第127回 ■いまんとこ女王国は吉野ヶ里よ(^o^)■

中山千夏(在日伊豆半島人)

サコせんせに楽しい報告です!
ちょっと今回は長くなるよ、ご迷惑さま。

10月2日、佐賀県の「吉野ヶ里歴史公園」へいってきました。
吉野ヶ里が発掘されてから、もう20年になるんですってね。
発掘直後、吉野ヶ里を巡るシンポジウムが佐賀か福岡で開かれて、参加した。それ以来、電車の窓からちらりと見たことはあったけど、じっくり現地視察したのは初めて。

驚きました。なにしろ、赤土むき出しの発掘現場しか印象に残ってないでしょ。まるでホンモノみたいに復元された広大な環濠集落、古代の植生を意識した造園、立派な博物館、弥生時代を体験できるいろいろなお遊び施設。
学問的には批判もあるみたいだけれど、一般人に考古学・古代史学を近づけるという意味では、理想的な施設になっているんじゃないかな。とにかく、いろんな意味で感心しました。
そして改めて吉野ヶ里の規模、作り、遺跡の年代などなどを眼前にして、魏志倭人伝に出てくる倭の女王国の第一候補は、いまんとこ、やっぱり吉野ヶ里だ、と思った次第(^o^)

この公園、国営なのね。案内してくれた元福岡市の文化財課の古い友人が盛んに言ってましたが、国の予算がついたので、これだけの施設ができた、市だけでは無理だ、ボランティアに頼っていたのでは、これだけの運営はできない、と。
なるほどね。専門家が国費もらって、それを適切に使えば、一般人に学問的な成果を還元することができる。吉野ヶ里はその良質な例かもしれない、と思った。深くは知らないので、保証はしませんが(^^;)


小雨に煙る弥生時代の吉野ヶ里


王の家ですと 鳥居にちゃんと鳥が居る


なかには王夫妻がぁ! 顔立ちは出土した人骨を元に作ったとか☆


さまざまなマツリゴトの館 ヒミカもここに?


古墳上の博物館 出土状況をまるごと保存


弥生時代の向こうには現代の街が・・・

で、悪質な例が、春成秀爾せんせを中心とする国立歴史博物館の某研究チームの仕事だと思ってます。
あはは、この「某」ほとんど意味ないね。サコせんせは内部のひとだから、汗かくでしょ、無視しといてちょうだい(^^;)
でもさ、某ばかりで話されては、一般人に関係者の顔が見えない。国庫を使っての仕事なのだから、やはり市民に対してその顔と仕事が明らかでないと。国に対して卑屈になる必要はないけれど、納税者に対しては明らかでなくちゃね。そういう意味では、国庫を使う各界研究者は、政治家と同じ、顔と仕事の公開を求められて当然なのだ。と、一般市民としては思うです。

悪質な例とは、このコラムの118回にサコちゃんが書いたあの研究(第118回参照)。
無理やり箸墓古墳を邪馬台国女王の墓にもっていこうとする、あれ。マスコミ使って世論操作しようとする、あれ。
吉野ヶ里で研究者たちから話を聞き、この機会にちょっと詳しく炭素14年代測定法を調べたりもしてみて、ほとほと呆れました。一言で言えば、科学を使った非科学的研究だね。炭素14年代測定法そのものは、それなりの科学的方法なのだけれど、使い方や解析方法がああ恣意的では、もはや理屈抜きのご託宣と変わらない。
学界の大勢が呆れたり憤激したりしているのも、もっともだ。
邪馬台国近畿説の学者でさえ、怒っているものね。

魏志倭人伝を読んでも、倭人種の国がすべて女王国に属しているとは書いてない。女王国の南方や東方など、ほかにもある、と書いてある。サコせんせのむきばんだにも、近畿にも、あっちにもこっちにもそれなりの、いろんな形の文化を持つ倭人集団があった(先住民族アイヌは別格としてね)。そのなかで女王国は、たまたま地理的条件やなんかがあって、中国史書に残った、ということでしょ。
どうしてそれじゃイヤなのかなあ、春成せんせは。なんで大昔から大和朝廷が唯一絶対権力だったことにしたいのかなあ。わからん。
人間としては私、大好きだった故・佐原真せんせも、近畿説を守るのにずいぶん無茶な論理を発明していたけれど、もしご存命だったら、この話にどう反応されただろう。春成せんせの親分だったと漏れ聞くけれど、それでも、かなり狼狽されたのではなかろうか。

それはともかく問題は、あの研究の学問的価値、学界での評価が、われわれ一般血税納税者市民にちゃんと伝わらないことだ。
春成せんせたちのマスコミ操作は、国の予算をとる目的からなんだろうか。それとも、熱狂的大和朝廷ファン心理からなのだろうか。
なんであれ、それに乗っかる朝日新聞某記者やNHK某制作者って、いったいなんなのだろう(この「某」は単に名前を知らない、もしくは忘れただけ(^^;)。春成せんせは面識あるし、こういう、らく〜な感じの学者もいるのだなあ、と印象強かったから、名前よく覚えてるんだけどね)。
いくつかの新聞や雑誌が、批判的記事を書いたけれど、充分かどうか。
容疑者を犯人扱いした記事がセンセーショナルに出ると、裁判結果が無罪でも、その記事はたいてい地味だから、一般人には無罪の事実がなかなか伝わらない。この仕組みを利用して、特定のひとの名誉を傷つけようとする悪質なマスコミ人も数多い。

今回の、春成チームと朝日新聞某記者がしたことは、まったくそれと同じだ。言ってみれば、候補にもなっておらず、出馬の意向を匂わせているだけの「箸墓さん」を、「出馬決定!当選確実?!」と第一面で報じたようなもんでしょ。それが実際には出馬もしなくても、謝罪記事や批判記事がちょっと出たとしても、われわれの印象には、まるで当選したかのように残ってしまう。それが狙いだから、学界の反発など、彼らにとってはへのかっぱなのだろう。ほんまにもう〜よいわんわ〜。

良心的研究者にして市民と共に歩む学者である佐古和枝が、憤り焦慮するのはもっともだと、吉野ヶ里行きを契機に、実感できました。真実を市民に伝える努力、学問で忙しいのに(高島さんもマスコミ対応に大童だったよ)、たいへんでしょうが、がんばれ〜。
遅ればせながら、ちょっとばかり「地道な努力」を応援しようと、長広舌をふるったわけでした。

そうそう、楽しい報告のメインを忘れてた。
去年、サコちゃんに連れてってもらった出雲大社の遷宮見学でごいっしょだった古代史の関和彦せんせに、再会しました。シンポジウムのパネリストだったの。なつかしかったあ。このコラム、時々読んでくださっているそうです。
ほかに、『神々の汚れた手』の奥野正男せんせ、九州国立博物館の赤司善彦せんせ、今も吉野ヶ里発掘を担当している佐賀県文化財課の七田忠昭せんせ、それに高島せんせがパネリスト。
みなさん、「地道な努力」をしておられましたよ(^o^)