第114回 ■未来の考古学者の失業対策■

佐古和枝(在日山陰人)

ぎゃ〜、私の説明が足りなかったんだから、そんなに恐縮しないでください(汗)
グアムの石柱群の話、他人事ではないですよね。文字の記録がないと、あっという間に何が何だかわからなくなる。サコなんぞ、昨日の授業で何をしゃべったかさえ、書いておかないとわからなくなる (^_^;)

考古学をやってると、「ちゃんと書いておいてくれたらなぁ」と思うことだらけです。陳寿さんが邪馬台国の場所をちゃんと書いておいてくれたなら・・・あるいは古墳の被葬者の名前や没年を刻んでおいてくれたなら・・・土器に製造年が書いてあったなら・・・とかね。もっとも、わからないから、想像したり格闘したりする楽しみがあるし、われわれ考古学徒が失業しなくて済んでるのかも (^_^;)
もちろん、記録があればわかるってものでもありません。書かれたことがすべて正しいわけじゃないってことは、『古事記』と格闘している千夏さんは身にしみてご存じですよね。とりわけ国家が“これが正しい歴史なのだ”という歴史書ほど、ウサン臭いものはない。だって、いろんなことが支配者側の都合やリクツで書き替えられるから。だからこそ、市井人の自分史は大切だと思います。そしてまた手前味噌ですが、記録に残らないような日常生活や地域の歴史を明らかにする考古学も大切です。えっへん!

ただ、考古学も歴史学も、未来はどうなるのかなぁ。私事で恐縮ですが、じつは先日、20年間酷使したわが家のビデオデッキがとうとう潰れました。いまさらビデオデッキを買うのもなぁ〜と思うけど、かといって録画した膨大なビデオ、どないすんねん!と途方に暮れています。仕方なく、PCでビデオ映像をとりこんでいますが、まぁ手間のかかること((+_+)) 面倒臭くて、かなりの本数を捨ててしまいました。そんな事態が、いまのデータ保存のあり方にも生じるのではないでしょうかしらん。機械がなくても読める紙媒体が急速に減っていくのが、なんだか不安です。
また、建物はビルやマンションとなり、ゴミは焼却処分やリサイクルされて、地面を掘っても21世紀の人々の暮らしの痕跡が残るということは激減しているでしょう。果たして考古学という学問は21世紀を復元できるのか。う〜む、物証が残らないと、お手上げですね。
いずれにしても、25世紀の考古学者や歴史学者は、21世紀の歴史の復元に悪戦苦闘するのではないかと思います。未来の考古学者と歴史学者のために、庭にタイムカプセルでも埋めておきますか。おっと、機械がなくても読めるように、字は紙に印刷しておいてくださいね。