記』では女神イザナミの死後に男神イザナキがひとりで生む。この違い、おんな組としてはとおっても重大に見えるんだけど、世の中ではほとんど無視されているみたい。
性問題だけでなく、つまり『古事記』では、大和朝廷が祖神とするアマテルは、イザナキ信仰の純粋産物という印象が強いが、『日本書紀』本文ではそれが薄められている、そう見ることもできるでしょ。
また出雲神話の大半は、参考文献でしか採り上げていない。
などなど。
総じて、地域色のある神話を払拭しようとする意図を、私は感じるんだけど。
それに、日本書紀はちょっとずるい。ただ「一書(あるほん)」と言うだけで、参考文献の書名を書かないでしょ。あれ、なんか書くと都合が悪かったに違いないよ。都合が悪いと魏志という有名な書物の書名でさえ隠すんだものね。
ああ、あの時代にワープして、編者たちの前に積まれた参考文献を見てみたいなあ!

〔しかし、だとしたら、『古事記』や『日本書紀』に書かれた神話って、民衆にとってはあまり意味を持たなかった、ということ?『古事記』や『日本書紀』に書かれた内容を、民衆はいつ頃どのように知ったんだろう・・・〕
ほんと、考えちゃうね。

『古事記』は江戸時代に本居宣長さんが掘り出すまで、寺や旧家で写本が冬眠状態だったそうで、だから、偽書説もある。おそらく、できた当時もその後も、民衆は、お膝元の大和も含めて、なにそれ状態だったんじゃないかな。
『日本書紀』のほうは、できた直後から講読会が開かれて、ずっと陽の当たる道を歩んだんだってね。だから、少なくとも朝廷周辺ではよく知られたんだろうけど、地域ではどうだろう。この、完全に日本国として統一された情報社会でさえ、地域から見ると中央の情報は精彩がない。やっぱり地域の情報が生き生きしている。昔はなおのことだったんじゃないかな。

まして民衆となると。朝廷関係者はお膝元の民衆に識字教育や歴史教育をしたのかしらん。それがなかったら、まず、伝わらないでしょう。やっぱり、大日本帝国ほどの熱心さで民衆教育しないと、国体の歴史を民衆が受容することはないんじゃないか。
だって、『古事記』や『日本書紀』の話って、どうでもいいことばっかりだものね、民衆にとっては。生活圏の、生活に影響する山や海の神様のことなら、おおいに親しみがあるし興味があるだろうけどさ。