第138回 ■中世と現代の狭間で〜クロアチアの旅■

佐古和枝(在日山陰人)

突然ですが、3月末から4月初旬、クロアチアの世界遺産をかけめぐってきました。クロアチアといえば最近はサッカーで有名ですが、実はネクタイ発祥の地。クロアチアのアドリア海沿岸をさすダルマチアといえば「101匹わんちゃん」のダルメシアン、アドリア海といえば、塩野七生さんが海洋都市国家ヴェネチアを書いた『海の都の物語』や宮崎駿監督の『紅の豚』が思いおこされ、わくわくしますよね〜。
1000もの島々が浮かぶ美しいアドリア海に面して、古代・中世の城壁や街並みを残す都市がいくつもあって、まるでお伽話の絵本のよう。その背後にはゴツゴツした石灰岩の山塊が迫り、緑に覆われた山々を見慣れた日本人には不思議な風景。クロアチアのブラチ島は、石灰岩が熱変性してできる大理石の産地として知られ、中世の建造物だけでなく、アメリカのホワイトハウスもここの大理石が使われているそうです。

世界遺産で有名なドゥブロヴニクは、宮崎監督の『魔女の宅急便』の舞台になった街です。1991年〜05年のクロアチア紛争で街の8割近くが破壊されたのですが、元通りの街並みに復興されました。冷暖房のない建物でも、歩きにくい細くて急な石畳の道路でも、この中世の街並みこそが、クロアチアの人達の誇りとアイデンティティーなんですね。まちの景観とか街並みなんて気にしない日本人なら、最新の設備を整えた最先端のビルを建ててくれと言うんじゃないのかな。
そんなお伽話のような美しい風景のなかに、クロアチア紛争の時に破壊された建物がまだ残っていました。荘厳なスポンザ宮殿の入り口の部屋は、紛争で亡くなった若い兵士たちの写真がズラリ。また、ボスニア・ヘルツェゴビナとの国境に近い自然遺産のプリトヴィッゼル湖群国立公園の一角にやたら警官がいると思ったら、その日はここで初めての死者が出たということで、大統領もきて記念式典が行われていました。プリトヴィッツェルに向う道中にあった小さな戦争博物館の傍らには、蜂の巣のように銃撃の跡が残る家もありました。美しい歴史と自然に感動する場面のあちこちに残る戦争の生々しい傷跡。そのギャップは、なんとも胸の痛むものでした。

朝市やマーケットも大賑わいで、お店のおっちゃん、おばちゃん達はとても人なつっこく陽気で親切でした。手作りの惣菜を売ってるお婆ちゃんの出店を眺めてたら、「ほれ!食べてみろ」ってなふうに差し出してくれました。どこでも試食させてくれるとガイドブックには書いてあったけど、一応礼儀だと思って「おいしい!」と喜んでみせたら、ビニール袋にいっぱい詰め込んでくれるんです。買うとは言ってないけど・・・と思いながら、お金を払おうとしたら、「お金はいらない、もって行け」って、笑って首を横にふる。お金は、無理やり渡してきました。
私たちの貸切バスの運転手のお兄ちゃんにその話をしたら、「クロアチアは貧しい国で、みんな助けあって生きてきたからね」って。「だから、この国では家や車に鍵をかけたりしないし、海岸に財布を置いたまま泳いでも大丈夫」と彼は誇らしげでした。彼もまた親切な好青年で、行く先々の美味しいお店を予約してくれたり、夜のお散歩やお土産の買い物までつきあって、なにかと世話を焼いてくれました。

旅行の嬉しさは、やはり地元の人達とのふれあいですよね。生々しい戦争の傷跡に息の詰まる思いをしただけに、クロアチアの人達の優しさが心にしみました。
ひるがえって、わが日本。政権交替し、自民党時代のムダ使いを暴露した「仕分け」という作業の意義は大きいとは思うけど、その余波で、弱者切り捨ての局面に肌寒い思いがします。日本も、昔は人にも自然にも優しい国だったはず。国内外の人から「日本って、優しい国だなぁ」と思われるような国になって欲しいと思います。


世界遺産ドゥブロヴニクの街並み