第147回 ■対馬のこと■

中山千夏(在日伊豆半島人)

へえええ!
明治日本の入れ墨をイギリスの王子やロシアの皇太子が真似した、なんて、驚いた!
いつの時代も若者は妙なものに魅かれるのですなあ。

ところで昨日(9月1日)は、毎年おこなわれてきた自費出版文化賞の第13回最終選考会でした。
応募総数641。選考は4月から始まり、第一次、第二次選考を通過した入選作が52作。昨日はそのなかかから各部門賞6作、特別賞4作、そして大賞1作を選んだ。(詳細はこちら

その大賞が、今年は郷土史書だったの。「地域文化部門」に応募があった『対馬国志』という、見るからに立派な3巻組の力作。
私は「小説エッセイ部門」と「グラフィック部門」担当の一員だから、他部門は精読していないんだけど、『対馬国志』をざっと見て、担当委員の鎌田慧さんや委員長の色川大吉さんが称賛するのはもっともだと思った。研究が奥深いだけでなく、文章もいい。満場一致で大賞に決まった。

作者の永留久恵さんは、対馬の高齢な郷土史家で、すでに長年の仕事に対する評価は高いらしく、発行者が「「対馬国志」刊行委員会」となっているのも、肝入り連の存在をうかがわせるし、巻頭言には学者が文を寄せていて、なんと第一巻のそれは、サコちゃんのかつての師匠、森浩一さんではないか!
こりゃサコちゃんも永留さんを知っているに違いない、とわくわくして、と早速報告している次第。
ねね、永留さん、お知り合い?

それにしても、なんか縁を感じた。対馬は、ちょうどこのところコラムで話題にしていた入れ墨・魏志倭人伝・古事記などにかかわって、実に重要な島でしょう。
そもそも古代史かじって驚いたことはいろいろあるけど、対馬や壱岐の大きさが、現代人の感覚では計り知れないほど、古代倭人社会では、いやアジアでも、大きかった、というのが、そのひとつだった。
なにしろ、「邪馬台国」の地理中、対馬と壱岐だけは、堂々確固と倭人伝に記されていて、誰も文句のつけようがないんだものね。古事記や日本書紀の島生み神話でも、四国や九州と並ぶ島または国の扱いを受けている記事がたくさんある。古代倭国にとって、対馬・壱岐がとても重要だったことは間違いないよね。
うわあ、あのへんへの興味が再燃してきたぁぁぁ。

残念ながら壱岐までしか行ったことがない。その壱岐で聞いた話なんだけど、対馬の小学校で運動会があると、先生たちは漁船に乗って、韓国へ賞品を仕入れにいくんだって。「本土」から取り寄せるより、簡単で安いって。
遠くの親戚より近くの他人。国境をも越えるその真理が現前しているらしい対馬の現代もおもしろい。
いってみたいなあ。