第158回 ■不思議の国 出雲■

佐古和枝(在日山陰人)

大荒れに荒れた冬将軍もどこへやら、まだ2月だというのに、もう桜が咲きそうなほど暖かい日々が続いています。ほんとに地球は、どうなっているのでしょうか。

さて、昨年は大和国で平城宮遷都1300年祭が賑やかにおこなわれましたが、出雲国では来年の『古事記』完成1300年にむけて、神話関連の講演・講座やツアーなど、すでに神話ブームで盛り上がっています。来年には、東京や大阪でも何やらイベントが計画されているようですよ。
出雲が神話の国といわれるのは、『古事記』・『日本書紀』の神話の多くが出雲の神々の話だったり、死者の世界である黄泉国(よみのくに)が出雲であるようなストーリーになっているからです。なぜ出雲だったのかは、古代史上の大きな謎。かつては、黄泉国は都からみて西北の方角であればどこでもよかったのであって、出雲という地域に意味があったわけではない、などの説明がされていました。

しかし、この20年ほどの間、島根県斐川町荒神谷遺跡で大量の青銅器が出土したのを皮切りに、山陰では、弥生時代を中心に重大な遺跡の発見があいつぎました。そして出雲国は、弥生時代から古墳時代の最後まで、独自なマツリの世界を築いていたことが明らかになってきました。やっぱり出雲は、タダモノではないのでした。

荒神谷遺跡

考古学の側から出雲の個性について話しだすと延々と続いてしまうので、これくらいにしておいて(^_^;)、神話の話に戻ります。

何年か前、出雲の神話をテーマに選んだゼミの学生からの質問が、いまだに気になっています。それは、(1)記紀の神話では、スサノヲや大国主命は大和朝廷と対立する神。朝廷にとってケシカラン神を祀る神社が、なぜ全国にこれほど多いのか。(2)記紀や風土記の内容を、一般大衆はいつ頃、どのように知ったのか。自分たちの神話や伝承が改変されていることを知った各地の民は、異を唱えなかったのか。 うむむ〜、痛いところを突いてくる(=_=)

たしかに、出雲系の神さまを祀る神社は、全国各地に数多くありますね。高天原のどの神様より多いんじゃないかなぁ。ただ、スサノヲについては、平安時代に京都の八坂神社の牛頭天王信仰と結びついて全国に広まったり、荒ぶる神のパワーが期待されて外敵調伏のために祀られたり、戦国時代の武将達の崇敬を集めたりなどしていることで、少しは説明できます。明治時代の廃仏毀釈の時、「どっと入ってきたのは、天照大神ではなくて出雲の神さんだったんですよ」と、飛騨のある神社の神主さんから聞きました。飛騨は、考古学的には日本海と繋がっているのです。

そんなふうに後の時代にクーロンみたいに増殖したケースは別にしても、大国主(オオナモチ、アシハラシコヲ)は『伊予国風土記』や『播磨国風土記』にも出てくるので、すでに奈良時代には出雲以外の地域でも、民衆の間に伝承や信仰が広まっていたことがわかります。

なかでも北陸には、大国主命を祀る神社や伝承が多いようです。とくに能登半島の基部や富山市には、大国主命が悪者を退治して地域を平定したという伝承が色濃く残っています。これらの伝承がいつ頃からあったのかはわかりませんが、『万葉集』に、越中国司の大伴家持が、浮気騒動を起こした部下に説教をする歌が載っています。その歌の冒頭は、「大国主命の神代から〜」となっています。北陸では、「天照大神の神代」というよりも、大国主命の方がキキメがあると、大伴家持は思ったのでしょう。

ということで、(1)の答えは、『古事記』や『日本書紀』にどう書かれようと、それ以前から出雲の神々は、出雲以外の地域にまで信仰されていた。政府も、それを否定しきれない実態があった、かな(^_^;) しかし、だとしたら、『古事記』や『日本書紀』に書かれた神話って、民衆にとってはあまり意味を持たなかった、ということ?『古事記』や『日本書紀』に書かれた内容を、民衆はいつ頃どのように知ったんだろう・・・

気になって仕方ないので、千夏さんもよくご存知の故門脇禎二先生に、この2つの質問をしてみたんです。そしたら、「そんな難しいこと、聞かんといて〜(笑)」と。う〜む、やっぱり出雲は不思議な国や。


出雲大社本殿