第156回 ■油断大敵■

佐古和枝(在日山陰人)

この連載を始めて7回目の新年を迎えました。今年もよろしくお願いします。
さて、今年の年末年始は大変な大雪でしたね。私の故郷は、ニュースで「記録的な大雪」と何度も報道された鳥取県米子市です。こりゃ大変と、年末年始は京都にひきこもり、お正月が明けてから帰省しました。おかげで、今まで見たこともないほど、すっぽり雪に覆われた京都を体験できました。
お正月明けの米子は、まだ大雪の脅威のなか。いろんな話を聞きました。オール電化のマンション暮らしの友人は、お湯も沸かせず、お風呂も入れず、毛布をかぶってガタガタ震えていたそうです。近年の温暖化で、除雪車の数は激減しているし、市役所の職員さん達が市内の雪カキに出まわったそうですが、おいつくはずもなし。一人暮らしの高齢者の方々は、さぞかし不安だったと思います。

1月8日(土)は、妻木晩田遺跡周辺の植物を観察する「むきばんだを歩く会」の日でした。さすがに今回はお休みだろうと思いきや、「やりますよ。せっかくこんなに雪が降ったんだもの。もったいないじゃないですか」という元気な会長さん。ぎょえ〜っ!
幸いその日はスカッと晴れあがり、美しい冬の青空が広がっていました。そして妻木晩田遺跡に到着すると、わが「歩く会」のメンバーがいつも通りに集まっていました。みんな、元気です。私達と県事務所の職人以外、だ〜れもいない遺跡は、もちろん一面の雪景色。キツネやウサギ以外、誰も歩いていない雪の絨毯が広がっていて、最高に美しい妻木晩田遺跡を満喫することができました。でも、周囲の木々が雪の重みでボキボキ折れていて、雪の重みがハンパじゃないことを目の当たりにしました。

洞ノ原から日本海をのぞむ

さて、2005年の12月のコラム「大雪です!」で書いたのですが、竪穴式建物の出入り口が雪で覆われていました。北海道や中部高地の乾燥した雪と異なり、ここらの雪は日本海の湿気をたっぷり吸い込んでとても重いのです。今回みたいに、夜の間に一気に雪が降り積もったら、外に出られないだろうなぁと改めて思いました。古代人たちは、いったいどうしていたんでしょうね。そして、どんな道具で雪カキをしたんだろう?

雪に埋もれた竪穴式建物

その日の夜、米子でいつもたむろするスナックで、珍しいおつまみがでてきました。それがまた抜群に美味しかった。「食料不足になるかもしれないと思って、大根の皮を捨てないで干しておいたのよ」とママが笑って教えてくれました。そういえば、ビックリするほど甘かった種子島の安納芋も、干すと甘みがぐんと増すとのこと。おてんと様の力はすごい。
干した大根の皮をポリポリ食べながら、古代人の冬の食事が心配になりました。秋に蓄えたドングリがあるといっても、貯蔵穴が雪に埋もれてしまって、とりだせない。毎日、空腹を満たすほど狩りの獲物が捕れるとも思えない。海は荒れて、漁も無理。魚や貝の干物だって、そんなにたくさんストックがあるわけないだろうし。。。。

縄文時代の遺跡は、北海道・東北地方や中部高地など、豪雪地帯にもたくさんあります。縄文時代にも、毎年大雪が降るのが当たり前という地域では、雪対策の伝統や智恵や技術があり、あらかじめ何らかの準備していたのでしょうね。準備がないから、慌てる。地震にしろ大雪にしろ何にしろ、災害は他人事だと油断していてはいけないのだ。
・・・と頭でわかっていても、自分が痛い目にあうまでピンとこない人もいる。かくいうサコめもその一人(^_^;) 実は、久しぶりにひどい風邪をひきました。ちょうどこの原稿、そろそろ書かなきゃなぁと思ってた夜に、突如高温発熱、そのまま4日間寝込んでました。不幸にもその日は冷蔵庫がカラッポで、薬箱にあった風邪薬は10年以上前のもの。災いは、いつ何時わが身にふりかかるかわからない。非常用食料と「非常持ちだし袋」、やっぱり備えておかなきゃと骨身に沁みたサコでした(^_^;)


洞ノ原の雪景色